【カナダの多文化社会で紡ぐ日本語教育の未来】オンタリオ州日本語弁論大会実行委員長 トロント大学東アジア学科 善積祐希子助教授|特集「令和7年新年特別インタビュー」
移民大国カナダでは、多様な文化や言語が共存し、日本語もその一つとして注目を集めている。移住者の増加や国際結婚、バイリンガル環境で育つ次世代の中で、日本語は単なる言語学習を超え、家族やコミュニティー、さらには多文化共生社会での架け橋として新たな役割を担っている。オンタリオ州日本語弁論大会実行委員長であるトロント大学・善積祐希子助教授に、日本語教育の多様な魅力と課題、継承言語としての日本語の重要性、さらには異文化理解を深めるための教育の可能性とカナダにおける日本語学習とその未来像について伺った。
2025年3月1日土曜日
13:00〜18:00(入場無料)
Innis Town Hall (IN112), Innis College, University of Toronto,2 Sussex Avenue,Toronto ON
ー弁論大会のこれまでの歩みについてお聞かせください。
オンタリオ州日本語弁論大会は、1983年の第1回目から毎年開催されており、トロント大学を会場に、同州の日本語教育関係者が実行委員会を組織しています。毎年3月上旬に開催され、出場者は自分の日本語学習の成果を発表する機会として、初級から上級、オープン部門まで、学習時間や日本語を家庭で使うかどうか、日本に滞在したことがあるかなどに応じた4つの部門に分かれてスピーチを行います。
大会は、参加者が自分の日本語の力を披露する場であるだけでなく、他の出場者との交流や情報交換の場にもなっており、学び合いの貴重な機会となっています。また、日本語教育者間の交流の場にもなっています。
さらに、オンタリオ州における日本語教育の促進と発展を目指す場でもあり、日本語学習者や教育関係者だけでなく、日本に興味がある一般の方々にも広く呼び掛けています。
毎年、踊りや演奏、武道など、日本文化を紹介するパフォーマンスが行われ、参加者たちが新たな興味をもつきっかけとなることも大切にしています。
心を動かすスピーチと学びの成長
ー善積さんにとってこれまでの弁論大会における歴史の中で特に印象深いエピソードを教えてください。
これまで学習者の素晴らしいスピーチを聞き、その中で心に残る瞬間や、学習者の新たな一面に触れる貴重な機会もありました。中でも、ある年の四国遍路の思い出のスピーチは、特に印象深いものでした。お遍路中の情景、例えば道を進むうちにお寺の屋根が見えてきたり、お香の香りが漂ってきたりといった描写は、聞いている私の目の前にも鮮明に浮かび、まるで一緒に旅をしているかのような不思議な感覚を覚えました。スピーチを聞きながら、そのストーリーに自分も入り込んでいるように感じたのは初めてのことで、だからこそ非常に印象深い体験となりました。
この学習者は普段から作文が得意で、英語でも文章を書くのが好きだと話していましたが、日本語で様々な表現を駆使してスピーチを書き上げ、それを見事に披露したことに、驚きと感動を覚えました。
また、普段からコツコツと勉強に励み、日本語を正しく使えるようになることを目標とする学生がいました。その学生は哲学も学んでおり、哲学に基づいたトピックを日本語で考察し、議論を深めていく姿がとても印象的でした。ただ日本語を上達させることだけが目的ではなく、自分の学びと日本語を結び付け、そのトピックを考察・分析し、自分の考えを日本語で伝える姿に心を動かされました。
日本語の学びを超えて、自分の学問分野と融合させていることで成長していく姿は、弁論大会ならではの成果だと感じました。
これらの学習者の姿や成長は、弁論大会に参加することで初めて知ることができたと実感しています。教室内での様子や学習のプロセスだけでは見られなかったであろう一面や成長を知ることはできなかったでしょう。このような経験は、私たち日本語教師全員が共感できるものではないでしょうか。
ー参加者のスピーチを通じて、日本語という言語の特性や可能性について新たに気付かされたことがあれば教えてください。
初級部門のスピーチでは自分の体験や身の回りで起こった出来事について発表する内容が多く見られます。中級部門になると、体験から得た学びや当時の感情など、より深い内容が加わります。そして上級部門では、自分の経験だけでなく、社会で起こっている出来事や現象を客観的に分析し、熟考した上で、自分の考えや意見をまとめて発表するという内容が中心となります。学習が進むにつれて、日本語を使って表現できる内容がより豊かになり、深い思考や社会に対する意識を反映したスピーチをするようになります。そして、私たちもそのようなスピーチの内容を通じて、多くの気づきやインスピレーションを得ることができます。
ー日本語弁論大会が参加者にとって日本語学習や言語能力の向上にどのような効果をもたらしていると思いますか?
教室で習う語彙や文法というのは基礎的な部分ですが、スピーチのために自分の考えを日本語で表現するプロセスには、それを越えた実践的な挑戦が含まれます。単に習ったフレーズをそのまま使うのではなく、言いたいことを工夫して伝えたり、内容に合わせて適切な表現を選んだりする必要があるため、授業だけでは得られない日本語の学習体験となります。
また、スピーチの内容を考える際、自分のものの見方を再発見したり、トピックについて理解を深めていけるでしょう。
こうした機会は、授業のプロジェクトなどでも得られるかもしれませんが、3~4分というスピーチにまとめ、多くの人に聞いてもらうという体験は学校ではなかなかできない特別なものです。
さらに、大会を通じで他校からの参加者と接することにより、多様な視点や表現に触れることができます。このような交流は、学習者によって新たな刺激となり、言語能力の向上だけでなく、文化や価値観の違いを学ぶよい機会にもなっていると思います。
多文化社会における日本語学習の意義と進化
ーオンタリオ州のような多文化社会で、日本語を学ぶ意義や、日本語が国際的に果たす役割についてどのようにお考えですか?
トロントのような多様な背景を持つ人々が集まる都市で生活していると、多様性に自然と気づかされます。その中で、日本という遠く離れた国の言語を学ぶというのは、トロントで生活する上で特に必要とされるものではないかもしれません。しかし、遠く離れた国の言語や文化を学ぶことは、自分にとって身近な世界を越えて、外の広い世界に目を向けるきっかけになります。
日本語学習を通じて、日本で起こっている出来事やトレンドを知ることは、一つの新しい経験です。そしてその経験は、他の文化や言語に触れた際の理解力や受容する力を高めることにもつながります。日本語や日本文化について深く知ることだけでなく、その学びのプロセス自体が、異文化理解や異なる視点を受け入れる力を育む貴重な機会になると感じています。
ー近年、日本語学習者の背景や目的に変化を感じることはありますか?例えば、アニメやポップカルチャーの影響など、新しい動機づけが見られますか?
昔は日本語を学ぶ動機の一つとして、ビジネスのためという理由が主流だった時代もあったかと思います。しかし、私が日本語教師を始めた頃には、日本のポップカルチャー、特にアニメや音楽への親しみが学習へのきっかけになっている学生が多く見られました。実際、1年生レベルを教えていると、アニメや漫画、ゲームなど日本のポップカルチャーへの興味や、日本を旅行してみたいという希望が主な動機として挙げられます。
しかし、日本語学習が進むにつれて、学生の日本語学習の目的や動機も変化していくように思います。例えば、4年生レベルの学生を見ると、大学院留学、日本での生活、あるいは仕事で日本語を活用したいという、より具体的で将来の人生設計に関連する目標を持つ学生が増えてきます。このように、学習者が日本語を学び続ける中で、目標が個人的な興味からキャリアや生活に結びついたものへと変わっていく様子が見ることができるのは、教える側としても非常に興味深いです。
ー今後、この弁論大会をどのように発展させていきたいとお考えですか?
これまで多くの企業や団体、たくさんの方々のご支援をいただきながら大会を続けてきました。今後も学習者間、また教育者間での交流をさらに活発にし、また日本語教育とは直接関わりのないコミュニティーや諸団体に対しても、オンタリオ州における日本語教育の成果を披露し、その重要性に対する理解と認識を広げていきたいと考えています。
オタワ大学で博士号取得、日本語と言語学の教育へ
現在はトロント大学東アジア研究科に在籍されております。
オタワ大学の大学院時代、論文執筆の段階に進んだ際にオタワからトロントに引っ越してきました。そしてトロントでも日本語教育を続けられないかと思っていたところ、トロント大学非常勤講師の募集があったので、それに応募したのが始まりです。その後、夏のコースを担当するなどしました。
そして、学位取得後、約2年間アルバータ州のレスブリッジ大学で日本語と言語学を教えましたが、再びトロントに戻り、トロント大学で非常勤講師を続ける傍ら、国際交流基金トロント文化センターで職員として日本語教育に携わりました。そして、トロント大学の専任のポジションに応募して、専任教員となりました。
善積さんのこれまでの歩みや、カナダとの最初のつながりについてお聞かせください。
福島県に生まれ育ち、大学から東京で生活しました。父の影響で子どもの頃から海外や英語に興味を持っていました。中学時代には、カナダ・サマースクールというプログラムに参加し、数週間バンクーバーで過ごした経験がカナダとの最初のつながりです。その後、学生時代に、モントリオールやトロントでの短期留学を経験し、カナダの大学院での勉強と研究のためにカナダへ来ました。
どのようなことを研究されたり、教えたりされているのでしょうか?
日本語を教える仕事をしていますが、その中で自分の専門分野に関連するテーマを授業に活かすこともあります。例えば、日本の先住民について取り上げ、彼らの歴史や文化、生活についての文章を読んで話し合うこともあります。
また、アルバータ州南部に住む日系カナダ人の皆さんのストーリーを学生に聞かせ、日本国外で日本語を話すコミュニティーの存在を紹介することもあります。
教科書で習う日本語だけではなく、日本語にも多様性があるということや、教科書には載っていない日本文化や日本社会についても、自分の教育を通して学生に伝えたいと思っています。
善積さんが現在のキャリアである日本語と言語学を選ばれた背景についてお聞かせください。何がその道へのきっかけとなったのでしょうか?
日本での学部生時代、英文学科で最初はシェークスピア文学を学びたいと考えていましたが、英語学の授業を受け、英語の歴史を学ぶうちに、言語そのものへの関心が深まりました。特に、社会言語学という分野に出会ったことで、社会が言語に与える影響について興味を持ちました。
日本では、みんなが同じ日本語を話しているのではなく、年齢差や男女差、地域差によって違いがあります。さらに、個人レベルでは、話し手と聞き手の関係性や年齢、性別など、様々な要因が影響し、一人一人が話す日本語は同じではなく、日常の中で使われる日本語にはバリエーションがあるということを学び、さらに興味を持ちました。
また、カナダへの短期留学を通して、英語やフランス語以外にも多くの言語が維持され、使われているコミュニティーが存在することを知り、もっと言語について学びたいという気持ちが強くなりました。さらに、大学外で社会言語学のコースを受講していた際、日系カナダ人コミュニティーの日本語を研究されていた先生に出会い、多言語社会における言語パターンに対する関心がますます深まりました。そして、社会言語学、特に言語のバリエーションやバイリンガル・スピーチの研究を専門とする先生がいらっしゃったので、大学院はオタワ大学に進みました。
カナダに来てからは言語学を専門に学んでいましたが、ある時、オタワ大学で日本語を教える機会を得ました。それまでは日本語教育や日本語学を学んでいたわけではありませんでしたが、ゼロ初級の学習者が日本語を習得し、話せるようになっていく様子を間近で見て、感動しました。そこで、言語学を通して自分が得た知識を日本語教育にも応用できるのではないかと考え、自然に日本語教育の道へ進むことになりました。
今回の弁論大会では善積さんは実行委員長を務められますね。
2010年頃、当時オタワ大学で日本語を教えていた際、学生が全国大会に出場することになり、トロントで開催された大会に応援に行ったのが、弁論大会との初めての関わりです。その後、2014年に非常勤講師としてトロント大学で教え始めてからは、大会当日のアシスタントとして弁論大会に関わるようになりました。その後、アルバータ州のレスブリッジ大学で教鞭をとっていた時期もあり、その時はアルバータ州日本語弁論大会でも実行委員会に参加していました。再びトロントに戻った後は、本大会の実行委員会に加わり、今回初めて実行委員長を務めさせていただくことになりました。
善積さんが今後、言語学的視点から力を入れていきたいテーマや取り組みがあれば教えてください。
アルバータ州南部のレスブリッジやその周辺に暮らす日系人のみなさんの日本語の使用やスピーチパターンについて研究をしていきたいです。また、今後も日本語の多様性や、バリエーション、日本の先住民の言語や文化などのトピックを、日本語の授業で取り上げていきたい思っています。
トロント大学では弁論大会以外にも日本語学習者に対して、何か取り組み等はあるのでしょうか?
学習者は教室内だけではなく、外でも学び、実践し、経験することができます。学習意欲を維持し、さらに高めるために、教室外ので学びの場を提供することにも力を入れています。例えば、日本のプロのナレーターや声優によるワークショップでは、話のプロから話し方のコツなどを学べました。
また、元大関把瑠都氏を招いたトークイベントも開きましたが、参加した学習者は、相撲文化だけでなく、日本での生活や日本語学習など身近な話題を日本語で聞くことができ、また把瑠都氏と日本語で会話する喜びを味わいました。こうした機会は、教師以外から学ぶ貴重な機会となっています。
そして、教室外で学べる場を提供することは、地域社会とのつながりにも広がっています。日本語教師として、現地の日本人や日本語話者、日系社会との相互理解を促進する手助けがしたいと考えています。毎学期企画している国際交流基金トロント日本文化センターへの図書館ツアーは、学習者に外部の学習資料を紹介するだけでなく、日本に興味がある人々の学外のコミュニティーの紹介にもなっています。
また、レスブリッジの日系カナダ人協会での学生たちによる小噺披露も、学生が日本語を使って交流し、日系カナダ人コミュニティーの文化や歴史を学ぶ貴重な経験となったと思います。こうした活動を通じて、学生たちが異文化理解を深め、地域社会との交流も促進できると考えています。
多文化社会カナダで広がる日本語の多様性
民大国カナダでは、日本からの移住者や国際結婚が増加し、幼少期から英語教育を受ける子どもたちの姿も一般的になりつつある。多言語社会での日本語の位置づけや、継承言語としての日本語が持つ価値について深く考える機会が広がっている。
海外において日本語や言語学を研究する、教えることの醍醐味や魅力を教えてください。
私はカナダでの経験しかないので海外全般については言えないのですが、カナダでの自分の経験についてお話しすると、日本語を教える中で学習者の成長を目の当たりにし、その姿に感動したり、彼らのストーリーから逆に私が学んだり、時にはクスッとさせてもらったりすることが、毎日のようにあります。2年前に私が1年生レベルの日本語を教えていた学生と先日久しぶりに会いました。今ではその学生たちは3年生レベルのコースを受けており、最初は日本語だけで話していることに少し不思議な気持ちを抱きましたが、それが彼らの成長の証であり、私にとってはとても嬉しい瞬間でした。
バイリンガル教育における日本語教育の重要さや必要性について教えてください。
日系の学習者の中には、日本に行った時おじいちゃんやおばあちゃんなど家族とのコミュニケーションがうまく取れず、もどかしさを感じた経験から、日本語のコースを履修する学生もいます。こうした背景を考えると、日本語を学ぶということは、単に言語を習得するだけではなく、家族や親戚との絆を深め、祖父母と直接会話を楽しむなど、世代を超えたつながりを築く大切な手段であると思います。
また、日本語学習を通して、「いただきます」「ごちそうさま」といった食に関する習慣、そして敬語に反映される人との関わり方など、様々な日本の文化や生活習慣にも触れる機会も得られます。
レスブリッジ大学で教えていた頃は、日系4世や5世の学生も多く見られました。例えば、ある日本の習慣について、自分の家やコミュニティーではどうなのか振り返るきっかけになるかもしれません。また、普段の生活で当たり前になっていることが実は日本の文化だったり、自分はしていなくてもおじいちゃんおばあちゃんが続けている習慣だったりすることに気づくこともあるでしょう。すでに馴染みのあることも、新しく知ることも、日本語を学ぶことでそれらを再発見し、より深く理解する機会になると思います。こうした学びを通じて、日本語を学ぶことが日本文化の継承につながると考えています。
継承言語としての日本語において重要なことを教えてください。
継承言語として日本語を学ぶ学習者に伝えたいことは、「みなさんが話す日本語も『日本語』である」ということです。以前、継承言語として日本語を学んできた学生が、「自分の日本語はおかしい」「変だと言われる」と悩みを打ち上げてくれたことがありました。その言葉を聞いた時、私は胸が痛みました。また、カナダで継承言語として日本語を話す子どもたちの保護者の方々から「助詞の使い方や語彙がおかしいのでは…」と相談を受けたこともあります。
しかし、カナダのような多言語社会で、英語やフランス語などに囲まれながら日本語を話すこと自体が、素晴らしいことだと思います。確かに、日本で話されている日本語と比べると、カナダで話される日本語には語彙の使用やスピーチパターンなどに違いがあるかもしれません。でも、それは決して「おかしい」ということではありません。
たとえば、アルバータ州のレスブリッジの日系人の皆さんが話す日本語を聞くと、日本では今はあまり使わない単語が残っていたり、英語の単語やフレーズが混じることがあります。でも、それが彼らの「日本語」であり、レスブリッジの日系コミュニティーの歴史や環境が反映されたものなのです。英語の単語やフレーズが混ざるというのは、私も含め新移住者の日本語でもよく見られると思います。また、カナダの英仏バイリンガル話者の会話でも両言語が混ざることは珍しくありませんし、他の多言語コミュニティーでの会話でも同じです。
「いい日本語」とか「おかしい日本語」というものはありません。日本語の教科書や国語の教科書にある日本語、いわゆる規範文法に沿った日本語だけが「正しい日本語」というわけではなく、日常生活で私たちが話す日本語も間違いなく「日本語」です。また、日本で話されている日本語だけが「日本語」ではありません。世界中には日本語を話すコミュニティーがたくさんあり、それぞれの環境や背景に根差した多様な日本語があります。カナダの日系人社会の日本語も、トロントの新移住者コミュニティーで話されている日本語も、こうした多様な日本語の1つなのです。