夢、お持ちですか?|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明
我々がかつて語った夢という言葉は夢のように消えて行った感がある。世の中が現実的かつ即物的で人々の人生を社会の枠組みの中に押し込んだ、そんな鳥かごのような社会が形成されつつある。世の中全体がデジタル化することで例外が少なくなってきたことがその背景にあると考える。ではこれから未来がある皆さんに夢はもう来ないのだろうか?
海外志向だった私が建設会社に入社した1984年当時はアナログの時代であった。会社の決まりはいろいろあったが、部署や現場では都合良い解釈が行われ、その度に会社側は「ルールはこうです」と打ち消しに必死であった。
入社してすぐ、支店の経理部が会議で現場所長など管理職に口頭ながらこう伝達した。「ソープランド代金は接待ではなく個人の便益であるので経費処理しないでください」と。税務調査で指摘があったのだ。入社したての私には少々刺激的すぎる内容で逆説的に建設会社の経理は緩いという暗示以外の何物でもなかった。
入社して3年目ぐらいに巨大な現場の事務主任になった時、現場の職人用清涼飲料の自販機を中古で買ってきて飲料を仕入れ問屋から直接仕入れて自分で自販機にせっせと補充する「商売」をしたことがある。これが売れに売れて1年後に純利益が100万円を超えた。
現場所長が「おまえ、その金、どうする気だ?」というので「現場所員の慰安旅行でパッと使いますよ」と。事実、2年で200万円。2度ほど職員慰安旅行に行き、皆さんから大感謝されたのは言うまでもない。こんなヤンチャが出来たのもアナログの時代だからだ。
海外に赴任したかった私の夢はそんな時にやってきた。会社のカリスマオーナーが現場視察に来ることになった。所員一同直立不動、事務屋で最年少の私は一番端でお出迎えした。オーナーが一人ずつ声をかける中、「おい、君。元気が良さそうじゃないか。海外に赴任したいか?」。間髪を入れず「ハイ!」。
その後、オーナーが現場事務所に入る際、私が「恐れ入ります、お靴をお脱ぎ頂けますか?」と申し上げた。後で聞いたが、現場視察でオーナーに靴を脱がせたのは後にも先にも私だけらしい。ただ、その脱いだ靴をさっと揃えて向きを変えたのをオーナーは見逃さなかった。
たった2つの偶然「海外に行きたいか?」「靴を揃えたこと」、これが後々にオーナーから言われ続けられた木下藤吉郎のような草履取りである。
その後、本社勤務となり、特命係を命じられ、オーナーと部長と私の3人直轄プロジェクトをいくつかこなし、1年後にオーナーの秘書になる。2年半の厳しい秘書官教育を受け、晴れてバンクーバーに赴任した、というのが私の人生の第一幕だ。
夢はふとしたきっかけが契機になることが多い。そしてそのきっかけは偶然の産物というより普段からの積み上げの中で機が熟したころ、当たり前のようにやってくるのだ。
バンクーバーで支援している高齢者向け訪問介護事業では人材採用面接を常時行っており、私も面接官の一人だ。5、6年国内で務めて海外生活に憧れてワーホリやCOOPビザで職探しをする応募者が主流だ。
その中で採用側として注目しているのは日本で働いていた時、特別の出来事があったかどうかだ。10中8、9は特別なことなどない。理由は簡単だ。応募者の大半である看護師さんたちがルールを逸脱してなにか違うことをしたら罰せられるのが関の山だからだ。
つまり残念ながら彼女たちはルールという枠にがんじがらめに閉じ込められているのだ。
これはどのような職業でも同じだし、今や経営者もコンプライアンスやライアビリティといった小難しい横文字の枠組みにはめ込まれ、会社のルールに従い、社会的に絶対的に正しいことしかできなくなってしまった。
大局的にはその多くはデジタル化と可視化が引き起こした自由許容度の縮小化がその引き金だろうと考えている。つまり現代社会では個性を極力消し、ルールが許す範囲で最大限の成果を上げるという困難なチャレンジ競争になっているのだ。
私のように自販機で儲けることも出来ないし、ソープランド代を会社経費で落とすような強者も今の時代にはまずお見掛けしない。
では夢は夢でしかないのか、それどころか今や夢すら見ず、現実的なワークライフバランスで24時間365日を機械仕掛けの時計のように回り続けるのだろうか?
少なくともこのトルジャをカナダでお読みの方々は夢を追ってカナダに来たのだから第一歩は踏み出している。そしてなにかのきっかけでトルジャの今月号のこの私のコラムを目にしたわけだ。
これも突然の偶然ではなく、いつもトルジャをペラペラめくり、好みのページを読む癖をつけていたからこそ起きたあなたと私の出会いということだ。
「弾ける」というのは今の仕事なり、趣味なり、熱心にやっていることに熱くなり、プロになることだ。絶対的自信と同時に外から認められること、これが最も大事だ。その日は努力していれば必ず来る。何故ならば必ず誰かがあなたのことを見ているからだ。その時、自分の自信を深め、次のステップに進む。するともっと違う世界が見えるはずだ。
この繰り返しをしていると夢が少しずつ近寄ってくるだろう。それは衝撃的な出会いかもしれないし、30年かけてゆっくり成就するものかもしれない。だけどひたむきにやればその希望が叶う日が来ると信じてみよう。きっと良いことが待っているに違いない。
了