スマホ漬けからの脱出|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明
スマホ中毒症は全世界的傾向にあると言ってよい。ここカナダでもエレベーターに乗っている多くの人はスマホの着信をチェックし、一行メールの返信に忙しく、エレベーターから降りる優先度は、いまやレディファーストではなく、スマホをしていない人から降りる順番に代わった感すらある。この中毒症状は病気なのか、はたまた現代のトレンドなのか、少し考えてみよう。
日本で電車に乗っていると否が応でも周辺の人のスマホ利用状況がよくわかる。見るとは無しに見ていると女性はネットのファッション系サイトを必死にスクロールダウンしている人が増えた。かつてはLINEといったメッセージのやり取りで早打ちマックのようなタイピングスピードで3〜4人と同時並行でやり取りしている猛者もいたが、最近はやや減ってきたかもしれない。
そもそも音声入力に慣れると手打ち入力がまどろっこしくなり、電車の中では音声入力できる環境にないので必然的に面倒臭いと感じるようになった人も多いだろう。一方でメルカリやZOZOといったファッション系サイトはわざわざ買い物に行かなくても済む点で女性にとっては要チェックサイトということかもしれない。
男性は動画配信を見る人、ゲームをする人、ネットを見る人などが多く、ある意味、受動的使い方をしているようにみえる。
日本では各種調査があり、高校生で使用時間が平均1日3時間という統計もあるが、最近の報道では女子学生は5時間以上使っている人が当たり前になっているようだ。ちなみに内閣府発表の統計によると、高校生のデジタル機器利用状況はスマホが89・4%、携帯ゲーム機が18・6%、ノートパソコンが17・7%となっている。
IT機器は年齢と共にその親密度が変わってくるもので、ウィンドウズ95の誕生と共にコンピューターに接した45歳以上の方はノートパソコンが主流だし、オフィスではデスクトップかもしれない。私も勿論その仲間である。その後、タブレット端末に一定の理解を示した狭い範囲の世代もいるが、すぐにスマホ世代にとって代わっているとみている。
では、スマホは何故、ここまで我々の生活に浸透したのだろう?ズバリ、カラダの一部になったと断言する。私は「外付け記憶媒体」と呼んでいるのだが、要は使っている人がほとんど自分の記憶能力を使うことなく、全てスマホに依存するようになっている。自分の予定から電話番号、友達とのやり取り、個人データまで全部そこに収まっている。
私はレンタカーの仕事をしているが、紙に申込書を記入してもらう際、自分の住所すら書けない人が増えてきた。少し気の利いた人は重要情報をかき出したメモ帳を作っていてそのページをそのまま写している。小学生の時、迷子になり、おまわりさんに「僕の家は何処?」と聞かれてちゃんと説明できれば「おりこうさんだね」と言われたが、スマホがなければ認知症とさして変わらない。電話番号も記憶していなければその人の存在すら説明できなくなるという笑いの種にもならない状況になりかねない。
そんな時代なので、私の対策は外出中は基本的にスマホには頼らない、である。メールなどまず見ないことにしている。私はメールの送受信数が多いため、それに振り回されていると一日中気になってしょうがない。そこで外出中のみならず、事務所で仕事中でも時間や仕事の合間というタイミングで区切ってメールチェックするようにしている。
最近は電話するにもかけてもらうにも相手によっては事前にメールで約束してからやり取りするようにしている。そうしないと集中した仕事ができず、効率が悪化するのである。
次に、お手軽情報はほどほどにしている。インターネットのニュース情報は端的に結論をまとめている半面、断片的であり、メディアの色が出やすくなっている。結果として情報操作のような形になり、ある事柄に対してその判断の方向性を植え付けやすくなっている。
アメリカの最高裁判事のセクハラ問題でもトランプ大統領の動向でも安倍首相の内閣組閣でも色が付いた報道が多く、読み手を記事の先にある答えに導こうという意図がありありと見受けらえる。これがフェイスブックなどSNSになるともっと顕著になる。
特に左巻きの傾向はメディアに多く、報道の偏向には目を覆うほどになっている。
これから遠ざかるために意図的に、スマホに依存しないオールドスタイルのライフを積極的に組み込むようにしている。つまり情報は雑誌や書籍から、やり取りはSNSではなく、リアルの会合や飲み会などで顔を合わせて本当の意味合いを探るようにしている。
スマホテキストでいろいろ書かれても話の切り口次第ではどうにでも取れることが多く、その背景や詳細の説明は本人に会ってようやく、「あぁ、そういうことだったのね」と納得することも多い。
何が大事かといえば人間が持つ「内蔵記憶装置」を駆使し、「思考回路」をぐるぐる回し、高速処理して一定の結論を出す癖をつけることである。今後、AI(人工知能)が本格的に普及すれば人間は考えることすら要求されなくなる。言われたことを言われたとおりにやればいい時代である。これは一見とても楽なようだが、高度に発達した人間の否定と衰退化そのものであり、スマホがなければ「廃人」同様であろう。
少なくとも私はそうなりたくない。スマホごときに私の脳みそを奪われたくはない。そう思ってくれる人がほかにもいたら是非とも実践してもらいたい。デジタル機器とは賢い付き合い方をしてこそ、本当の意味があるというものだろう。
了
岡本裕明(おかもとひろあき)
1961年東京生まれ。青山学院大学卒業後、青木建設に入社。開発本部、秘書室などを経て1992年同社のバンクーバー大規模住宅開発事業に従事。その後、現地法人社長を経て同社のバンクーバーの不動産事業を買収、開発事業を完成させた。現在同地にてマリーナ事業、商業不動産事業、駐車場運営事業などの他、日本法人を通じて東京で住宅事業を展開するなど多角的な経営を行っている。「外から見る日本、見られる日本人」の人気ブロガーとしても広く知れ渡っている。