トロントで輝く女性の7つのストーリー

toronto-japan-2013


今の時代、やはり女性の活躍は目が話せません!TORJAではこれまで数多くの女性を取り上げてきました。新年号ではトロントで輝く女性の7つのストーリーを一挙公開。


女将と呼ばれて3年半、トロントで一番最初に居酒屋を作ったレストランター

fin-masudaFin居酒屋オーナー

増田 晶子さん
エグリントンにある居酒屋Finは、日本の居酒屋のような仕掛けが満載だ。日本酒とのマッチング料理の提案、水曜日は女子会デーなど曜日別のスペシャルプラン、ランチは丼ものを提案したり、寒くなれば鍋ものプランを用意したりなど、常にワクワクを提案し、客を喜ばせようとする姿勢が伝わってくる。
19歳で来加し、ロンドンのカレッジを卒業後、トロントの英語学校でマーケティングの仕事についた。その後日本食をチェーン展開する会社でFCコーディネーターとして徐々に食の世界に入った。自分でお店を開こうと思ったきっかけは、「結婚・出産を経て、子どもの幼稚園のお母さん達を自宅に招き、週に1〜2度、私が料理を用意して食事会を開いていました。食事を前にしたときのみんなの喜んだ顔、楽しんでいる気持ちが伝わってくることに喜びを覚え、もっと多くの人を相手にしたい、それならば公共の場でレストランを開こうと決意しました。」思い立ったら即断即決、すぐに行動の晶子さんはすぐに物件を見つけ、数ヶ月でまだトロントにはどこにもなかった居酒屋というコンセプトでFinをオープンさせた。

オープンして3年半。たくさんの苦労もあったはずだが、きっと苦労を楽に変えていったのだという。「キッチンに対して、時にはきついことを言わなきゃいけないこともあります。でもキッチンの人も一生懸命やっている。お互いが納得して意見を共有するためには私自身がキッチンも含めて全てのことを勉強しないといけないと思いました。だから焼き場も寿司場も体で覚えて、人が足りなければ7days朝から深夜まで今でも現場に入っています。」
新人のトレーニングではこの店の全てを好きになってくださいと皆さんに言うそうだ。「好きなことであれば会話の節々にリズムがあり、ワクワクする。それがお客さんにも店内にも伝わる。それがうちの魅力でもあります。」と語る女将は今日も現場で先頭にたってキラキラ輝きながらチームを率いている。


才能ある人々に働ける環境を与え、日本の素晴らしい美容技術をトロントに伝える

may-yamashitaAtelier May トップヘアスタイリスト/サロンマネージャー

山下 明美さん
Atelier May、hair happinessと市内に3店舗構えるヘアサロンのマネージャーの山下明美さん。 26歳で独立し、神奈川県にAtelier Mayをオープン。数年後、念願の夢でもあった海外支店をNYにオープンしようと準備を進めていた矢先に9.11テロが起き、急遽中止せざるを得なくなる。友人に招かれたことがきっかけで訪れたトロント。想像していたよりはるかに面白く魅力的な街だと知り、トロントにお店をオープンしようと決意する。
トロントに移りすぐにローカルのお店で働くも、日本との技術、サービスの大きな差に戸惑ってしまう。日本の素晴らしい美容技術をカナダ人にも伝えたい、トロントに住む日本人に提供したい、そんな思いで来加1年でAtelier Mayをオープン。「オープン当時はなかなかお客様に来てもらえなくて、オープンから3年は無休でただがむしゃらに働いてました(笑)」徐々に来客が増え、今ではトロントを代表する日系サロンのひとつとなった。翌年には2店舗目となるhair happinessがオープンした。
ワーキングホリデーでトロントに来る美容師が働ける環境を作りたかったという明美さん。海外で働きたい、英語が話せるようになりたい人たちに英語でのサービスを学んでもらう。もちろん日本の技術も指導する。才能や技術がある人々に海外で働くチャンスを与えたい、これが明美さんの一番の想いだ。
「日本では、従業員を“育てる”というより“選ぶ”ことをしていました。トロントに来て“良い教育をすれば人は変化する”ということがわかりました。教える人によって育ち方は変わると思います。それぞれの人が持っている才能を最大限に活かせる指導をしていきたいですね。私自身も、トロントに来てからこれまで経営者として学べることがいっぱいありました。」従業員の一生懸命学ぼうとする姿や、成長を感じたときの喜びはカナダに来てから改めて実感したと言う。
教え子が力をつけて、ステップアップしていく様子を見るのが嬉しいし、やりがいだと語る明美さん。これからも新しいことを常に追いかけていきたいと語ってくれた。


ただ言葉を置き換えるのではなく、その“思い”をも訳す

kan-hirose翻訳会社KANコミュニケーションズ経営・ライター

広瀬 直子さん
日本では外国語出版制作の仕事をし、観光情報誌や空港などに置く英語のパンフレットをつくっていたという広瀬直子さん。執筆の仕事をしていきたかった彼女だが、日本にいては翻訳家としてもライターとしても競争は激しい。「カナダにいながら日本の出版社に向けてものを書くということは自分に付加価値をつけることができますし、一度自分自身や姉がワーキングホリデーでカナダに滞在していたこともあってトロントに戻ってきました。」
23歳から24歳までのワーキングホリデー時代は日本語のコミュニティ新聞「ニューカナディアン」(現在は廃刊)の編集者として働いていた。日本で外国語出版制作の仕事を経て、1997年、29歳で永住権を取得してカナダに舞い戻り、同時に翻訳業を始めた。当初は個人事業主という形だったが、のちにパートナーシップというビジネス形態に変更し、2009年には坂田晴彦さんを共同経営者に迎え、昨年会社法人化を果たした。
同社では翻訳会社として各種資料の翻訳・証明や、ビジネスコンサルティングといった事業、また翻訳養成コース講習などといった教育的事業も行っており、その業務内容は多岐にわたる。お客様のニーズに合わせて、きめ細やかなサービスを提供していくことをモットーとしており、顧客からの信頼も厚い。
また彼女はライターとして、これまで英語教育関連の本を出版してきている。“ジョン・レノンの名曲・イマジンは関西弁で訳すのが良い”などといった彼女独自のアイデアは、まさに目からウロコ。彼女の豊富な知識とユーモアは、楽しみながら英語・翻訳の世界を私たちに教えてくれる。
「プロとして現場で働いている私たちだからこそ伝えられるものがありますし、私たちの語学や文化経験を通して、日本とカナダの交流がより深まるよう貢献したいという気持ちが大きいですね。」今後も彼女は語学というツールで、国と国とを繋げる大きなかけ橋を築き続ける。


英語を話すことを通して生徒に自信を与えたい

ellii-tomokoenglish language learning institute学長・ミュージシャン

トモコ・カーデナスさん

日本で総合商社の経理として勤務し、OLとして過ごしていくなかで、自分のやりたいことを見つけたいという思いから、語学留学で7年前にトロントに来る。語学学校に通うもなかなか英語の上達が見られず、諦めて帰国しようとしていたときに出会ったのが、彼女が現在務めている語学学校 e.l.l.i. である。
「この学校は英語のスキルだけでなく、人間としてもものすごく私を成長させてくれた場所なのです。いつも自分に自信がなかった私が自信を持てるようになった、人生をも変えてくれた特別な場所です。」
OL生活にまた戻る事も覚悟していたが、この学校の生徒の人生をも変えてしまう素晴らしさに惚れ込み、学校代表からジョブオファーの申し出があったこともあって、一生徒だった彼女が、今度はスタッフとして勤務することとなったのだ。働き始めてからは、日本人に特化した学校独自のランゲージプログラムの開発に尽力、学校の発展に大きく貢献し続けてきた。そして代表のアジア赴任を機に学長という役職に就き、現在に至る。
「実は私、中学生のころから、日本の英語教育に疑問を感じ続けていたのです。“なんで学校の先生たちは外国映画の俳優たちと違う発音で英語を話しているのだろう”って。その当時から英語教育には興味があったということですから、この学校に来るべくして来たという感じもしています。」
さらに、彼女はミュージシャンとしても活躍しており、東日本大震災の際には“The Power In You” という曲を制作し、動画配信サイトの閲覧数は17万を超えている。「曲のタイトルが示している通り、この学校を通して“自分にも何かできるはず”と自分を信じる事ができた私だからこそ書けた曲だと思います。」
彼女は学長として、ミュージシャンとして、また英語を学んできた先輩としても、生徒からの熱い尊敬の眼差しが向けられている。
Japan Earthquake and Tsunami Song 2011: The Power In You


本を通して日本文化を世界に広めていく

japanfoundation-marikoジャパン・ファウンデーション主任司書

リリーフェルト まり子さん
日本で数年小学校教員として働き、38年前にカナダ人男性との結婚を機にトロントに移住する。その後しばらく育児をしながら日本語学校で毎週土曜日に教えていたが、その間何か資格が必要だと考えていた。そんなときにトロント公共図書館で日本語の本を見つけたのだ。「棚二段くらいでほんの少ししか蔵書がなかったのですけど、本を見つけたときはすごく嬉しかったです。」元々大の本好きということもあり、それをきっかけに司書を目指すことにしたという。セネカカレッジでライブラリテクニシャンコースをパートタイムで学び、1979年にメトロ・リファレンスライブラリーで職を得た。働きながらトロント大学で再び学びを深め、念願のライブラリアン(司書)の修士号を取得したのだ。妻、母、司書、学生の四役をこなしていた彼女。そんな忙しい日々も、司書になりたいという強い意志があったからこそ、やり遂げることができたのだろう。

そして1995年のトロントでのジャパン・ファウンデーション・ライブラリー創設にあたり、司書として一から図書館づくりを担い、それから現在まで主任司書として働いている。小規模ながら、日本情報発信に特化し、カナダ人に日本を紹介する専門図書館として、使い易く、フレンドリーで楽しい図書館を目指したという彼女の思いは、約22,000 点の蔵書に表れ、中にはカメラ専門誌や広告業界の歴史などといった、他ではみられないユニークなものまで置いてあるのだから、その幅広い選書には驚きだ。“あったらいいな”を取りそろえる、その細やかな心遣いゆえに、多くの利用者がこの図書館に通ってくるのだろう。
「図書館には日本に関する多くの質問が寄せられます。日本の文化をカナダ人に伝えていきたいですし、日本のことを好きになってもらいたいという気持ちが大きくあります。」ジャパン・ファウンデーション・ライブラリーで手にした本やDVDをきっかけに、日本文化に興味を持つ人々は少なくない。


あなたらしい雑貨の使い方を提案する

oke-ikedaオンラインショップOke Styles Zakka経営

池田 美佳さん
日本でマーケティングリサーチの仕事をしていた池田美佳さん。2002年カナディアン男性との結婚を機にトロントへ移住する。移住後しばらくは主婦を経験するも“家事だけでなく、なにか他のこともしたい”という思いから、元々好きであった雑貨に関する仕事をすることを決意。2004年にオンラインショップ、Oke Styles(現在Oke Styles Zakka)をオープンし、日本に向けての生活雑貨の販売を現在も続けている。「オープン当初、仕入れなどといった経営のノウハウは全くありませんでした。でも、とにかくやってみようと、手探りで始めていきました。今思えば、当初の私はかなりチャレンジャーだったなと思いますね(笑)」
オンラインショップではFire King,、Old Pyrex、Collectiblesといったブランドを中心に、実用的かつ、シンプルでかわいらしさのある商品を紹介している。雑貨とは日々の生活の中に溶け込むもの。彼女のセレクトした雑貨は、多くの人の日常にひっそりとアクセントを与え続けている。これまで多くの世界各国の雑貨を扱い、実に様々なテイストの雑貨を目にしてきた彼女。ヨーロピアンテイストのものが個人的に好みだというが、お気に入りのカナダブランドはbookhou。「このブランドはナチュラルモダンなハンドメイドで、素材の質感やデザインも素朴で、バイヤーとしても個人的にも大ファンです。」
さらに彼女は、オンラインショップ運営をしながら、自身のブログなどを通して、彼女流の雑貨の使い方の提案もしている。「雑貨の使い方は無限大。お客さまそれぞれが自分のライフスタイルに合わせて、使い方を創造しながら雑貨を日常の一部にしてほしいですし、私がそのきっかけをつくることができれば本当に嬉しいことですね。」また、彼女はブログなどを通して他の人の、自分とは違った新しい雑貨の使い方を共有することにも積極的だ。本当に雑貨が好きで、どんどんと自分の世界が広がっていくことを心地よく感じていることが伝わってくる。
池田さんのコラム「Oke Styles」はTORJAで絶賛掲載中(P62)。

Oke Styles Zakka website: okestyleszakka.com


日本・カナダ、世界のマーケットで活躍する映画業界人

movie-takahata映画業界・フリーランス

高畠 晶さん
日本で映画配給会社でバイヤーとして7年勤務。日本でカナディアンの男性と結婚し、しばらく日本で暮らしていたが、ご主人の希望でトロントへと2009年に移住する。カナダでも映画業界で働きたいという意思があったのだが、映画業界の門は狭く、コネクションの強さも鍵となるため、来加してしばらくは仕事がなかなか決まらないことに悩んでいたという。「あるとき、“それだけ経験があればフリーででもやっていけるのでは”という助言を受けました。それ以降は自分で名刺を作って色々なパーティーに積極的に参加をしたりして、知り合いを増やしていくことに努めました。」

そうして得ていった仕事の話はどんな小さなものでも引き受けていたという。そんな彼女の地道な活動が実を結び、昨年のTIFFフェスティバルではアジアンプログラミングアソシエイトとして、アジアン映画のプログラミングに大きく関わるポジションで勤務することとなったのである。スタッフの中でトロントに住んでいる日本人は彼女以外にいなかったため、日本映画に関する案件ではとくに重宝されていたという。TIFF以外にも昨年の6月に行われたトロント日本映画祭、またTELEFILMの一員として東京国際映画祭でのカナダ映画の普及にも一役買うなど、とくにカナダと日本の映画業界に関する仕事で忙しかった一年だったようだ。

さらに昨年は私生活でも大きな転機が。10月に子供を出産し、今では一児のママとしても忙しい日々を過ごしている。「昨年、妊娠中にも8月や9月のTIFFフェスティバル期間中以外は在宅で仕事をすることができていましたし、今年もありがたいことにお仕事のお話をいただいています。これからも世界のマーケットで映画、とくに日本映画の普及に尽力していきたいですね。」今年も彼女が選出に関わった作品の数々が、スクリーンを通して私たちに多くの感動を与えてくれることだろう。