日本から震災・復興に 向き合う人々 池田 清さん
震災をきっかけに設置された(株)NTTドコモ「東北復興新生支援室」の岩手担当として復興に携わる。ドコモならではの活動の他、「北限のゆず」を復興シンボルとしてブランド化を進めるなど、地域に根ざした活動を行い続ける。
池田 清さん
ドコモは2011年12月「東北復興新生支援室」を設立されたとのことですが、最初に取り組まれた活動は何でしょうか?
東北復興新生支援室は、社内公募で人が集められました。震災から半年で集まったメンバーは、復興に向けた高いモチベーションを持っていました。それぞれ地域ごとにチームを作り被災地域に入っていきましたが、全くつながりが無い我々は、すぐに支援などできる状況ではなく、情報を集め、自分たちのできることを探すだけで精いっぱいでした。それを積み重ね、地域での信頼を少しずつ重ねてゆきました。
復興支援のプロジェクト名、「笑顔の架け橋、レインボーアクション」から形になった取り組みで被災地から最も反応がよかったものはなんでしょうか?
地域によって状況は違うので、優劣はありません。我々から押し付けることなく、解決すべき問題として地域の人と話をした結果です。すでに行われていない活動もありますが、復興の過程で必要であった内容であり、その後の活動として生かしています。
ドコモらしい活動を通して、「被災地からイノベーションを!」をビジョンとして掲げられていますが、この4年間の中で最も「イノベーション」だと考えられるものは何ですか?
まだまだイノベーションと呼べるレベルには達していません。弊社も私個人としても、これからも被災地域の地域作りに積極的に関与していきます。その中で社会的な変化をおこしてゆきたいと考えています。
岩手を中心に被災地を震災発生直後から訪れ、活動されている池田さんですが、4年経った今どの程度復興は進んでいると考えられますか?
一言で「被災地」と言っても地域によって大きな差が生まれています。元々の要因(原発の関係で立ち入りできないなど)以外にも、津波の被害地域間でも、地理的な要因や地域性などによって、復興に大きな差が出ています。いろいろな要因はありますが、そこに住む人が新しい街づくりを考え、内外と協力し合っている地域が結果的に早い復興を遂げているように感じます。ハード面が戻っても、「心のケア」や震災前から抱えていた「過疎化」など着手していかなければならない問題は多く、まだ道半ばです。
日本最北端で搾取できるゆず、「北限のゆず」を復興シンボルとしてブランド化を進められています。「ゆず」を復興のシンボルとされたのはなぜでしょうか?
北限のゆずの舞台である「陸前高田市」は、津波の被害が最も大きかった地域です。そのため、市街地は壊滅し、産業などもほぼすべて流出しました。そんな中「無い物ねだりしないで、有る物を生かす」という考え方から、古くから陸前高田に存在していた「ゆず」のブランド化による産業創造を考えました。
「南部美人」と「北限のゆず」がコラボレーションした「無糖添加ゆず酒」は復興の足がかりとして販売されていますが、こういった特産物を増やす事によって被災地にはどのような効果が生まれるとお考えですか?
北限のゆずをブランド化することによって、原料供給による収入以外に「ロイヤリティ収入」を期待することができます。まだまだ数量が多くないため見えにくいですが、これから地域に「北限のゆず」を冠した商品が増えます。それにより地域にお金が戻り、それでゆず園地が増えていく。ゆずに関連する産業従事者が一人でも増えれば、大きな効果だと考えています。
被災者ではない池田さんが、被災後現場に入られて復興活動をされていますが、この4年間で東北に対する考えに変化はあったでしょうか?
東北に対する考え方はそれほど変わっていません。しかし、大きく影響を受けたことはあります。都心に住む私は、町づくりに参画することも無ければ、地域産業をどう盛り立てていくかなど微塵も考えたことはありませんでした。私が接してきた東北の皆さんは、自分の町や住んでいる地域の事を身近に考えています。たとえば、自分の会社がどうやって地域に貢献していくかを考え、自分たちの街をどうしたいかいつも話をしています。私も今の仕事が少しでも落ち着いたら、自分の住む地域で自分ができることを考えたいと思うようになりました。
多くの日本全国から集まるボランティアは池田さんと同じように被災者ではありませんが、そういった方々が被災地で活動する事によってどのような効果が生まれていますか?
ボランティアは非常に難しい存在であることを感じます。行き過ぎると立ち上がろうとする力を阻害します。「善かれ」と思ってやることが産業の妨げになることも見てきました。震災から2年が経過した頃、学習塾を再開した経営者に会いました。しかし、『子供が戻ってこない』と。理由は簡単で、大学生たちが無償で子供たちに勉強を教えるボランティアを始めたからです。その学習塾は、せっかく再開したのに閉めてしまいました。私はこういった例をたくさん見ています。ボランティアは、良い効果とそうでないものを生む可能性があります。
レインボーアクションが掲げる目標として「コミュニティ支援」「防災まちづくり」「産業復興」という三つの大きな軸がありますが、それぞれ4年間の目標達成度、また目標に対する今後の課題があれば教えてください。
コミュニティ支援は、被災地から始まった活動でしたが、今は高齢者福祉の領域にシフトしています。被災地域の多くは、職を探し生活をするために若い人の多くは地域外に出て行ってしまい、結果的に地域には高齢者が残ってしまったため、仮設住宅などの高齢化率は非常に高い状態にあるためです。高齢者福祉の領域で、被災地が少し先の日本の姿と考え、先進事例とした活動が今後のコミュニティ支援の一つと考えています。今までの街づくりの主役は、道を作り、建物を作る人たちでした。しかしその整備が進むと次は通信とそれを使ったサービスを充実させるフェーズとなります。そこが我々の得意領域ですので、新しい街づくりにこれからも広く参画してゆきます。産業振興は、人の生活の礎です。産業があれば、人はその地域で生活ができ、伴侶ができ、子が生まれ、町は繁栄します。そんな流れの源流たる産業を生むきっかけ作りを北限のゆずにとどまらず、今後も続けてゆきたいです。
池田 清さん
岩手県立大学客員准教授
震災をきっかけに設置された(株)NTTドコモ「東北復興新生支援室」の岩手担当。同社において、コアネットワークの研究開発や無線サービス企画に従事。岩手県におけるオープンデータ検討会、見守り検討会、被災地域における農林水産の産業振興、情報リテラシーの向上、ITを活用した各種システム導入支援などを行う。
東北復興・新生支援
笑顔の架け橋 Rainbowプロジェクト
rainbow.nttdocomo.co.jp