我々はグローバルな世界で頑張れるのか
世の中、グローバルという言葉が溢れている。グローバル企業とかグローバルな世界に挑戦するとか、会社名にグローバルの冠をつけているところもある。もはや、誰も何の違和感もなく耳にするわけだがよくよく考えるとこの言葉の意味は深く、時として誤って使っているかもしれない。今回はこのあたりを考えてみたい。

私が学生の頃に何になりたいか、と言われた時、間髪を入れず「国際人」と答えた。大学のゼミでも就活の面接でもそれを言い続けていたし、ちょくちょく外国にも出かけていた。当時は日本企業がアメリカに自動車を輸出しすぎて貿易摩擦が起きていた時代でもある。
私がポーランドでウォークマンをしていたら現地の人から音楽を持ち歩ける驚愕の製品と称賛され、売ってくれとの声が止まなかった。それぐらい日本製が世界で評価され、日本に興味をもつ人々も増えていった時代だった。
私がそんな夢と希望をもってイギリスに行った際、「ティーセレモニーについて教えて頂戴」とブリティシュのマダムから聞かれ何も答えられず大恥をかいたのが国際人としてレベルを深めようと思ったきっかけでもある。
国際人を辞書で引くと「教養や語学力があって世界に通じる人」と出る。これは我々が外国人とやり取りする際、2国間関係だけを考えればよいとも言える。正にビジネスマンも学生だった私も日本を紹介し、相手の文化や社会、ビジネスを取り込むことで対応できた。
さて、私論だが日本は歴史的に国際化を2度ほど行い、それぞれ苦い思いをしている。
1度目は正に江戸の末期の開国である。明治初頭、多くの知識人が欧米に勉学に行き、カルチャーショックを覚えて帰国すると同時に日本が立ち遅れていることを強く認識し、富国強兵を進める。その後、諸外国にとって想定外の日露戦争勝利で日本の評価が変わり、日本を完全に舞い上がらせた。あとはご承知の通り、激しい戦禍の中で敗戦という歴史的試練を味わった。これが一度目の国際化とその失敗である。
2度目は戦後直後からスタートした。復興という名のもと、アメリカに安い繊維製品を売りつけていたと思ったら、鉄鋼、工業製品、自動車に半導体とレベルアップし、日本は再び、GDP世界第2位の地位を確保する。だが、80年代後半のバブルでは「ジュリアナ東京」で舞い上がりすぎたのか、一気にバブル経済崩壊へと進み二度目の失敗を経験する。
その後、20年ものブランクを経てようやく日本が三度目の国際化を進めようとしている。だが、このステージは国際化とグローバリゼーションという二つの組み合わせであることに気がついている人はどれぐらいいるだろうか?
前述の国際人の考え方では、例えば訪日外国人を受け入れ、デパートやホテル、飲食店がその恩恵を受けるのは日本の国際化である。だが、今や、外国人を単に受け入れるビジネスだけでは成長の伸び代は少ないかもしれない。
訪日外国人にはインドネシアの方も多いだろう。同国がイスラム教の国であることを知れば彼らが日本で非常に困ることに気づくはずだ。多くの日本食に醤油が使われているからである。イスラム教ではアルコール分の入っている醤油は駄目なのである。だから寿司にどんぶり物、ラーメンにそばつゆや天つゆも原則引っかかる。
この場合、アルコールの入っていないハラール醤油を用意し、提供する人がいればこの方はグローバル化に対応していると言える。
グローバル化という言葉は実はかなり新しい言葉である。90年代から2000年代初頭に普及したと言ってもよい。勘の良い人なら気がつくだろうが、これはコンピューター、ITが世を席巻した時代と重なる。つまり、情報が一瞬のうちに世界を飛び交い、物流革命とネットでモノが簡単に購入できる時代になったことと重なる。あるいは世界のリーダーがG7だったのにG20に増えたことにも意味がある。
昔は相対の関係で収まっていた。だが、いまや、一つのボイスが一瞬のうちに多くの人に伝わることで情報発信側は様々な受け手のことを十分に察知した上で経済、政治、社会行動を行う必要がある。これがグローバル化ではないだろうか?
日本製品が世界で売れなくなった。スマホや電化製品がガラパゴスと称された理由は日本人がメードインジャパンに取り違えた信念を持ちすぎたからであろう。それは日本スタンダードを海外に押し付けようとしたとも言える。日本の冷蔵庫はドアが5つも6つもある。世界標準は2ドアである。日本の自動車は日本の道路事情に合わせている。だから軽自動車が跋扈している。だが、中国では後部座席に家族を乗せるため広いレッグルームに見栄えも必要である。これらの違いがあったことに日本は割と最近まで気がつかなかった。これは事実である。
グローバル化に対応するには相手を知り、相手とコミュニケーションをしなくては解決策が見いだせない。日本の企業はようやく英語を公用語とするところが出てきたが海外でモノを売りたいのなら言葉だけでは不十分だ。如何に現地の歴史、社会、経済、宗教、政治、価値観などを知り、相手の望むものを見出すか、これにかかっている。
折しも日本食が海外でブームである。だが、寿司に醤油をつけるという常識はもうすぐ消え去るかもしれない。それより綺麗に彩るソースが受ける時が来るであろう。その時、日本は柔道のように「これも1本取られた」と言うのだろうか?これが私の感じる国際化とグローバル化の違いである。
了
岡本裕明(おかもとひろあき)
1961年東京生まれ。青山学院大学卒業後、青木建設に入社。開発本部、秘書室などを経て1992年同社のバンクーバー大規模住宅開発事業に従事。その後、現地法人社長を経て同社のバンクーバーの不動産事業を買収、開発事業を完成させた。現在同地にてマリーナ事業、商業不動産事業、駐車場運営事業などの他、日本法人を通じて東京で住宅事業を展開するなど多角的な経営を行っている。「外から見る日本、見られる日本人」の人気ブロガーとしても広く知れ渡っている。



