カナダでゲーム屋三昧 #003
遊びのチカラ
人ってどのくらい遊んでいるか分かります?「遊び」と分類されるものは何もゲームとかマンガばかりではありません。スポーツの観戦からパチンコから、映画も音楽も旅行も、基本的には生活必需品ではないものはすべて「遊び」の派生形です。では、1年でどれだけお金を使っているのか?ズバリ、60兆円、一人当たり年間50万円です。日本の一人当たり年間GDPが370万円なので、自動車だとか家だとか食事だとか諸々生活に必要なものを除き、1/8は遊びに消費してる計算になります。結構多い印象ですかね?僕の専門の「ゲーム」は年間1.5万円くらいのものなので、まあ小さなもんです。
この「遊び消費」、1970年代に人々が豊かになると同時に急激に増えていき、バブル後の90年代半ばの1人70万円くらいまでいきました。ただ…ここ20年ずーっと右肩下がり。2000年に入って人は労働時間も増えて、遊びに使える時間もお金も少なくなった、というのが日本の現状です。ただ、こうした遊び消費、米国・日本・欧州あたりが世界最大の市場で、正直先進国で高次に発展した社会でないとほとんど存在しません。遊ばないわけじゃなくて、遊ぶことにいちいちお金を使わないんです。
じゃあなぜお金を使うのか、といえば、やっぱり制約があるからなんです。時間的余裕、空間的余裕、金銭的余裕、なんらかのものがないとあえて遊びにお金なんて使いません。日本の都市民族は常に何らかの制約をかかえています。仕事と家の往復で時間がない人は、近いことを優先して都心の高級フィットネスクラブに通います。アリの巣のような小さな住居ではのびのびできない人は、わざわざ近所のホテルをとったり、喫茶店に通ってなんとか空間的余裕を確保します。そもそも金銭的余裕のない人は遊びにかまけている時間なんてありません。つまり、何か制約を埋めるために、本当は無料でも遊べるものを、「便利に遊ぶ」ためにお金を払うんです。
制約があってもなぜお金つかってまで便利に遊ぶかと言われれば、やはり遊びに本質的な必要性があるからだということに他なりません。もともと、遊びは余計なことだと言われ続けてきました。勉強や会社が生活の主軸であり、遊びはあくまで遊び。それは本当にその通りです。遊びは余計なものでなくなった瞬間、遊び本来の魅力を失います。気晴らしの将棋は面白いですが、賞金頼りに生きるとなったプロ棋士にとっての将棋はもはや遊びの範疇を超えます。余計なものでない限り、笑えなくなりますし、まずリラックスして頭をスッキリできるようなものでは到底なくなります。映画批評家にとっての映画も、漫画家にとっての漫画も、ゲーム屋にとってのゲームも、マジで笑えません(笑)。だって人が面白いと思ってくれないと、食い扶持がなくなるんですから。芸人と同じで、ネタが飽きられたら最後。一発屋で終わらないために、常に新しいコンテンツが必要になるんです。
結論を言うと、遊びとは我々に自分自身の本来を思い出される、人間の自浄作用のようなものが眠ってます。第二次世界大戦中、人々はどんな暮らしをしていたかご存知でしょうか?僕らは教科書でみていたように、毎日爆撃におびえて、栄養不足で腹をすかせて…というイメージが強いんじゃないでしょうか?実は当時、子供たちは空撃の合間にもおはじきやなわとびなど遊びに精をだし、防空壕ではコンサートが行われたりしていました。ナチスドイツのホロコーストでも、子供たちが大人の死体の横で遊んでいる様子などが記録として残っています。実は戦時中のほうが人は遊びに熱心になります。ブルースやカポイエラが収容された黒人奴隷から生まれたように、「表現をすること」は人が生存の危機に瀕したときにむしろ爆発的に生み出されます。我々は歌ったり踊ったりすることで、自分自身を取り戻すんです。人間であることを確認するんです。
登山家、三浦雄一郎はエベレスト登頂時、地上7000mで呼吸もままならぬ死の世界まで、フリーズドライにしたキムチ鍋をもっていきます。また世界最高所でのお茶会と称して、持参した茶杓で抹茶を立てます。あらゆる道具を極限まで絞らないと危険なアスリートの世界において、彼はあえてこんなものを重い荷物に加えて「遊び」をもうけます。ただそれがゆえに三浦の登山隊は、全員が体ボロボロの状態でもありえない活気とチームワークが生まれるのだと言います。80歳にして3度エベレストに登頂した彼の成功が、その効果を物語っています。
僕もアフリカ最高峰キリマンジャロに登ったとき、吐き気と下痢と頭痛と睡眠不足で一歩たりとも登れないと覚悟したとき、救ってくれたのは日本のドンキホーテからもってきたおっぱいボールでした。ガイドの男は6000mで血の気もひいて呼吸もままならぬ僕を、おっぱいボールをニギニギして「アツオ、地上に戻ったらコレだ!コレだ!」といいながら僕の前に何度も差し出しました。笑うことすらできぬ僕でしたが、確かに地上にいた時分、そこで普通に暮らしていた自分を思い返し、それが一歩を踏み出す力になったことは言うまでもありません。何を言いたかったかよく分からくなりましたが、そういうことなんです。人間というものは。自分もゲームをつくりながら、これが誰かにとって自分自身をとりもどす「遊び」になることを願いながら、あたるもあたらぬも天にまかせる道なき道を、一歩一歩踏みしめる力にしています。
中山 淳雄
1980年宇都宮市生まれ。2004年東京大学西洋史学士、2006年東京大学社会学修士、2014年Mcgill大学MBA修了。(株)リクルートスタッフィング、(株)ディー・エヌ・エー、デロイトトーマツコンサルティング(株)を経て現在 はBandai Namco Studios Vancouer. Incに勤務。コンテンツの海外展開を専門に活動している。著書に『ボランティア社会の誕生』(三重大学出版:第四回日本修士論文賞受賞作、2007年)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHPビジネス新書、2012年)、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない? 』(PHPビジネス新書、2013年)、他寄稿論文・講演なども行っている。