【TIFF】第48回トロント国際映画祭レポート|特集「インタビューで綴る、文化の交差点 マンガ・アート・茶の世界」
昨年までのコロナ禍の影響がほぼなくなった今年、トロント国際映画祭(TIFF)は2019年以前のような賑わいを取り戻すかに思われた。しかしながら、初夏からの脚本家組合と映画俳優組合のストライキの影響を受け、来場するハリウッドスターが激減する事態に。ストライキ中は、組合に所属する脚本家や俳優による映画制作が止まるだけでなく、完成した映画の宣伝活動も制限されたためだ。
例年ならレッドカーペットにスター俳優が到着するたびに歓声が上がっていたKing Stは、賑わいはあるものの終始おだやか。舞台挨拶も、来場できないスター俳優からのコメントを、監督やプロデューサーが代読するものが多かった。それでも、世界各国から集まった多種多様な新作映画が数百本上映され、ストライキの影響を受けない世界中の著名な監督や俳優が登壇して観客との活発な質疑応答を繰り広げるなど、いつものTIFFと変わらない映画への熱気が感じられた。
熱狂的に迎えられたオープニング作品
『The Boy and the Heron』
今年、開幕前から大きな話題になっていたのが宮﨑駿監督の10年ぶりの長編アニメーション『The Boy and the Heron』(原題『君たちはどう生きるか』)で、プレミア上映のチケットは発売直後に完売。オープニング作品に日本映画が選ばれるのもアニメーション映画が選ばれるのもTIFFでは初のことなら、オープニング作品の上映チケットがこれほど早く完売してしまうのも、私が知る限り初のこと。監督本人はトロントに来なかったものの、開幕プレミア上映にはギレルモ・デル・トロ監督がサプライズ登壇して宮﨑駿作品への思いを語り、会場を沸かせた。
開幕上映の熱が冷めやらぬ翌朝、プレスオフィスにいたTIFFのスタッフに、「『The Boy and the Heron』のチケットは取れた?」と聞かれたので、「日本で観たからチケットは取ってないよ。日本ではもう劇場公開されてるから」と言ったら、「もう観たの!?」と心底うらやましそうにされた。宮﨑駿作品はこれほどまでに世界から注目されているのか、と実感する盛り上がりだった。最終的に、『The Boy and the Heron』は観客賞の3番目となる次々点に選出され、開幕前の熱量のままにトロントの観客に受け入れられた印象を受けた。
あれほどの人気ぶりだと、TORJA読者のみなさんはチケットが取れずに観られずじまい、なんて方が多かったのでは。だから映画の中身を詳しくは言わないことにするけれど、私が長年感じてきた「宮﨑駿監督らしさ」がフルスロットルで展開するような作品だった。それなのに、過去のどの作品でも見たことのない新たな世界へ連れて行ってくれる。ファンの方は、ぜひ北米公開を期待してほしい。
たくさん上映された
日本関連映画
開幕作品以外にも、今年は日本関連の映画がたくさん上映された。
ヴィム・ヴェンダース監督が東京・渋谷を舞台に撮った『Perfect Days』では、主演の役所広司がレッドカーペットに登場。取材に入ったTORJA編集部のカメラにも快く応じ、「トロントに住んでいる日本の皆さん、『Perfect Days』、素晴らしい映画です。ぜひ劇場に足を運んでください。よろしくお願いします」とTORJA読者へメッセージを寄せてくれた。
是枝裕和監督の『Monster』(原題『怪物』)は、先月号でインタビューとプレミア上映後の質疑応答の様子をお伝えしたとおり。質疑応答では、過去の監督作品に言及した質問も複数挙がり、トロントでの是枝監督の人気を改めて感じた。
濱口竜介監督の『Evil Does Not Exist』(原題『悪は存在しない』)は、ちょうどTIFFでの上映直前に、ベネチア国際映画祭での銀獅子賞(審査員大賞)受賞のニュースが飛び込んできた。ベネチアに行っていた濱口監督はトロントには現れず。TIFFでの上映前に司会者が「残念ながら濱口監督は会場に来られませんでしたが」と挨拶すると、満席の会場からは残念がる声が聞こえてきた。
コンペ部門の上映作
『Great Absence』
TIFFのコンペティション部門であるプラットフォーム部門には、近浦啓監督の長編監督第2作となる『Great Absence』(原題『大いなる不在』)が出品された。2018年のTIFFで上映された長編初監督作『コンプリシティ 優しい共犯』に続いて藤竜也が主演する、父と息子を中心とした家族の物語。
認知症を患う父を演じる藤竜也が、もう認知症患者にしか見えなくて、びっくりする。意識が明晰なときと、自分のことがよくわからなくなるほどぼんやりしているときを行ったり来たりしながら症状が進行していく。そんな認知症の様子を見事に体現していて、本人も自分の行動に戸惑ったり苛立ったりするところがリアル。原日出子演じる後妻や森山未來演じる息子もこのギャップに困惑するし、認知症が進行していても以前と変わらぬ受け答えができる瞬間もあるから、意思疎通がうまくいかないときの哀しさや寂しさが増す。一進一退の病状に合わせて記憶が飛ぶように時系列が切り替わる構成で、認知症に翻弄される本人や家族の思いを観客も丸ごと体感できるようになっているから、上映時間が2時間半と長くても飽きない。
上映後の質疑応答で、この物語を作るに至った経緯を司会者から尋ねられたとき、近浦監督は2020年に父親が認知症を突然発症したことがこの作品に大きく影響していると答えていた。実体験に基づく話だからこそ現実味あるエピソードが積み重ねられていたのかと納得した。
日本のテレビ番組が題材のドキュメンタリー
『The Contestant』
ドキュメンタリー部門のTIFF Docsでは、イギリスのクレア・ティトリー監督による日本のテレビ番組を題材にした『The Contestant』が上映された。
1998年に日本テレビのバラエティ番組『進ぬ!電波少年』の企画で、懸賞に応募して当選した商品のみで生活するルールのもと、ひとりの男性が15か月間にわたりアパートの一室に閉じ込められて暮らす様子が放送された。
『The Contestant』は、この番組で一躍有名になった男性、なすび(浜津智明)の半生に迫るドキュメンタリー映画。懸賞生活がどのように始まってゴールを迎えたのかの一部始終を、当時の番組映像で見せる。その合間に、なすびと電波少年の土屋ディレクターを中心に、なすびの家族や友人、当時の番組制作に関わったスタッフなどのインタビューをはさみ、当時考えていたことを振り返ってもらう構成。
懸賞生活が終了した後のなすびの苦労や、福島出身のなすびが東日本大震災後に地元の復興を目的に富士山やエベレストへの登頂に挑戦する様子も語られる。
番組放送当時、とても話題になっていたので私はもちろん懸賞生活のことを知っていたし、毎週ではないけれど何度か番組を見たこともある。当時は、ひとりの男性を実験台に、すごいことをやっているなと思ったものの、面白おかしく見た記憶しかなかった。今こうして一部始終を見ると、とんでもないことをやっていたんだなと驚く。熱心に見ていたわけではないとは言え、無神経に笑ってコンテンツとして消費していた自分も、世間の一部としてとんでもないことに加担していたと気づかされる。
一般向けの上映チケットは人気で取れなかったのでプレス向けの上映で観たけれど、プレス上映にもかかわらず最後は少し拍手が起っていた。「Crazy」とつぶやく声も聞こえてきて、驚きをもって受け止められている印象を受けた。
終戦直後の日本を描いた
『Shadow of Fire』
世界各国から多様な映画が上映されるCenterpiece部門では、塚本晋也監督の『Shadow of Fire』(原題『ほかげ』)が上映された。
終戦直後の日本を舞台に、身体を売って稼ぐ女性、復員兵の青年、戦災孤児の少年が、半焼けの居酒屋で家族のように暮らすようになる。塚本監督が『野火』(2014)、『斬、』(2018)に続いて戦争を扱い、苦境を生き抜く少年の目を通して、戦争を生き延びた人々が痛みや闇と向き合う姿を描いている。
戦争で極限の状況に追い込まれた人間の狂気がリアルに迫ってくる『野火』と似ていて、本作もやたらと恐ろしい。戦場そのものが描かれた『野火』とは違い、目の前に戦場があるわけではないのに、すぐそばにいつまでも戦場がつきまとっているように感じられる。女性や子供が中心にあるために、兵士が主人公だった『野火』より身近に感じられる恐ろしさもある。そのせいか、95分と短めの上映時間にもかかわらず、この世界がいつまで続くのかと思ってしまうほどだった。
上映後の質疑応答では、家の中の狭い場所を舞台にしたことについて、どのような挑戦があったか、との質問があった。これに対し塚本監督は、最初は闇市で生きる人々が大乱闘を繰り広げるような世界を構想していたが、それだと大規模になりすぎるため、4人を中心に描くことで、小さい規模でも周囲の世界を感じさせるようにすることが挑戦だったと答えていた。
例年アカデミー賞の有力候補となる
観客賞受賞作『American Fiction』
今年、観客賞を受賞したのは、コード・ジェファーソン監督の『American Fiction』だった。『American Fiction』は、パーシヴァル・エヴェレットの小説「Erasure」を原作にコード・ジェファーソンが脚本を書き、初監督を務めた作品。
ジェフリー・ライト演じる英文学の教授で作家の黒人男性が、久しぶりに新作小説を書くも、出版社から「黒人らしさが足りない」などと言われてしまう。やけっぱちで典型的な黒人の描写を入れた小説を偽名で書いたところ、ベストセラーになってしまう、という社会風刺のきいたコメディ。
コード・ジェファーソン監督って私は聞いたことがなかったけど、監督デビュー作なのに話題作が中心のSpecial Presentations部門で上映されるなんて珍しいな、と思っていた。さらに、現地では上映前からチケットが入手困難になっていたので、これはどうやら観ておいたほうが良さそうだぞ、と思っていたところ、早朝のボックスオフィスで運良く当日券が入手できた。観てみたら、皮肉まじりのエピソードが次々繰り出され、会場は笑いの連続。「そりゃ売れたかったけどさ、冗談のつもりで書いたのに、まさかこんなことになるのかよ」という感じで、思ってもみなかった潮流に飲まれていく主人公を演じるジェフリー・ライトが、静かなたたずまいでコミカルな演技を繰り出す。根底に社会問題がありながら、それを終始意表を突く笑いに変えて見せるところが面白く、観客賞受賞も納得だった。
観客賞の次点
『The Holdovers』
観客賞は毎年3番目まで発表されていて、今年の観客賞の次点だったのが、アレクサンダー・ペイン監督の『The Holdovers』だった。『The Holdovers』は、1971年のエリート寄宿学校を舞台に、冬休みに帰省先がない生徒と、その面倒を見る嫌われ者の教師を描いた青春ドラマ。
欧米の冬休みと言えば、たいていは家族でクリスマスを祝うから、寄宿学校でも大多数の生徒が家族のもとに帰っていく。そんな時期に帰省せず残る生徒は、エリート校に通う裕福な家庭の出身者でも、家族のもとに帰れない複雑な事情を抱えていたりするわけで。さらに教師のほうも、家族のもとに帰らずにすむ独り身で、いろいろと事情を抱えていたりするわけで。
そんなクセのある教師と生徒が、冬休みをともに過ごすうちに教師と生徒の壁を超えてひとりの人間としてぶつかり合い、互いに理解を深めていく。その過程では、生徒に教師が振り回されるドタバタ喜劇的なところもあれば、わだかまりを抱える教師のやりきれなさや、生徒が家族に抱く寂しさといった苦い感情もあり、描かれるエピソードの喜怒哀楽がとても豊かだった。
上映後の質疑応答で、本作ではアレクサンダー・ペイン監督が脚本を書いておらず、監督を引き受けたのかと聞かれたとき、引き受けたというより進学校を舞台にしたこの作品を約10年前から構想していたと答えていた。自身では脚本を書くまでの企画開発ができていなかったところ、この作品の原型となる脚本のパイロット版を4、5年前に入手し、脚本家のデヴィッド・ヘミングソンに連絡して、この作品ができたとのこと。また、監督自身が進学校の出身なのかとの質問には、この作品のような寄宿学校ではないが、似たような男子校の出身だと答えていた。
勝手に個人的観客賞
『Quiz Lady』
TIFFの観客賞とは何も関係ないけれど、私が今年のTIFFで40本近く観た作品の中で一番好きなのがジェシカ・ユー監督の『Quiz Lady』で、勝手に個人的観客賞ってことにした。
オークワフィナ演じるクイズ番組好きのおとなしい女性が、母親の借金のかたに愛犬を誘拐され、借金返済のためにクイズ番組に出演して賞金を稼ごうと、サンドラ・オー演じる派手な姉に連れられて旅に出る話。
わかりやすいコメディなんだけど、どこまでも気持ちよく見せてくれて、面白さがことごとく期待を超えてくる。オークワフィナのくるくる変わる表情とサンドラ・オーの弾けんばかりの全身の動きが、やりすぎ感満載で漫画みたいなのに、ちっとも不自然にならない奇跡。ふたりの掛け合いがひたすら楽しいし、隣家の老女やクイズ番組の司会者、クセのあるクイズ王たちとのちょっとしたやり取りも、いちいち楽しい。でもそれだけで終わらず、ほろりとさせる場面もある。と思っていたら、ほろりとさせる場面も最後は笑いで落としてくる。すがすがしいまでのコメディだった。
エセ殺し屋の七変化が楽しい
『Hit Man』
こちらもTIFFの観客賞とは何も関係ないけれど、私が観た中でとても面白かったのが、リチャード・リンクレイター監督の『Hit Man』。学生に哲学を教える傍ら、警察のおとり捜査に協力していた教授が、殺し屋に扮して潜入捜査することになる。殺し屋を演じて依頼人と接触していたはずが、死人が出て本物の犯罪に巻き込まれていく、という話。おとり捜査に偽の殺し屋を使って、殺人を依頼してきた人を逮捕するところは、実話を元にした話。
殺人を依頼してきた人が本物の殺し屋だと思い込むよう、主演のグレン・パウエルがあの手この手で殺し屋に扮するときの七変化が、もう仮装大賞かというほどに楽しくて、それだけでずっと見ていられる。さらに、ちょっとした行き違いから予想もしていなかった方向に物語が転がっていくときのグレン・パウエルの反応やら挙動やらが、これまた可笑しい。リチャード・リンクレイター監督ならではだなと思う会話の面白さもあり、実話に着想を得た話とは思えないくらい楽しい話だった。
上映後の質疑応答では、司会者からリチャード・リンクレイター監督に、この作品の始まりについての質問があった。リンクレイター監督は、殺し屋に殺人を依頼しようとした人が逮捕されたという2001年の記事をずいぶん前に読み、映画化したいと思っていたところ、パンデミックの最中にグレン・パウエルもその記事を読んだと連絡を受け、企画が動き出したと回答。グレン・パウエルの相手役を務めるアドリア・アルホナの配役については、Zoom越しに脚本を読んでもらったときに「彼女だ!」と思って、グレン・パウエルに連絡したのだそう。すぐに2人に会ってもらい、数時間後には決まったと言っていた。
ミッドナイト・マッドネス観客賞
『Dicks: The Musical』
TIFFの観客賞は、アカデミー賞の前哨戦と言われるPeople’s Choice Award以外に、ミッドナイト・マッドネス部門とドキュメンタリー部門からもそれぞれ選ばれている。今年、ミッドナイト・マッドネス部門ではラリー・チャールズ監督の『Dicks: The Musical』が観客賞を受賞した。
『Dicks: The Musical』は、父親と母親に別々に育てられて生き別れになっていた一卵性双生児の兄弟が、自分たちが双子であることを知り、家族みんなで暮らすために入れ替わって父と母を復縁させようとするミュージカルコメディ。双子の兄弟も父親もゲイだったかと思えば、アノ人もゲイだし、母親の性器はどこかに行方不明になっているし、父親は下水で捕まえた未知の生命体を飼っているし、と訳のわからない話が次々飛び出して、歌と踊りに乗せて笑いが加速しながら進んでいく。下ネタ満載の笑いで、性的嗜好も異形の存在もひっくるめて、すべてを肯定して笑い飛ばすような作品だった。なんだか『ロッキー・ホラー・ショー』を初めて観たときの衝撃と似ていて、何が起こっているのかよくわからないのに、ひたすら楽しい映画だった。
世界中の映画が楽しめるTIFF
ストライキの影響でハリウッドスターの来場が激減した今年、レッドカーペットを賑わす華やかさはトーンダウンし、少し地味な開催となった。しかし、そんな中でも『ストップ・メイキング・センス』の40周年記念IMAX上映にトーキング・ヘッズのメンバーが集結してスパイク・リー監督の司会のもとで質疑応答を実施したり、「In Conversation With…」のプログラムにシルヴェスター・スタローンやアンディ・ラウが登場したりと、豪華な企画がたくさん実施された。
また、昨年までのContemporary World Cinema部門が今年からCenterpiece部門に改められ、世界の多様な映画を上映するTIFFの中心的部門と位置づけられた。これに偽りなく、世界各国から様々な映画が集められ、それぞれ上映後には監督や出演者と観客との活発な質疑応答が実施された。そこには、ハリウッドスター不在でもこれまでと変わらず世界中の映画を楽しむトロントの観客の姿があった。