vol.1『掃除婦のための手引き書』|翻訳の窓から – 書評で読む世界

短編集『掃除婦のための手引き書』の表紙には、美しい女性の写真。小粋に煙草を指に挟んだまま、微笑みながら遠くを見つめる目は達観し、何事も見逃さないような印象を与えます。この女性が著者ルシア・ベルリンです。

1997年に初の作品集を出版したベルリンは、「知る人ぞ知る作家」のまま、2004年に亡くなりました。「再発見」されたのは2015年、彼女の全作品のうち43編が新たに編まれて出版されてからのこと。この2015年版の中の24編が、ここに紹介する2019年刊行の日本語版に収録されています。
表題の短編「掃除婦のための手引き書」は、カリフォルニア州サンフランシスコの対岸の街でベルリンが掃除婦をしていた頃の話がもとになっています。主人公マギー・メイは、通勤に乗るバスの路線別に出来事を並べ、裕福で進歩的で幸せそうに見える家庭の家を片付けるときの物の盗み方や、他人の不幸のかけらの見つけ方をアドバイスします。
マギー・メイには絶対悪や絶対善の感覚がありません。善悪は相対化され、独特の均衡が保たれています。だから「奥様がくれるものは、何でももらってありがとうございますと言うこと。バスに置いてくるか、道端に捨てるかすればいい」。死別したパートナーとの思い出も時々挿しはさまれ、行き場を失った愛情をどうしたらよいのかを仕事の行き帰りに考えているのです。
主人公の女性はみなベルリン自身がモデル。引越の多かった少女時代はぎこちなく、大人になってからは重度のアルコール依存症に苦しみ、母親との関係も難しく、幼い頃のおぞましい体験は「沈黙」で明らかに。どの収録作品も飄々と書かれ、コインランドリー、病院、歯科医院、養護施設と、洗剤や消毒の匂いが漂う場所が頻繁に登場するのも特徴的。
本書に入りきらなかった短編は『すべての月、すべての年』に、さらには『楽園の夕べ』という短編集も、同じく岸本佐知子訳で講談社から出ているので、そちらもぜひ手に取ってみてください。

評者=新田享子
書評家・豊﨑由美を師と仰ぐ翻訳文学書評グループBookpottersのメンバー。国際政治、文芸理論、歴史衣装など縦横無尽にさまざまな分野の書籍を訳す英日翻訳者。kyokonitta.com








