「カナダ大使館・外交官と恩師との出会い」土川 貴之さん カナダ歴:12年|私のターニングポイント第29回
カナダ歴:12年
職業:J.CARE -Japan Sports Medicine & Wellness Clinic- 院長。
著書:徒手療法「フックテクニック」を近日出版予定
科学的な考え方に基づいて徒手療法を行う『マニュアルメディスン』という治療体系と鍼治療による、スポーツ障害と筋骨格系の痛みのための治療院 J.CARE院長の土川さん。多くのトップアスリートも担当し、全米オープンテニス2022、平昌オリンピック2018、北京オリンピック2022、その他、多数の国際大会へ帯同スポーツ徒手療法士としても活動する土川さんがカナダに来ることになったきっかけにターニングポイントのヒントが隠されていた。
ターニングポイントにはいつもキーパーソンとなる人がいた
カナダ移住は、2人の方との出会いがあったからこそ決断ができました。一人は患者さんであるカナダ大使館の外交官です。大学卒業後、都内で「30歳でスポーツ鍼灸整骨院開業」を目標に必要な国家資格取得と技術修得のために、午前は整形外科勤務、午後は通学、夜間は鍼灸院勤務と駆け抜けた20代でした。
繰り返される試験勉強もありましたので、寝る時間を割かないと成り立たない生活でしたが、目標達成のために必要なことを逆算したプランでしたので、若さでなんとか乗り越えました。
そんな中、青山にあるカナダ大使館へ往診していた際に、患者さんの一人である外交官よりトロントへ移住して開業する提案をもらいました。そのご家族皆様やゲストの方を毎週施術させてもらい、信頼関係を築いていく中で、その方が退職されてトロントへ戻ることになり、「一緒にトロントに来ないか」とはじめは冗談半分だったかもしれませんが、声をかけられました。
見えないものをどうしても見てみたいという気持ちが上回った
当時私は28歳で、「東京で30歳で開業する」という目標があることを伝えたところ「あなたの職業は永住権も取れるはず。トロントで開業したらいい」と言ってくれましたが、そんな人生は想像もしていなかったので、その後すぐにリサーチの為にトロントへ飛びました。
実際にトロントで鍼灸師をされている日本人数人にアポイントメントを取り、色々なお話を伺いました。その中で日本の国家資格がトロントで適用できる(2008年当時)ということがわかり、その後トロントの街並みを一駅一駅見て歩きました。日本で開業した後の将来像はある程度見えていましたが、海外で挑戦する将来像は当時見当もつきませんでした。決断に時間はかかりましたが、2年後の30歳の時に、人生は一度きり、今動かなかったら今後海外移住はないという思いと、外交官という信頼できる方が近くにいてくださるという心強さから、トロントへ移住しました。
腕一本でトロントへ挑戦しようと決断できた理由
もう1人のキーパーソンは私の徒手療法の基盤となっている科学的な考え方をもとに手を使って身体を治す治療体系・マニュアルメディスン(徒手医療)の礎を築いでくださった、東京で勤務時代の恩師である整形外科医です。
著書『ASTR(Active Soft Tissue Release)』の考案者で、『ASTR』の出版により存在を知り、幸いにも勤務させてもらいました。徒手療法を取り入れている整形外科医は世界的に見ても珍しい存在です。医師の知識レベルで徒手療法を掘り下げ、現代医療に基づいて見直し体系化したものを惜しみなく学ぶことができました。
この職場では、ASTR以外にも多数の徒手療法テクニックを駆使し運動器疾患を治療します。また、日本にまだ入って来ていない欧米の徒手療法の英語の専門書を海外から取り寄せて、自分たちで翻訳して行う勉強会を週2回おこなっていました。
安全で有用性のある技術は即現場で取り入れ、一日に30人~40人の患者さんを治療し、経験を積み重ねました。英語の専門書を読むのにとても苦労したものですが、徒手療法の分野において常に世界最先端の知識、技術を学ぶことができたのでキャリアの大きな財産になりました。
この基盤があったからこそ英会話ができなかった自分が、腕一本でトロントへ挑戦しようと決断できた理由の一つになっています。
■ いまの自分に点数をつけるとしたら?
50点
当初掲げた療法士としての目標は達成し満足していますが、次のステージではまだまだこれからです。
■ 学生時代のエピソード
幼少の頃から身体を動かすのが大好きなやんちゃ坊主で、サッカーと水泳をしていました。中学から本格的に始めたテニスは高校、大学で励み、当初の目標であったインターハイとインカレに出場することができました。しかし怪我が多く、身体中のほとんどの関節を痛めたと言っても過言ではありません。
中学生の頃に初めてのギックリ腰、そのあとは肩。インターハイもインカレもやっとの思いで出場切符を掴んだ後、練習中に足首の靭帯損傷をしてしまい、一番大切な試合の当日は足を引きずりながらプレーをし、思うような結果を残すことができませんでした。
■ もし人生をやり直せるとしたら、いつ?
5歳。経験者から聞く限りでは、アメリカの大学のスカラーシップ制度やスポーツの環境は、自分が経験した日本の環境とはスケールが違うので、もしやり直せるなら、5歳からテニスを始めてアメリカの大学へスカラーシップで入学できるよう、挑戦してみたいですね。
それでもプロツアー生活を送る自信はないので、趣味としてテニスを続けたいです。そして今と同じ職業の資格を取得して北米で開業。仕事とテニスと旅行を楽しめる人生を送りたいです。今とあまり変わらないですね(笑)。
■ 人生で大切なことは?
やりたいことをやって、悔いのない人生を送ること。
■ 将来の夢・ライフプラン
残りの人生も仕事とテニスと旅行をバランスよく楽しみながら過ごせたらいいなと思っています。
-好きな本:地球の歩き方、徒手療法の書籍
-尊敬する人:人生の決断において影響を与えてくれたキーパーソンの方々。そういう方々は常に進化し続けていらっしゃるから。
-感謝している人と一言メッセージ:家族。いつも暖かく見守って、支えてくれてありがとう。
-カナダの好きなところ:世界中からの移民がいて、各国の生の話を聞かせていただけるところと、冬が去った後の夏の到来。