「人生の分岐点」小谷 真人さん カナダ歴:通算2年5ヶ月 1984年生まれ|私のターニングポイント第34回
カナダ歴:通算2年5ヶ月
職業:Taro’s Fish
人気連載コラム・トロントの魚屋さんでも知られる「Taro’s Fish」の中でもよく登場する小谷さん。その昔、ワーキングホリデーで同店で働いた経験を持ち、いったん日本に帰国し料理の世界で生きてきた経歴をもつ。そんな小谷さんは、“日本でこのまま働いていても夢がない。もう一度チャレンジしたい。”と思い、再び「Taro’s Fish」に戻ってきて約1年半が過ぎようとしている。年齢も若くないのでカナダに骨を埋める覚悟を持ってきたと語る小谷さんに、人生のターニングポイントを聞いた。
初めての就職先が「Taro’s Fish」
学校を卒業後、初めての就職先が現在も働いている「Taro’s Fish」でした。当時の僕は今では考えられないほど、素行が悪く、たくさんの人たちに迷惑をかける毎日でした。そんなある日、このままでは駄目だ、この状況から抜け出さないと人生が終わってしまうと考えるようになり、たまたま学校の求人でカナダ・トロントにある「Taro’s Fish」を見つけ、日本を離れて1から出直そうと決心し、ワーキングホリデー制度を活用して「Taro’s Fish」でお世話になることになりました。
そこで出会ったのが、オーナーの秋山太郎さんと智亜紀さんご夫妻でした。まずは歩き方からダメ、トイレは自分が舐めれるくらいまで綺麗にする、先輩方に対する態度、言葉遣い、思いやりの心、自分自身を律する力、感謝、根性などなど、挙げれば数え切れないほど大切なことを教えていただきました。
当時は、家にも帰らずマグロの箱で寝泊まりをするという生活でした。途中で心が折れそうになったりもしましたが、なんとか1年を過ごすことができました。このたった1年が僕の人生を大きく変えてくれたと思っています。
“日本でこのまま仕事をしていても夢がないんじゃないかな?”
帰国後は日本料理店で会席料理を学び、料理長を経験し、その後に調理師学校の講師をするまでになりました。そんなある日、日本でこのまま仕事をしていても夢がないんじゃないかな、と思うようになりました。そして、太郎さんから声をかけていただき、もう一度チャレンジをしようと決意して「Taro’s Fish」に戻りお世話になることを決めました。
僕は年も若くない、ある意味時間がありません。なので覚悟を決めています。日本に帰るつもりは一切ないですし、この土地で必ず成し遂げて自分に関わる人たちを幸せにする、そんな気持ちで毎日仕事に励んでいます。
■ いまの自分に点数をつけるとしたら?
20点
まだ何も成し遂げていません、これからです。お世話になった人たちに恩返しも出来ていない、家族にも苦労しかかけていない、カナダに行くと言い出して、ついてきてくれて不安の中で出産も経験した奥さんには本当に感謝しかないです。何としても幸せにしなければと思っています。
■ 学生時代はどんな青年
不良でした。思い出せば自分にでもびっくりするほどです。詳しくはご想像にお任せします(笑)
■ もし人生をやり直せるとしたら、いつ?
小学生からです。死ぬほど勉強します。ハーバード大学に行って、いいところに就職して、今の奥さんを探してエリートをちらつかせてナンパします。
■ 人生で大事なもの
人との出会い、思いやり、感謝。人は一人では何も出来ないです。必ず誰かに助けてもらっています。自分を優先するのではなく、家族や自分に関わる人たちを優先したいです。
■ 将来の夢
覚悟を決めて来たカナダ・トロントで、自分の店を持ちお世話になった人たちに恩返しを出来るくらいの力をつけることです。アストンマーティンに乗ります!それと、夏になったら日本に帰って釣りをして、帰ってきて仕事するみたいなことがしたいです。
-好きな本: 『フォレストガンプ』、『論語と算盤』、『ワンピース』
-尊敬する人:小谷由見(母)。根性が半端ないです。必ず親孝行します。
-感謝している人と一言メッセージ:●秋山太郎さん・智亜紀さん。約20年前、何の役にも立たず、迷惑しかかけていない僕にもう一度人生を変えるチャンスをいただきました。そして今でも迷惑をかけ、色んな事に手を差し伸べてくれています。感謝だけでは足りません。この出会いがあったからこそ今の僕がいます。お二人の築いてきたものをしっかり継承し、更に上を目指して、カナダ全土に「Taro’s Fish」を展開させたいです。
●山下 裕さん。料理の師匠です。料理の基本、日本全国のありとあらえる食材を触らせていただきました。
-カナダの好きなところ:周りを気にしなくていい