【山梨の小さな練習室から、東京を経てトロントの舞台へ】カナダ生まれのヴァイオリニストサラ・フレイザー・ ラフさん(前編)|Hiroの部屋

カナダ生まれ、日本育ち。日本人の母とカナダ人の父を持つヴァイオリニスト、サラ・フレイザー・ラフさんは、幼い頃に山梨へ移り、限られた環境の中で音楽への情熱を育んだ。5歳で始めたバイオリン、スズキ・メソードとの出会い、そして「音楽家になる」と心に決めた中学時代。大学では東京クヮルテット創設メンバー・原田幸一郎氏に師事し、室内楽の魅力に没頭した。トロントを拠点に活躍する現在、彼女の原点と成長の軌跡を、ヒロさんが聞く。
妹と共に始めたバイオリン



ヒロ: ご姉妹でバイオリニストなんですね。サラさんはいつ頃始められたのですか?
サラ: 5歳の頃です。当時住んでいた山梨県では「スズキ・メソード」が普及しており、松本の本部での夏の講習会に参加するのを夢に、始めました。妹は、6才下なので少し後にレッスンを始め、自然と音楽が生活の中心になっていきました。


ヒロ: バイオリンを「将来の仕事にしたい」と意識し始めたのはいつ頃ですか?
サラ: 日記を見ると、小さい頃からずっと「音楽家になりたい」と書いてあるので、その気持ちは常にあったようです。高校に入る頃には、「本当に音楽の道に進むなら、桐朋大に受かるような選択をしないと無理だ」と考えるようになりました。本気で決めたのは中学生くらいです。そこからは、合格のためにひたすら練習していました。
サラ: ちなみに、ヒロさんご自身が美容師を目指されたのは、いつ頃、どんなきっかけだったのでしょうか?

それと…幼少時、両親はおもちゃを買ってくれなかったので(笑)、自由な自己流の図画工作の一人遊びも多かったんです。広告チラシ、隣のスーパーに行ってもらった段ボール、切ったり、貼ったり、色塗ったり、時には針、糸、布で裁縫もしました。結果的に、物心ついた時には大切な遊び道具だった「ハサミ」、作り出す「立体感」、塗ると「色の変化」などが、身近にあった美容と頭の中で結びつき、興味が広がったんだと思います。
僕の実家だったビルもなくなり家族も隣の市に移りましたが、今も一時帰国中に、床屋のおじさんに挨拶に行きます。70歳超えても現役で自分のお店に立ち、老人ホームに出張ヘアカットも頻発に行くとおっしゃいます。本当に「かっこいい」と尊敬し、自分の原点から素晴らしいエネルギーをもらえ嬉しいです。
全てが、生まれ育った環境から頂いた本当にありがたいご縁で繋がり、自然とこの道に導かれたと感じています。だからこそ、「美容師」は、本当に自分の天職だと確信しています。


もちろん、原田先生との出会いは大きかったです。元・東京クヮルテットの第一ヴァイオリン奏者ということもあり、圧倒的な音楽性と経験を間近で学べたのは財産でした。
同時に、全国から才能ある学生が集まっていて、多くは桐朋の高校から研鑽を積んでいます。山梨という地方から出てきた私には刺激と試練の連続でした。上京してひとりで生活するのも初めてで大変でしたが、そこで視野が一気に広がりました。
(聞き手・文章構成TORJA編集部)
Sarah Fraser Raff
サラ・フレイザー・ラフさん
カナダ・トロントを拠点に活動するヴァイオリニスト。桐朋学園大学で原田幸一郎氏に師事し学士号を取得後、トロント大学で修士号、RCMグレン・グールド・スクールでアーティスト・ディプロマを取得。マダワスカ弦楽四重奏団の創設メンバーとして活躍し、Royal Conservatory of Musicで20年以上にわたり指導を行う。
https://sarahfraserraff.com/home/
Hiroさん
名古屋出身。日本国内のサロン数店舗を経て渡加。NYの有名サロンやVidal Sassoonの就職チャンスを断り、世界中に展開するサロンTONI&GUY(トロント店)へ就職。ワーホリ時代から著名人の担当や撮影等も経験し、一躍トップスタイリストへ。その後、日本帰国や中米滞在を経て、再びトロントのTONI&GUYへ復帰し、北米TOP10も受賞。2011年にsalon bespokeをオープン。今もサロン勤務を中心に、著名人のヘア担当やセミナー講師としても活躍中。世界的ファッション誌“ELLE(カナダ版)”にも取材された。salon bespoke
130 Cumberland St 2F647-346-8468 / salonbespoke.ca
Instagram: HAYASHI.HIRO
PV: "Hiro salon bespoke"と動画検索











