ザ・外交

新年早々日本はイスラムとのお付き合いの仕方において困難な課題を与えられた。昨年は中国の習近平国家主席とかろうじて会談にこぎつけたが国交50周年の韓国との外交は茨の道である。こんな日本の外交について今月は覗いてみよう。
私の夢は外交官になることであった。その華やかなイメージにも惹かれたが地球儀ベースで仕事をする醍醐味に最大の魅力を感じていた。日本の外交官は特に戦前、印象深い人が多く輩出された。昭和の代表的首相、吉田茂、文官として戦犯となった広田弘毅、そしてその両名の先輩で首相にもなり軟弱外交の異名を取った幣原喜重郎といったような味のある外交官も多かった。
その中で一般の評価が悪いのが松岡洋右であろう。松岡はあの国際連盟で脱退宣言をした人物である。その国連での日本の戦争に対する正当性の主張は延々1時間20分にも及び、英語で原稿なしの演説は今でも語り継がれ、その力強さに当時の日本人は松岡をヒーロー扱いした。だが、諸外国からすれば演説内容の不遜さに日本のお株を地の底まで落とすことになったのである。
世間一般では松岡の外交能力を問う見方が多いが、詳細研究すると松岡も主席全権として派遣されたものの本国からの指示に狼狽しながら本心ではないが腹を決めたという流れが見て取れる。つまり判断は松岡の単独暴走ではなかったわけだが、残念な結果を生んだ外交官の一人である。
それと比較し興味深いケースとしては日露戦争の講和を決めるポーツマス条約の全権、小村寿太郎を挙げたい。小村は日本大勝で湧き上がる国民の期待に反し、金銭的賠償を全く取れなかったことで国民の強い反発を買っている。ちなみに日本がその後、戦争への道を歩んだ潜在的理由の筆頭とされるのが日露戦争の勝利と講和に対する不満から国内世論に強い意識変化ができたからとされている。
リトアニア大使館勤務だった杉原千畝という外交官は同時期、本省からの訓令に反して迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、その命を救ったことで今の時代においてもユダヤ人が杉原の行為を通じて日本人に好意的な感情を抱いているのも有名な話である。
これら一連の話はまさに外交の難しさであり、日本が脱亜入欧と西欧外交を通じて苦労しながらも吸収してきた歴史が見て取れる。
戦後、日本はGHQの占領下にあり、アメリカと安保を介して一心同体の関係を築いてきた。その目線は地理的に遠い欧州からアメリカが外交の中心となったことは言うまでもない。特に安保を乗り切った岸信介の布石は歴史的に日本の方向性を決定づけたと言ってもよい。
ただ、このあたりから日本の外交にバランスが欠けてきたかもしれない。アメリカ服従外交から抜け出せない日本外交はある意味、その自由度を’失っている’ともいえる。例えば北方領土返還交渉が何時まで経っても進展しない一つの理由は日本がアメリカに気を使っているからであり、ロシアと仲良くしたらアメリカから嫌われるのではないかと外務省内の専門部署同士の綱引きがあるとされている。
対韓国外交も歴史をたどれば疑問を呈したくなることはある。あの河野談話も当時の日韓政府間で双方の落としどころの事前設定が背景にあったのだが、そのあとムービングゴールポストがあった。人がすげ代わればお約束は反故にされるのは韓国に限らず、諸外国においてもよくあることだ。このあたりも日本の外交能力が戦前と比べて脇が甘く、性善説に傾き、やや磨きが足りないと思われるところである。
その日本では今、イスラムとの外交において難題を抱えつつある。安倍首相のテロへの強い姿勢は最近の首相にはない迫力で一つの方向性を示すという意味で明白なメッセージとして評価したい。一方で英米がテロと戦うというのは本当に戦う能力を持っての上での宣言である。戦闘実戦能力も諜報能力も情報収集能力も他国との共同戦線も張り易い。だが、日本は後方支援に留まるわけで戦うことだけを強調されても在外日本人にとっても不安が残ると感じる人は多いであろう。
外交とはステートメントを通じて諸外国にそのメッセージをいかに伝えるかその技量にかかっている。たった一言でもその意味の取り方は国により様々である。「戦う」という言葉の意味がメンタルなのか、フィジカルなのかこれすら容易には伝わらないであろう。
もう一つはわれわれ国民の意識である。グローバリゼーション化により日本には2014年に1300万人強の訪日外国人が訪れている。これは前年比3割増しであり、2020年の訪日外国人2000万人達成により近づいている。そんな日本は好む好まざるにかかわらず外国人と接することが増えている。一方、在外邦人は125万人を超える。企業活動や海外経験、留学目的など邦人の渡航はより身近なものになっている。しかし、その渡航者の多くにいまだ文化の壁、常識の壁に対して無謀に立ち向かっている人も見受けられる。
海外旅行は日本人にとって長年のブームであるが旅行ではなかなか経験できない外国との隔たりを学ぶことが少なかったかもしれない。
今、国際化が進む日本において必要なのは官民一体となった外交の習得ではないだろうか?かつて外交官に憧れ、長年外国に住む者としてこのあたりに大いなる磨きをかけてもらいたいと思うところである。
了
岡本裕明(おかもとひろあき)
1961年東京生まれ。青山学院大学卒業後、青木建設に入社。開発本部、秘書室などを経て1992年同社のバンクーバー大規模住宅開発事業に従事。その後、現地法人社長を経て同社のバンクーバーの不動産事業を買収、開発事業を完成させた。現在同地にてマリーナ事業、商業不動産事業、駐車場運営事業などの他、日本法人を通じて東京で住宅事業を展開するなど多角的な経営を行っている。「外から見る日本、見られる日本人」の人気ブロガーとしても広く知れ渡っている。



