カナダ 公認会計士・菅野友美さん | カナダ・プリンスエドワード大学卒業。ボスキャリで世界4大会計事務所のデロイト・カナダ法人に就職内定。
小学3年生のときに出会った英語の先生はモルガンスタンレー出身のアメリカ人女性。金融のキャリアから教育の世界に身を投じ、日本に来て英語を教えている彼女の姿や言葉に共感と憧れを抱き、いつか海外という舞台で手に職をつけて自分のやりたい道に進みたいと決意。
高校を卒業するまで英語が全くできなかった菅野さんが、猛烈な努力を重ね、カナダの東にあるプリンスエドワード大学に入学・卒業。海外在住就活生の登竜門ボストンキャリアフォーラムにて世界4大会計事務所のひとつデロイトのカナダ法人への採用を経て、現在は公認会計士として活躍する菅野さんのキャリアを築く生き方に迫る。
■モルガンスタンレー出身のアメリカ人の英語の先生との出会い。英語漬けで努力した専門学校時代。
2008年、20歳の時にカナダに来たのですが、高校生までは福島で育ちました。もともと「海外で働きたい」とか、「手に職をつけたい」と思ったのは、小学3年生の時に週1回の英語の授業が始まり、その時にすごくかっこいいアメリカ人女性の先生がいたのです。その先生は、小学生の私に「英語が話せれば、アメリカでもカナダでも日本でも世界中どこでも働くことができます。」と教えてくれ、自身のキャリアや今どうして日本で英語を教えているのかなどを語ってくれたことがきっかけです。日本の大学への進学も考えていたのですが、英語を喋れるようになること、手に職をつけて自立していくためには海外に進学するべきだと考えました。
大学進学をずっとアメリカかカナダに行きたいと思っていたので、高校卒業後、そのまま留学することも考えたのですが、学費のことを考えたとき、アメリカの大学は高額だったため、カナダの大学に行こうと決めました。しかし、カナダの場合、国立大学が多いので比較的学費が安い分、入学条件であるTOEFLのスコア設定が高く、入学するのが難しい現実を知り…、正直、私は高校生の時はあまり英語ができなかったので、高校卒業後、カナダの大学に行くために単身東京にでて、TOEFLの勉強のために1年間寮に暮らし、専門学校に通いました。
海外進学のための専門学校では、40人程度のクラスだったのですが、ただでさえ英語のできない私がさらに気落ちしたのは、みんな普通に英語が喋れたのです…。入学時はTOEFLのスコアもクラス最下位で、先生からは1年で海外の大学に合格するのは厳しいと言われました。それがとてもショックで、正直泣いたことも福島に帰りたくなることもあったのですが、その度に自問自答しながら必死に勉強をしました。
■晴れて大学入学。しかし、生の英語についていけず単位も落とし、どん底の日々。
大学入学が決まり、カナダに来たのは良いけれど、学術試験であるTOEFLばかりを勉強してきた私は、スピーキングが全くできない状態でした。そのため、少し早く5月に渡加し、大学が始まる9月までの間、大学の授業を先に受講して9月からの新学期に備えるつもりでしたが、見事になにも分からず全ての単位を落としました。さらに、ホストファミリーが何を言っているのかまで分からない…。その時期は本当にどん底でした。毎日日本に帰りたくなる度に私を送り出してくれた両親の顔が浮かび、とりあえず1年間は頑張ってみようと、再び努力の毎日が始まりました。
周りには私の他に4人ほど留学生がいて、後にルームメイトになる中国人の子と毎日一緒に図書館で勉強しました。彼女は英語が流暢にできたので、悩みに悩んで強がりのプライドを捨てて、彼女に頼み込み勉強を教えてもらいました。他にも授業後に先生に時間を作ってもらうなどして、必死に頑張りました。
■あるとき気付いたら英語も喋れるように…1年頑張ったら、また1年頑張ろうと思えた。
12月頃、グループ・プレゼンテーションの授業が多くて、少し前の自分だったらカンペが無かったら全然意見を述べることができなかったのに、ある時オーディエンスからの質疑応答にしっかりと自分の言葉で答えられたのです。その時に、「あ、英語が話せるようになってきた!」と感じました。日本人がほとんどいない環境で、言葉もままならない状態でしたが、小学校時代から続けてきたバレーボール部に入部し、カナダ人のチームメイトもたくさんできて、遠征などで彼らと過ごす時間を重ねていくうちに友達もたくさんでき、英語に触れる機会が増えていったことが大きかったと思います。
■会計学を専攻し、デロイト・カナダに入社。会計士になる!
大学2年生のときに会計学を専攻し、プリンス・エドワード・アイランド州の観光局で会計関連のインターンをするなどして、自身の進路と就職の準備をしてきました。私はボストンキャリアフォーラムでデロイトから採用をいただいたのですが、就職活動の際は、ボストンキャリアフォーラムに行くということは、大学1年生の頃から決めていました。当時は、海外で就職したいとは思っていましたが、1、2年働いたら日本に帰りたいなと思っていました。今就職して5年目になるのですが、こんなに長くいることになるとは正直考えていなかったですけどね(笑)。
4大会計事務所といわれるうち何社からか採用をいただきましたが、デロイトを選びました。理由は、日系企業のクライアントが一番多いのと、日系企業を担当することもチャレンジできる環境があるという点に惹かれたからです。それと、実際に会計士になるためには、1〜3次試験のクリアと会計事務所で定められた勤務期間を満了しなければならないのですが、そのためのサポート・プログラムなどが一番充実していると思いました。
入社後はパブリック・カンパニー(株式公開企業)を担当するなどこちらもまたハードな毎日でしたが、これまでの努力の毎日と成長してきた自分を振り返り、会計士の資格も取ることができました。大学時代も4年間で一度しか帰国しなかった私ですが、両親に電話で合格を報告したときは、泣き合って喜び合いました。あの日のことは今でも鮮明に覚えていて、忘れられません。今でも思い出して泣きそうな気持ちです。
■子どもの頃思い描いていたなりたい自分に近づき、多忙な毎日ながらやりがいをもって走り続ける今。
■現在。女性の活躍が注目される昨今、カナダでキャリアを築く菅野さんのこれから。
私は今監査部門にいまして、今は念願だった日系企業を担当しています。会社の心臓ともいえる重要な部分を見れるようになり、監査とともにクライアントにとって最良な提案もできるようになってきたので、多忙ではありますが、とてもやりがいを感じています。
将来的には、会社から与えられる仕事をするだけではなくて、コンサルティングのような仕事にも興味があるので、M&Aや営業の仕事を獲得してくるなど、〝提案力〟が活かせるような仕事ができるようになりたいと思っています。
インタビュー後記
壁を越えたらまた壁がある。
大きければ大きいほど、乗り越える努力が必要で、その努力が「キャリア」となる。小学生時代からやり続けたバレーボールを大学でもチャレンジした彼女が培ってきたチームワーク力と、勝負の世界で鍛えられた、諦めない・倒れても起き上がる根性(芯の強さ)こそが、若手キャリア・ウーマンとして輝く菅野さんの芯の魅力に感じた。