日本を代表するフェミニスト、ジェンダー研究のパイオニア 上野 千鶴子さんインタビュー
日本の高齢者介護政策について、日本のフェミニズムを牽引してきた社会学者である上野千鶴子さんがトロントで講演。TORJA編集部では、女性学の第一人者である上野さんに日本とカナダ、世界を比べながら日本における現代の女性問題や社会問題についてお話を伺った。
これまでに上野さんをはじめとする多くのフェミニストの方達の活動のおかげで、今、多くの女性が大学に進学するだけでなく、休学し海外留学を経験するなど、より選択の幅が広がってきていると思います。今後、このようにアクティブな女性が増えることによって、日本社会にどのような変化があると思いますか?
現在、日本は少子高齢化と不景気に苦しんでいますから、女性の力で日本社会が変えられるかは分かりませんが、昔よりも女性の選択肢が増えたのは確かです。しかし、この数十年間の日本のネオリベラリズム改革の過程で男女格差だけでなく、女女格差が生まれ、トクをする人とソンをする人に分かれてきました。雇用機会均等法以後総合職で働く女性が増える一方、現在働いている女性の6割が非正規雇用です。新卒の時から、派遣や契約など、非正規雇用の労働市場に投げ込まれる若い女性もいます。そうなるとこのような人たちは婚活せざるを得なくなります。
女性の社会進出に伴い日本では結婚率が低下しているようですが、それについてはどうお考えですか?
『何を怖れる』というフェミニストドキュメンタリーの中にも出てきたように、昔の女性は結婚以外に生きる道がありませんでした。今では結婚はしてもしなくてもよい選択肢のひとつになりました。結婚すること、結婚しないこと、または離婚すること、どれも自由に選べるようになり、どれを選ぼうと後ろ指を指されることが相対的に少なくなったのは女性にとってよいことだと思います。ただし、女性の社会進出が進み、男女平等の条件が整いつつあるように思われがちですが、実際にはそんなことはありません。総合職女性は男性と同じ条件で仕事をしなければなりません。自身のキャリアに加え家事・育児をこなさなければならなくなり、大きな負担がかかっています。今の日本では、キャリアと家庭を両立することは非常に困難です。
今現在日本では結婚率だけでなく、出生率も下がり、少子高齢化が進んでいますが、それに関してはどうお考えですか?
少子高齢化が進むことによって誰が困るのですか?個人の自由な選択によって出生率が下がるのは食い止めることができません。このまま人口減少社会にふさわしい制度設計に軟着陸したらいいのです。これによって若者が年金を負担する率が大きくなるというのは間違った考えです。本来年金というのは納めた人が受け取れるものであって、積み立てたものを自分が受け取る積み立て方式から賦課方式、つまり世代間仕送り方式に変えたのは政府です。これまでのように積み立てた人が自分のお金を受け取るのであれば、何の問題もありません。
日本で男性が育児休暇を取得することについてどう思いますか?
まず育児休暇がとれるのは正職員だけで、非正規雇用の人は育児休暇 を取得することができません。先ほど述べたように女性の多くが非正規雇用で仕事をしており、育児休暇を取得する権利がありません。正社員として働いているほとんどの女性は権利を堂々と行使するようになりました。該当者の9割以上が育児休暇をとっています。ですが、男性は全体の1.4%しか育児休暇を取得していません。日本の男性は親になっても働き方を変える人が著しく少ないのです。
カナダの育児休暇が1年から1年半に延長される提案があがっていますが、日本の育児休暇ももっと長くするべきだと思いますか?
育休期間を1年半に延ばすことは本当に女性が望んでいることなのでしょうか?日本で安倍総理は育児休暇を3年に延ばそうという発言をしましたが、女性はそれを望んでいません。早く社会復帰したい人もたくさんいますし長ければいいとも限りません。
例えば多くの看護師さんは3年も休んだら現場に戻れないと言ます。育休中の女性も、全くの休職より、週に1回でも職場に行きたい、人と繋がっていたいという人も多いです。ちょうど授乳期間も終わりますから、育児休暇は1年あれば十分でしょう。
映画の中で子供は早く産んで早く保育所に預けた方が良い、と言っていましたが子供と触れ合う時間が短くなるとは思いませんか?
子供と24時間ずっと一緒に過ごさなければならないわけではありません。子供を預けると言っても昼間だけ預けて朝晩は一緒に過ごしています。たとえ短時間でも子供は自分の親を絶対に間違えません。自分をもっとも大切にしてくれる大人を識別しているからです。それに少子化社会では兄弟がいませんから、保育所や幼稚園のような環境で子供の社会性を育てることが重要になっています。
日本のメディアでは共働きの家庭で夜遅くに寝ている子供を保育園に迎えに行く様子が取り上げられたりしていますが、夜も一緒に時間を過ごせない家庭もあるのではないでしょうか?
それはとても極端な例です。保育所は原則5時までで、それ以降の夜7時や8時まで子供を預かっているところは例外です。または当人たちの働き方次第で、総合職で8時や10時まで帰れない、という職場の女性には、そういう長時間保育を活用している人もいるでしょう。それでも日本の育児を取り上げた番組はネガティブなところばかり映しているように感じます。
日本の保育所は世界的に見て質もとても高いですし、公的扶助も手厚く、カナダよりも安いです。メディアに騒がれている、保育園が足りないというのは0歳児から3歳児までで、決定的に足りていないのは0歳児保育、病児保育、延長保育、それと夜間保育です。保育所が足りないのは人材不足も原因の一つで、保育士が少ない理由は労働条件が悪すぎるからです。
3歳児以上は保育士1人当たりが担当できる児童の数も多く、希望すれば比較的容易に入園できますが、0歳児から3歳児までは、保育士1人当たりが担当できる児童の数も少なく、コストが高くなります。安倍総理が育休を3年にしようと発言した理由の一つは、この1番不足しており、もっともコストのかかる0歳児から3歳児の期間の育児支援をしなくてすむようにするためです。
保育所問題解決まではまだ長い道のりのように感じますが、昔と比べて日本はよくなったという点はありますか?
セクハラは大幅に減りましたし、DVも問題化されるようになりました。昔の男性は当たり前のように通りすがりにお尻を触っていたのに比べて、今はセクハラに関して世間も非常に厳しくなりました。これは今日に至るまで、告発したり訴訟に持ち込んで闘った女性たちのおかげです。またCMなどで性差別的な表現をすることにもクレームがつくようになりました。最近では夫が育児に「協力する」という言葉を使うのはアウトになりました。本来夫婦で育児を行うのが当然ですから、夫が育児に「参加する」と言うべきなのです。
今の日本は世界的に見てどう思われますか?
今の日本は身分社会になってしまいました。40年前、日本は一番裕福な人とそうでない人の格差がOECD諸国の中でスウェーデンに次いで2番目に小さかったのですが、現在はアメリカに次いで2番目に格差が大きい国になってしまいました。この格差は政治がもたらしたものですが、国民の多数派もその政治を支持してきたのです。その結果、女性は男性と同じ条件で男性並みに過労死するまで働くか、それができないなら二流の女向け指定席に甘んじるか、という両極端の選択を迫られ、女性の間に大きな格差ができています。
現在は一見多くの権利が守られ、女性の立場も非常に良くなったように感じますが、それでも先ほどおっしゃられたように貧困に陥る女性が多いのも事実です。今の女性はどのように抗議すればいいのか分からない、批判されるのが怖いなど、戦い方が分からない若者が増えているように思いますが、今後、どのようにすればいいでしょうか?
私たちの時代は女性に選択肢がありませんでしたから、闘うしかありませんでした。今の女性が闘い方をわからないと言っても、仲間を作れば怖くはありません。逆に言えば孤立したら負けです。私も批判を沢山受けてきましたが、それと同じくらい味方になり支持してくれる仲間がいます。抗議をしたり、声を大にして意見を述べて動けば必ず賛否双方の反応があって当たり前です。何も批判を受けたくなければ、じっと黙っているしかありません。今の女性も私たちの時代とは違う悩みや困難を持っています。同じ闘い方はできなくても、闘う必要は少しもなくなっていません。
今後の目標を教えてください。
女性運動の世代交代ですね。今の社会ではネットに出ていないと若者は見てくれません。みんな何か調べるときにはすぐにウェブ検索しているでしょう?ネット上にいないのは存在していないのと同じです。私が現在3代目理事長を務めている認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)の創設者は、もともと日本で初のウィメンズブックストアの店主だった女性ですが、もう本の時代は終わって今はネットの時代だといち早く気づき、ウェブサイトの構築を提案し、多くの女性を巻きこんでここまで来ました。今はこの活動を引き継いでくれる次世代の人にバトンタッチをしなければならないと思っています。
ワーキングホリデーや留学でカナダに来ている女性に、メッセージをお願いします。
仕事でのストレスや差別を受けて会社を辞めることになり海外に来ている女性も多いと思います。日本では自分の力を生かすことのできない女性の頭脳流失が非常に多いですね。日本社会は差別のせいで、せっかくの人材を失っています。ここカナダ・トロントで身につけた力を日本に持ち帰ってほしいですね。社会や政治は全て人間が変えていくものなので、今蓄えている力を思いっきり使って日本を変えてください!
上野 千鶴子氏による講演会 「日本の高齢者介護政策」
午前に行われた映画上映会では『折梅』や『レオニー』の映画監督、松井久子氏が撮った初のドキュメンタリー作品「何を恐れる、フェミニズムを生きた女たち」が上映された。日本のリブとフェミニズムを同時代に生きた女たちの生の記録を綴ったもので、日本の女性問題、女性の社会進出やこれまでの女性学の歴史が取り上げられていた。上映後には同映画にも出演している上野千鶴子氏が駆けつけ、質疑応答が行われた。
午後に行われた講演会は日本の高齢者介護政策がテーマで、会場は席が足りず立って聞いている人もいたほど大盛況なものだった。講演内容は、”Aging in place, dying at home 最期を自宅で迎える”という選択について。ベイビーブームに生まれた世代が高齢者層に推移し、一人暮しの高齢者が増加している。また亡くなる人の約80%が病院死であると言われており、このままではピーク時には、1年で約50万人が死に場所を見つけられないと予想されている。そこで上野氏が注目したのが在宅ひとり死である。
上野氏によれば本人の強い意志、医療介護資源、保険でまかなえない部分の少しの資金があるという条件のもと、24時間体制オンコール式のホームヘルパー、ホームナーシング、ホームドクターを揃えることができれば、例え末期のがん患者であっても一人暮らしの在宅死は可能になるそうだ。加えて本人の意思決定を導く司令塔の必要性を述べ、中でも医療・看護・介護・福祉・保健に精通した、在宅医療ネットワークにおける多職種連携のキーパーソンになるであろう、トータルヘルスプランナーに焦点があてられた。
上野氏による講演後、トロント大学名誉教授のSheila Neysmith氏よりカナダの高齢社会事情のお話を伺い、考察をいただいた。講演会全体を通して上野氏が一番に訴えていたことは、決定権は当事者にあり、大切なのは本人の強い意志と家族の理解を得ることだそう。上野氏による講演は誰にでも必ず訪れる「死」という非常に考え深い内容であり、その後行われた質疑応答では時間いっぱいまで質問が寄せられ、講演終了後も上野氏の周りには多くの人が集まり、関心の高さが伺えた。
上野 千鶴子さん
1948年富山県生まれ。立命館大学特別招聘教授。京都大学大学院社会学博士課程修了。1995年から2011年3月まで東京大学大学院人文社会系研究科教授。2011年4月に認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長就任。専門は女性学、ジェンダー研究。この分野のパイオニアであり、指導的な理論家のひとり。高齢者の介護問題にも関わっている。著書には1994年『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)でサントリー学芸賞受賞。2012年度朝日賞受賞。他、『老いる準備』(学陽書房)、『ナショナリズムとジェンダー』(岩波現代文庫)、『みんな「おひとりさま」』(青灯社)、『何を怖れる』(岩波書店・共著)、『老い方上手』(WAVE出版・共著)、など多数。最新刊に『思想をかたちにする』『セクシュアリティをことばにする』(いずれも青土社)。