第50回トロント国際映画祭『遠い山なみの光』(英題『A Pale View of Hills』)石川慶監督 インタビュー
今年のトロント国際映画祭(TIFF)では、カンヌ映画祭でワールドプレミアとなった石川慶監督の『遠い山なみの光』(英題『A Pale View of Hills』)が上映された。トロントに初来訪し、北米プレミアとなる上映を目前に控える石川慶監督に、お話を伺った。
『遠い山なみの光』制作の経緯

―カズオ・イシグロさんのデビュー小説を映画化した本作の企画は、どのように始まったのでしょうか。
最初にカズオ・イシグロ作品をやりませんかと提案を受けたのが4年くらい前でした。そのときはまだ具体的な制作会社も決まっておらず、本当に漠然とやってみませんかという感じで始まりました。まずは原作の許諾を得ないといけないので、自分なりにこんな感じで映画化したいですというプロットを書いて、それをカズオさんに送りました。そのときはまだパッションプロジェクトに近く、着地するかどうかわからない、ひょっとしたら着地しないかもしれないなぐらいの気持ちで。プロットをカズオさんに気に入ってもらえて、そこからプロジェクトが動き始めました。
当時、カズオさんが黒澤明の『生きる』のリメイク作品の脚本を書かれていたり、ちょうどカズオさんがヴェネチア国際映画祭の審査員で、自分も『ある男』でヴェネチアに行っていたり、いろんな偶然が重なって進んでいきました。最初からしっかりとした国際共同製作の形にして、イギリスでも公開できる形にしたいですね、という話をしていました。
キャスティングについて

―主演の広瀬すずさんと二階堂ふみさんの対照的な姿が印象的でした。二人のキャスティングはどのように決まったのでしょうか。
最初、もう少し上の年齢の人たちをキャスティングしてもいいねと話していましたが、当時を考えると、20代か30代前だよね、という話になりました。今の人って少し若く見えるから、大丈夫かなとか思っていたんですけど、若い人たちに届けたいから20代後半の設定にすることに決まりました。それからは、広瀬さんと二階堂さんがツートップという感じで、僕も二人を見たいと思っていたので、そこは難航しませんでした。今回、どうなるか分からないところから声をかけて、お二人ともOKしてくれたのは、本当に運が良かったなと思います。
―若い人たちに届けたいというのは、昔の戦争を扱っているからでしょうか。

そうですね。戦後80年でなく来年や再来年だったとしても、今回、こういう題材を扱うに当たり、当時のことを知っている人からお話を聞くことができたのは、すごく大きかったなと思っています。おそらく向こう数年で、その人たちにお話を聞くのが難しくなるので、本当にギリギリのタイミングだったなと思います。また、その人たちのお話を聞いて、そのバトンを誰に渡さないといけないかと思うと、やはり若い人だなというのが最初からすごくありましたね。
これはカズオさんもよくおっしゃっているんですけど、戦後80年は日本にとってだけの特別な年ではなく、それはどこの国でも起こっていると。特に今回、ポーランドも制作に入っていると、戦後に街が焼け野原になり、すごく辛いところから復興して、という点で、彼らとも気持ちの上で連帯しているところがありました。そういう意味で、本当に日本だけでなく、いろんな国の人たちに届くといいなと思っています。
―今回、イギリスも主要な舞台で、すごく難しい役柄の吉田羊さんが素晴らしいと思いました。キャスティングはどのように決めたのでしょうか。

キャスティングは、イギリスのプロダクションのプロデューサーと一緒に探していましたが、なかなか難しかったです。英語を一生懸命練習すればなんとかできるレベルの日本の女優さんだと、自分たちはいけるかなと思っていても、イギリスのプロデューサーに、これでは厳しいと言われて。日本に置き換えると、なんとなく日本語をしゃべられても、何を言っているか分からないみたいな。多分それと同じ現象が起こっていました。
イギリス在住の日本の人たちも探したけれど、なかなか難しくて。そんなとき、昔から何かやりたいですねという話をしていた吉田羊さんに、なんとなく予感めいたものがあって、ダメ元でお声がけしてオーディションテープを送ってもらいました。そしたら、イギリスのプロデューサーも含め、この人は英語を一生懸命話しているだけじゃなく、心からキャラクターとして言葉を発しているようで、まだ撮影までに何か月かあるから、この人だったらできるんじゃないかと言ってくれました。そのときにはまだいろんな不安感もありましたけど、英語だけで選ぶよりも、こっちのほうが正解な気がするなと思ってキャスティングをさせてもらいました。
撮影やプロダクションについて

―日本パートと長崎パートとイギリスパートは、まったく別々に撮影されたのでしょうか。
そうですね。通常、日本以外で撮影する場合、スタッフ全員がイギリスに行って、現地はロケーションコーディネーターに少しお手伝いのような形で頼むことが多いんですが、今回はプロダクションがついてくれたので、色を変える意味で完全に分けたほうがいいなと思いました。長崎とイギリスで共通するのは自分とカメラマンです。
―石川監督は国際的に活躍されているイメージがありますが、今回のように日本と海外で別々のプロダクションで作ることは、よくあるのでしょうか。
あまり聞いたことがないですね。二度手間になるので、基本はどちらかにそろえたほうが遥かに楽じゃないですか。ただ、今回は役者さんも言語も全然違うので、個人的に分けて作ってみたいなと思いました。
―本作では、幻想的な明暗が印象的でした。どんな画作りをしたのでしょうか。
今回、80年代のイギリスは、まだギリギリいろんなものが残っていてリアルに撮ることができたんですけど、50年代の長崎は基本何も残っていない状態で、全部作るかCGで描くかという選択肢でした。そのときに、50年代の長崎をリアルに作ることより、むしろ80年代のイギリスにいる悦子が、どういう長崎を思い浮かべたんだろうという考えで、ある程度は人工的になることも厭わず作っていきました。例えば団地の襖には、ロンドンのデザイナーの花柄が入っています。絶対そんな外観の襖はないんだけど、時期的にはあり得て、イギリスに30年住んでいる悦子が昔の長崎を思い出したら、イギリスでの経験のビジュアルが記憶の中に入ってきて、そういう襖があってもおかしくないよね、という思いで作っていました。
50年代の長崎での歴史を語るのも、(80年代の)悦子がどういうふうにその人の思いを覚えているかという記憶の物語なんです。事実よりも、悦子がこう覚えている、もしくは覚えていない、もしくは語らないことのほうが、真実に近いという感じです。
監督になるまでの経緯について

―石川監督は、日本の大学を出た後にポーランドで映画を学んでいますが、なぜポーランドに行こうと思ったのでしょうか。
明確な理由があったわけではないんですけど、海外で映画の勉強をしたいなと思ったときに、アメリカは学費が高すぎて現実的でないと思ったんです。調べてみると、旧共産圏の映画学校は学費がすごく安かったり無料だったりしました。それだけでなく、旧共産圏は国策として映画に力を入れていて、学生映画に35ミリフィルムを支給して撮らせてくれるところがありました。これなら何とかなるなと思って、キューバや中国も見ていく中で、やっぱりポーランドだと思ったんですよ。街や人の感じがすごく親日的で、でも日本とは全然違うのがすごく魅力的に思います。
―もともと昔から映画監督になりたかったのでしょうか。
それもそんなになかったですね。どちらかというと観るのが好きで、映画に関わる仕事をしたいな、くらいでした。そもそも日本の自主映画文化みたいなものに馴染めなくて、8ミリ映画を撮ろう、みたいなことも思っていませんでした。だから、日本映画の文脈からは、最初から外れていたような気がします。でも、ちゃんと学びたいと思ったとき、画に対するこだわりが大きく、学生でも35ミリフィルムを使って、本当にちゃんとした映画として撮るポーランドの大学に魅力を感じました。
―ポーランドの大学に行くとき、言葉の壁はなかったのでしょうか。
言葉はもちろんポーランド語を身につけないといけなくて、壁は大きかったですけど、やればなんとかなると割り切っていましたね。ポーランド語の授業では、先生がフランス語しかしゃべれないという謎の環境でしたが、いろんな国からの留学生が来ていたので、本当に必要に駆られてという感じでした。そのときに、英語もちゃんと話せるようになった気がします。
トロントの印象と読者へのメッセージ
―石川監督は、カンヌやヴェネチアの映画祭によく参加されていますが、TIFFは今回が初めてですね。来てみて、いかがでしょうか。
トロントは大都会ですね。こんなに大きいと思っていなかったので驚きました。あと、街でいろんな言語が飛び交っていて多様ですが、ロンドンやニューヨークとも違って、独特の混じり方をしているなと思います。
―最後に、トロントの読者にメッセージをお願いします。
トロントには、いろんなところから移住してきた方がたくさんいらっしゃると思います。カンヌで、自分の母親がなぜここで暮らすようになったのかという話をあまり聞いたことがない移民の方が、今回の映画を自分事として見てくれていて、そうか、これは移民の話でもあるのか、と実感したんです。トロントは、この映画にすごくふさわしい場所で、戦争や原爆以外にもパーソナルに感じられる人がたくさんいらっしゃる気がするので、そういう人たちに観ていただきたいと思います。

1977年、愛知県生まれ。ポーランド国立映画大学で演出を学ぶ。『愚行録』(2017)や『ある男』(2022)が、ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門に選出され、『遠い山なみの光』は今年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に選出された。他の監督作に『蜜蜂と遠雷』(2019)や『Arcアーク』(2021)などがある。
1982年の英国。日系人作家の女性が、戦後の長崎での母の体験を書こうと、話を聞き始める。1952年の長崎で親交を深める2人の女性を、広瀬すず、二階堂ふみが演じ、広瀬すずの30年後の姿を吉田羊が演じている。カズオ・イシグロのデビュー作である同名小説の映画化で、TIFFで北米プレミアとなった。
監督: 石川慶
出演: 広瀬すず、二階堂ふみ、吉田羊、カミラ・アイコ、松下洸平、三浦友和















