David Edgington博士
阪神淡路大震災で被災し、その後10年間日本へ通い復興の過程を観察研究してきた
David Edgington博士 インタビュー
環太平洋地域の経済地理、特に日本を中心とした東アジア研究で知られるDavid Edgington博士。カナダの他日本でも教壇に立ち、その際に阪神淡路大震災を経験する。その後定期的に日本を訪れ、インタビューなどを通し神戸復興の過程を1冊の研究書にまとめた。現在は東日本大震災の研究も行っているEdgington博士に復興過程の違いや当時被災された環境などを伺いました。
阪神淡路大震災で被災されたそうですが、当時のことを教えてください。
私はブリティッシュコロンビア大学(以下UBC)で日本地理を中心に教えています。UBCは立命館大学と深く交流があり、私が阪神淡路大震災を被災した時も立命館大学でコースを受け持っていたために家族で京都に滞在していました。当時地震が起きた朝5時46分にはもう起きて仕事をしており、部屋の照明の揺れから始まり、地震だと認識した時には家具も音を立てて揺れるほどの震度で横揺れだけでなく大きな縦揺れも感じられ、私は家族を起こし机の下などに避難しました。私の住んでいた地域はM5程度の揺れでした。ただ、震源やその他の状況を知ったのは1、2時間時間後のニュースや空を飛び交うヘリコプターを見てからのことです。9時過ぎに立命館大学に行き、神戸に連絡をしようと試みましたが、電話はつながらず、インターネットも携帯も普及する丁度前のことだったので、神戸の状態というものがとても気がかりでした。
私が実際に神戸に行けたのは被災から2週間後のことでした。神戸大学で教えている友人の様子を見に芦屋まで電車で行き、バスと徒歩で神戸の東側に向かわなければなりませんでした。商業用のビルは同じ通りでも破損が激しく倒壊してしまっているものや、まだ破損程度で無事だったものなどが混在していたのはとても興味深かったです。
阪神淡路大震災の復興について本を書かれた動機は何でしたか?
私は地理学の中でも特に都市計画に興味があり、都市部だけではなくその周辺地域の発展や、東京の過密化を軽減するための首都機能の分散などにも興味があります。私は大学院生としてつくば学園都市に滞在していたこともあり、そこでは経済地理を専攻していました。国際貿易や投資に興味があり、1990年代の高度経済成長下にある日本はとても興味深い国でした。それに、やはり私が実際に震災を経験したということも本を書こうと思った要因の一つです。
どのようにしてリサーチを勧められたのですか?
1995年、震災後も私は同年8月まで立命館大学で受け持ったコースを教えるために日本に残っていました。カナダに帰国するまでの間、何度も神戸に足を運び、復興の過程を見てきました。帰国直前の8月には神戸市役所を訪れ、インタビューを行いました。震災から半年以上経った8月でも神戸はまだ緊急態勢という感じで、多くの工事関係者が24時間体制で作業を行い、生活基盤の復興に重点を起き作業をしていました。ガスや電気は被災から2ヶ月後にはほどんど復旧しており、その後6ヶ月程度で大体の交通機関は復旧しました。ただ、大阪より東行きの新幹線は復旧まで約1年、そして阪神高速道路も復旧までに長い時間がかかりました。
1995年8月にUBCに戻った後は毎年夏に神戸を訪れ、10年間の観察と研究を本にしました。ガスや水道といったライフラインや交通機関などの生活基盤の復旧だけではなく、神戸市、兵庫県、国というそれぞれの政府がどのように今回の被災を受け止め、対応・対処していくかと同時に新しい規制やポリシーの導入など幅広く学術的に被災からの復興をまとめました。
東日本大震災から4年が経ちますが、その震災についても調べているのですか?
はい、今は東日本大震災のリサーチを行っています。仙台、宮城、岩手、福島を中心に復興と都市計画について調べています。ただ、阪神淡路大震災とは様々な環境、条件が異なります。被災地の多くの人は漁師や農家の方達で、彼らは津波で全てを失ってしまいました。震災からもう4年も経ちますが、未だに多くの人が仮設住宅で生活しています。神戸の時はとても行動力と指導力を持った市長が指揮をとり、多くのエンジニアが都市計画を支えていました。しかし、東北では仙台以外はどの都市も規模の小さな街です。各市長はできることをしていますし、政府からの補助金もありますが、再建設には時間がかかっているようです。やはり、阪神淡路大震災に比べ、より広範囲で甚大な被害があったこと、そしてそれぞれの地域で多くの行政が関わっているという点が状況を複雑化させています。
また、2015年と1995年はまったく違う時代でもあります。2020年に控えた東京オリンピックに向けても多くの再開発が行われており、多くの建設業者が東北地方よりも支払いの良い東京に集中してしまっていることも問題だと思います。
阪神淡路大震災と東日本大震災の復興の過程に違いはありますか?
神戸との違いは東北地方が農村部であるということです。必然的に近場の建設業者の数が少なく、外部から呼んで作業をしてもらうにはお金も時間もかかります。さらに現在は海岸線近くには居住区を設けないと決めたようですが、漁師組合の人たちは海の見えないところには仕事の都合上住めないという反対も上がっており、まだ実施されていないので、この決定が上手くいくかどうかはまだわかりません。
被災後の神戸で、市長は大きな都市改革を試みました。戦後区画整理などが行われる前に家が建てられたことで、神戸市内はとても細い道も多く市長はそれらを改善しようと土地の持ち主との交渉など多くの困難を乗り越えてきました。新たに建てられたコンドミニアムは大阪へのアクセスも良く、神戸市外からも入居者が殺到し、阪神淡路大震災を知らない現神戸市民も非常に多いです。ですが、東北地方は震災前から過疎が進み、今回の震災でまた多くの人が外へ出てしまいました。また、海岸線沿いに住んでいた多くの人は別地域への移動を余儀なくされていますので、特にご年配の方にとっては精神的にも辛いと思います。
地震の多いバンクーバーでは東日本大震災から学ぶことも多いのでしょうか?
バンクーバーでも近いうちに大規模地震が起こる可能性があるといわれています。その地震は60%以上の確率で30年以内に起こるといわれていますが、対策がしっかり練られているかという点に関して、私はまだまだ改善の余地があると思います。政府は各個人でも地震のことを理解し、非常時に備え備蓄や緊急避難経路の確認などを行うことを奨めています。UCBにも緊急時用の食材や水、毛布などが備蓄され、非常時用マニュアルが用意されています。また、市でも非常時用プランが計画、用意されています。バンクーバーの北の方には私が三陸地方で見た漁村と同じような規模の漁港があります。現在津波警報が発令された時にはサイレンで知られるシステムが導入され始めています。
地元の人は気持ち的にも準備をしていますし、緊急時の計画を理解もしていますが、私が心配なのは観光客や短期留学生などです。特に夏に人気のホテルはどれもハーバーフロントにあり、ホテルが緊急時の避難計画を持っていたとしても全員が落ち着いてその指示に従えるかなども疑問です。私たちは東日本大震災からまだまだ学べることがたくさんあり、来るべき時に向けて準備する必要があります。
復興を支えるためにできることなどありましたら教えて下さい。
東北ではまだ多くのボランティア活動が行われており、もし時間があるのであれば是非参加してほしいと思います。ボランティアでなくてもその土地を訪れお金を使うことで行政やその地域でビジネスをしている人の手助けになります。実際に訪れる時間がなくとも東北産の農産物や製品を購入するだけでも手助けになると思います。特に福島に関しては恐怖感がぬぐえていない人も多いと思いますが、政府は汚染除去を進めていますし、店頭に並んでいるものは日本の厳しい基準をクリアしたものです。安心して手にとって1日でも早く東北の方が元の生活に戻れるように応援したいですね。
David Edgington博士
豪モナシュ大学で博士号を取得。メルボルンで都市計画者として働いた後、1988年にUBCの教授として環太平洋地理と特に日本経済地理を受け持つ。訪日経験も多く、地震の阪神淡路大震災の経験を生かし、10年間に渡ってその復興過程を観察し研究書「よみがえる神戸―危機と復興契機の地理的不均衡(邦題)」を出版。現在は東日本大震災の研究を行っている。