【新連載】『新聞とってきて〜』|頑張りましょうその日までー時代をこえたチャレンジ:子供の言語教育石原牧子ー
そう、あの頃「新聞」というものがあった。毎朝配達人が各家に配る紙のニュース。新聞が何か知らない人が読者の中にいるかもしれない。今やニュースはペーパーレスのデジタル速報にとってかわっているから。それと、去年ラジオを買いに家電スーパーに行ったら「ラジオ?うちでは扱っていません」と若い店員。ラジオを知らない。そこで中年の店員を捕まえてラジオの置いてある棚を教えてもらった。情報の伝達技術の変化とともに消費者生活もかわった。
さて実は私の娘もアナログ後期に生まれた。周りにはまだ本屋がいっぱいあり、子供の音楽といえばカセットテープかレコード。ビデオレンタルというビジネスもあった。テレビはセサミ・ストリートがメインだった。もしデジタル期に生まれていたらどうやって日本語を教えていただろうか。テレビに頼るかYouTubeで幼児向けのお話や歌をコンピューターやスマホにワイヤレス・スピーカーをつけて流していたかもしれない、余計な広告による時間のロスにイライラしながら。
しかし、どんな時代でも自分と長い時間一緒に生活をしている人の言葉を子供はまず初めに覚える。それがパパであってもママであっても。親がそばで、あるいは直接話す言葉、何をどう話すかが幼児の言語発達に大きく影響を与える。夫婦喧嘩だって聞こえている。赤ちゃん言葉、「おいちいでちゅか」的な言い方は害になると何かで読んだことがある。だから私は意識的に大人が話すように娘の前でははっきりした発音で話していた。それも一方通行の一人会話だ。例にするとこんな感じだ。
「昨日の新聞、どこだろう」「新聞に大事なことが書いてあったのよ」「あの新聞、パパは読んだかな?」「新聞は毎日来るから沢山あるよ」「古い新聞はまとめて片付けよう」(娘はそばで黙々とオモチャと戯れる)。
新聞に目をやりながら一人で新聞、新聞と喋りまくる私。幼い娘はまだ何語も話せない。ただ耳に入ってくるのは私の一人会話、それも毎日色々な言葉で。これがイマージョンということなのかもしれない。ある朝着替えを済ませ、意を決して私が言った。「Yちゃん、新聞とってきて〜」。するとどうだろう、まだオムツも取れない彼女がスタスタと玄関に行って配達済みの新聞を持ってきたのだ。これには驚いた。実験大成功だ!幼児の吸収力を確信した瞬間だった。「Yちゃん、新聞をパパにあげて」それも難なくスルー。「とってくる」「あげる」の動詞も私の一人会話で聞き慣れていたから行動に現すことができたのだ。一般に大人は、まだ言葉がわからないからと幼児の能力を過小評価しがち。幼児の脳は吸収力抜群、いつかその蓄えたものが口から出る時が来る。日本語のわからないパパが新聞を広げる。その膝の上で褒めてもらえた幼い娘の顔にプライドの色が。





