パレスチナとイスラエルに寄せて|カナダのしがないラーメン屋のアタマの中 第64回
最近ニュースを見ていて、学生時代に見た『ハイファ』というガザの難民キャンプを舞台にしたパレスチナ映画を思い出しました。細部はよく覚えていませんが、主役を演じたモハメッド・バクリという俳優が、イスラエル生まれのパレスチナ人だったこと、そして主役の人物像が、黒澤明監督の『どですかでん』から着想を得ていた、という記憶が残っていて、芸術は国境を越えるのだな、と稚拙な感想をもったこともおぼろげながら思い出されました。
戦争や内戦、国家間での武力衝突が起こると、すぐに子どもたちはどっちが悪いの、と聞いてきますが、イスラエルとパレスチナ間の関係ほど、答えに困ってしまうものはありません。
いまイスラエルがパレスチナを攻撃していて、たくさんの人たちが亡くなっているんだよ。
じゃあイスラエルが悪いんだね。
でも、その前にパレスチナのグループが突然イスラエルを攻撃してたくさん人が亡くなったんだよ。
じゃあパレスチナが悪いの?
でもさらにその前に、パレスチナに住んでいた人たちは、突然イスラエルという国が出来て、70万人の人たちが住むところを失って、その後もたくさん殺されているんだよ。
じゃあやっぱり悪いのはイスラエル?
うーん、イスラエルに住んでいるユダヤ人は、ずっと自分たちの国がなくて、大きい戦争で700万人も殺されたりして、ずっと安心して暮らせる自分たちの国が欲しかったんだよ。
どっちが悪いかわからなくなってきたよ。
うん、パパもだよ。でも、たまたまイスラエルやパレスチナに生まれて、ただ仕事をして生活している人たちやその子供たちは、何も悪くないんだけど、そういう人たちがたくさん亡くなっているんだよね。
悲しいね。
そうだね。
そんなやり取りをしながら、かの地で、今まさに行われている凄惨な事態に思いをはせました。
マクロで見ると、人数や歴史的な経緯の問題にフォーカスしてしまいますが、憎悪の連鎖というものは、そういった視点だけでは絶対に解決はしません。またミクロで見ると、人道的に受け入れることのできない行動の背景には、罪なき家族や友人を殺められた個人の経験があるのだと想像できます。そうすると、正当性があるとまでは言えないものの、理解を示すことが出来てしまいます。
こういった圧倒的な出来事を前にして、個人の努力は根本的な解決という命題に対してあまりに無力で、祈りや願いといった行いもまた無力です。ただそれでも、やはりこの凄惨な状況がとにかく早く終わってほしいと、願わずにはいられません。
冒頭の、芸術とパレスチナという文脈で思い起こされるのは、正体不明のグラフィティアーティスト・バンクシーの存在です。バンクシーはイスラエルとパレスチナの問題に深い関心をよせ、過去に何度もパレスチナを訪れています。そして、市街の外壁や、二国間を分かつ700キロにもおよぶ、高さ8メートルの分離壁にグラフィティアートを残したり、ベツレヘムの分離壁の横に「世界一眺めの悪いホテル」というコンセプチュアルアートとしてのホテルを建てたりしています。
これらのバンクシーの作品を通して、この問題を知った人たちもたくさんいると思います。アートは時にそのやり方次第で簡単に国境を越えてしまいますが、しかしながら、皮肉にも、人はそうやすやすと国境を越えることは出来ないのです。