カナダに住んでいるなら知っておきたい!国民的画家 「グループ・オブ・セブン」Group of Seven|特集「TORJA創刊150号」
1920年5月7日、「グループ・オブ・セブン」と名乗る7人の画家集団が初めての展覧会を「Art Gallery of Toronto(現 Art Gallery of Ontario)」にて開いた。3週間でおよそ二千人の観覧客が訪れたが、120もの作品のうち6つしか売れなかった。当時、新聞で取り上げられたが残念ながら評論家の評価は厳しく、期待されているとは言い難かった。
カナダが建国して間もなく生まれたこの7人。「カナダが国として発展していくためには芸術が土地を肥沃にし、花を咲かせなければならない」とメンバーが展覧会カタログに書いたように、何らかの使命感を抱いていた彼ら。開催から100年以上経つ今でも彼らが注目されるのは一体なぜなのだろう?
7人をまとめた幻のメンバー
「グループ・オブ・セブン」として知られた7人はローレン・ハリス、A・Y・ ジャクソン、フランクリン・カーマイケル、フランク・ジョンストン、アーサー・リズマー、J・E・H・マクドナルド、フレデリック・ヴァーリー。
彼らにはもう一人大事な同志、トム・トムソンがいたが、彼は悲しいことに39歳の若さで溺死した。それはこのグループが組まれる前の出来事だった。彼がカナダの自然とじっくり向き合い、感じたことを絵に残す姿勢が他の7人の人生を大きく変えた。今ではトムソンはグループの一員と考えられており、カナダで最も有名な風景画の代表者として知られている。
トム・トムソンという「インフルエンサー」
Tom Thomson
トムソンはオンタリオ州で列車が開通して以来、州北部にあるアルゴンキン州立公園を頻繁に訪れては長期滞在し、カヌーをしたり絵を描いたりしていた。
しかしまだ自身を画家と自覚はしておらず、その頃の彼の職業はトロント市内で働くグラフィック・デザイナーだった。
レタリングや小さなデザインを任されていたこの職場でのちに「グループ・オブ・セブン」のメンバーとなるJ. E. H. マクドナルドやアーサー・リズマー、フレデリック・ヴァーリー、フランクリン・カーマイケルと知り合う。
その繋がりでローレン・ハリスやA.Y. ジャクソンとも仲良くなり、多くの芸術家と交流を深めていった。どんなに忙しくとも夏場になると長期休暇を取りアルゴンキン州立公園やトロントから北西にあるアルゴマ地域でスケッチに没頭し、絵の才能を磨いた。
彼の色使いはカナダ一とも言われる。予期せぬ死後に自分のライフスタイルやビジョンが100年以上も画家の間で注目されるとは本人は想像していなかっただろう。
7人のうち3人は移民だった
J.E.H. MacDonald
今ではカナダを代表する画家として知られる7人の画家だが、そのうち3人はイギリスで生まれ育った移民だった。その3人とはJ. E. H. マクドナルドとアーサー・リズマー、フレデリック・ヴァーリー。
マクドナルドはトムソンが働いていた「Grip Ltd.」で影響力のある社員だった。広告などに使われるアートを任されていたこの会社で、グラフィック・デザイナーたちは常に腕を磨くべきだと促していた。この彼の言葉でトム・トムソンは自然に触れ合う旅に出かけるようになったと言われている。
マクドナルドが特に魅了されたのはロッキー山脈の風景だった。彼は1911年に退職し、フランスで有名になった印象派のようにアウトドアでの制作活動に励み、画家としての道を極めた。活気のある色使いと軽やかさのあるタッチが彼のスタイルだ。
幼馴染のリズマーとヴァーリー
Varley & Lismer
マクドナルドと入れ替わりで「Grip Ltd.」に就職したリズマーは大の似顔絵好きで知られていた。彼はオランダ人画家フィンセント・ファン・ゴッホに影響を受けており、力強い筆使いを好んだ。木の幹や葉っぱの描くときに黒の絵の具で縁取るのが彼のスタイルだ。リズマーとヴァーリーは幼馴染であり、ヴァーリーはイギリスやベルギーで本格的に美術を習ったことのある実績の高い画家だった。実は彼も肖像画が大の得意だった。彼の描く風景画には小さく自分自身のシルエットを含んだことで有名。二人とも第一次世界大戦中は戦争画家として軍務に服した。
リーダー的存在、ローレン・ハリス
Lawren Harris
トム・トムソンの次に最もよく知られているメンバーはローレン・ハリス。彼はオンタリオ州ブラントフォードの裕福な家庭で育った。彼は「グループ・オブ・セブン」の結成に重要な人物であり、トムソンと一緒に旅する仲間であった彼はトムソンの影響を最も受けたと言われている。
トロントにアトリエを造るも残念ながら第一次世界大戦が始まり、ハリスは思うように芸術の世界に踏み入ることができなかった。戦後は何年も続けてアルゴマ地域を訪れてはトムソンの死を乗り越えるかのように新しい画風にチャレンジした。ディテールから離れ、抽象的な表現を選んだ。彼の筆の使い方は印象派でもポスト印象派でもなく、北欧の印象派たちの影響も受けていると言われている。
1930年代にはアメリカ・サンタフェで活動し、著名女性画家のジョージア・オキーフに多大なインスピレーションを受けた可能性があると美術史学者らは指摘している。神智学に興味があったハリスの絵は晩年もカナダの自然を題材にしたがよりスピリチュアルなエネルギーに増して行った。
芸術教育に関わったフランクとフランクリン
Frank & Franklin
フランク・ジョンストンはトロント出身でトムソンや他のメンバーが知り合うことになった「Grip Ltd.」で働いていたが、1921年にウィニペグで芸術学校校長の就任をきっかけに退職。その数年前からハリスとマクドナルドと共にアルゴマ地域を訪れるようになり、風景画に没頭するようになる。
のちに名前を「フランク」から「フランツ」に変え、画風も華やかなスタイルからリアリズムに溢れるものへ変えた。
同じくオンタリオ出身のフランクリン・カーマイケルは油絵を得意とする「グループ・オブ・セブン」のなかで唯一水彩画をよく描いていた。1925年にハリスとジャクソンと一緒に初めてスペリオール湖へと旅して以来、すっかりスペリオール湖の虜となった。
1932年からはグラフィック・デザイナーとしての職歴を認められ「Ontario College of Art」のグラフィックデザインとコマーシャルアート学科の学科長に選ばれた。
スカウトされたA.Y.ジャクソン
AY Jackson
ケベック州モントリオール出身の彼はアメリカ・シカゴやフランス・パリの美術学校で学び、印象派の影響を受けた画家。ハリスとマクドナルドは彼をモントリオールで「ヘッドハント」し、トロントに引っ越すように促したことで「グループ・オブ・セブン」と深く関わるようになった。グループの中では彼が一番本格的に美術の教育を受けている。
ジャクソンはトムソンの影響でカナダ中を旅してスケッチし、色についての詳細をメモ書きして残した。第一次世界大戦中は兵隊として戦ったが、怪我を患った後リズマーやヴァーリーのように戦争画家として活動した。
グループ結成と初の展覧会
トムソンが1917年に亡くなってから2年、1919年に「グループ・オブ・セブン」は結成された。その頃、芸術界の評論家らはとても厳しく、画家が成功するのは簡単ではなかった。
画商や評論家とのやりとりがとても繊細なことを誰よりも理解していたローレン・ハリスは1920年のグループ初の展覧会カタログに自分らのビジョンを防御するかのような姿勢でエッセーを綴った。
リーダーは存在しなかったこのグループだが、ハリスが指揮をとっていたことがカタログを通じて分かる。
この7人は自らの絵を世界に広める展覧会を行うために集まった。その文字通り12年間の間にアメリカやイギリスでも展覧会を開き、カナダ国外では特に良い評価を得るまでに成長した。
1800年代の終わり、世界ではどんなアートが流行っていた?
ちょうど7人が生まれた1870年ごろ、ヨーロッパでは「印象派」と言われる芸術運動が活発だった。
今では世界的に有名なクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワール、エドガー・ドガ、メアリー・カサットらがフランス・パリで合同の展覧会を開いた。
印象派画家は屋外で制作することが多く、目で見たものをそのまま描き写すよりかはその瞬間のフィーリングをキャンバスに描くことを好んだ。短いストロークで筆を動かし、明るい色を取り入れることで光の動きを表した。
その後「ポスト印象派(後期印象派)」が誕生し、フィンセント・ファン・ゴッホやポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャンなど代表する画家たちは即興性のある絵から離れていった。印象派とは変わってべったりとした絵の具が時間の経つ遅さを語っている。
そんな時代、日本の画家たちも西洋画家たちのように新しい画法や題材を模索していた。
今では近代日本画の巨匠とも呼ばれる横山大観も印象派のように色の組み合わせや構図で絵の空気や光を調整しようと新しい線画技法を試していた。
それは当時の評論家たちには「ぼんやりしている」と気に入られなかったが今では「朦朧体(もうろうたい)」という彼の有名な特徴にもなっていて、その画法はまるで印象派に似ている。
印象派といえば、鎖国が終わってから葛飾北斎や歌川広重らの浮世絵がヨーロッパに出回り彼らに大きな影響を与えた。飛行機もインターネットもない時代に両国で同じ時代に同じように色と光の新しい表現が追求されていたのは興味深い。
なぜ「グループ・オブ・セブン」はカナダの美術史にとって重要な存在なの?
1. 当時ヨーロッパで有名だった画風を独自のスタイルで表現した
印象派のように自然の風景を追った「グループ・オブ・セブン」。カヌーやトレッキングなどを楽しんだ彼たちは荷物をなるべく軽くするためにスケッチブックだけを持ち歩いたと言われている。
帰省後に絵の具で描き上げていったスタイルは、チューブの絵の具が発案されてすぐ屋外で制作活動を始めたパリの印象派たちとは異なる。
今の時代の「カナダ人あるある」とも言われる「アウトドア派」はこの7人にも通じるのではないだろうか。
2. カナダでしか見られない光景を描いた
彼らはカナダをまだ新しく、誰もみたことのない景色として描いていたが、先住民は彼らの何百年も前からこの地の自然を守ってきたことは見過ごしてはならない事実だ。
しかし西洋の画法でその景色を表現し披露することで多くの人に自然の魅力を伝えた。
グラフィック・デザイナーの仕事に比べて不安定な収入源だと分かっていても画家の道を選んだメンバーたちは誰よりもカナダの自然に惚れ込んでいたのかもしれない。
彼らの絵には「何かとてもカナダらしいものがある」と言われることが多く、「カナディアニズム」という言葉さえ存在する。その言葉の意味の裏側についてはまた後ほど。
3. カナダでアーティスト・コミュニティーを作った
印象派たちのように展覧会を開き世に名を知らせた「グループ・オブ・セブン」。初めは6枚しか絵を売ることができなかったが、実は印象派たちも酷評を浴びながらゆっくり有名になっていった人たちばかりだ。
1926年以来モントリオールやウィニペグなど、トロント以外の都市を拠点とするアーティストを迎え入れるようになった。
オリジナルメンバーたちは自分たちよりも若い画家や最新の画法を取り入れたい芸術家らを省かないよう一旦グループを解散し、1933年に「Canadian Group of Painters」という新しい協会を立ち上げた。この協会は1967年まで続いた。
「グループ・オブ・セブン」がよく出入りした芸術家や音楽家、物書き、建築家などの集まり「The Arts & Letters Club of Toronto」は1908年の創立以来、今でも力強くトロントエリアの様々な分野のアーティストたちを 刺激し、支えている。
エミリー・カー美術大学で知られる女性画家のエミリー・カーも「グループ・オブ・セブン」と深い交流があったが、悲しいことにグループの正式な一員となることはなかった。それどころか女性メンバーは一人も存在しなかった。「The Arts & Letters Club of Toronto」も1985年まで女性の入会を許さなかった。
近年注目され始めている「カナディアニズム」の問題
カナダの自然をたくさん描いた7人だったが、風景画とはいえ一つつじつまが合わないところがある。それは先住民族が描かれてないことだ。
「CBC」で2022年に掲載されたクリー族に属するライターの記事によると、その理由は当時連邦政府が州立公園から先住民を追い出し、住むことも狩りさえも出来ないようにしたからだ。それ以来州立公園は「カナダ」、そして「カナディアン」の物となった。
このように国を変えた官僚らと同じように「グループ・オブ・セブン」はカナダを新しい国、またはまだ誰も踏み入れていない土地と捉えていた。先住民が描かれていても人物には顔がなく、その画風は植民地主義によくある先住民の存在を無視し、排除する行動に値する。
現代では切手のデザインに選ばれるなど国民的アイドルのような7人だが、その風景画で足りないもの、またはその風景が誰のものなのかを考える必要がある。
【おわりに】
ヨーロッパから離れたカナダを応援するかのように集まり、国の芸術スタイルを発展しようと励んだ7人の画家たち。彼らの使命感は今では植民地主義だと問題視されているが、至る所で国のアイコンとして親しまれてきた作品らを即座に厄介払いする人は少ないだろう。
彼らのように新しいものの見方や描き方を広めるということはその前にあったものを否定することでもある。彼らの場合先住民の存在を排除しているが、それは当時の政治の空気、または完全に彼らの無知さに原因があるのかも知れない。
今、先住民に対しての敬意が大事にされる時代になったからこそ、7人の作品をより深く観察し、理解することができるのかも知れない。
「グループ・オブ・セブン」の作品に出会える場所
317 Dundas St W, Toronto
Art Gallery of Ontario
チャイナタウンの喧騒からほんの少し東に歩くとあるこの美術館。先住民アートからレンブラント、モネやピカソなど、幅広い種類の作品が見られる。2階のDundas St側にあるカナディアン・アート・コレクションには「グループ・オブ・セブン」の作品が多く含まれる。1階にある印象派の作品とぜひ合わせて観たい。
380 Sussex Dr,Ottawa, ON
National Gallery of Canada
オタワまで足を伸ばす機会がある方には「National Gallery of Canada」もおすすめしたい。
先住民アートとカナディアン・アートのコレクションに優れているこの美術館は展示スペースが北アメリカで最大だそう。
こちらも「AGO」のように印象派のコレクションがあり、ゴッホやモネ、ピサロなどの作品を「グループ・オブ・セブン」のものと見比べることができるので嬉しい。
10365 Islington Ave, Kleinburg, ON
McMichael Canadian Art Collection
ヴォーン地域にあるこの美術館はカナダのアートをもっと深く知りたい人にぴったり。ここの魅力はカナダで唯一カナダと先住民のアート作品のみを集めている場所だということ。古代や現代、さまざまな世代の作品に触れることができる。コレクションのオーナー、マクマイケル夫妻が初めて買った作品はトム・トムソンのものだった。夫妻の家と集めたアートが1965年にオンタリオ州に寄贈され、今では美術館となっている。
敷地内には数キロメートルにもわたるトレイルがあるので、是非天気がよく暖かい時期に訪れて「グループ・オブ・セブン」の世界に浸りたい。