ゼロ・アワー 東京ローズ最後のテープ
演劇というツールで東洋の魔女・東京ローズ、戦争とメディアの問題を表現する。
「ゼロ・アワー 東京ローズ最後のテープ」脚本・演出を担当した
やなぎみわさん インタビュー
現代美術家としてだけではなく、劇作家・演出家としても活躍するやなぎみわさん。2月21日に行われるトロント公演ではQ&Aセッションを開催する。第二次世界大戦中に実際に起こった史実とフィクションを織り交ぜて表現される、声というテーマ。終戦70周年の今年、北米でゼロ・アワーが上演されることについて、また美術、演劇を通してやなぎさん自身について語ってもらった。
やなぎみわ yanagimiwa.net
神戸生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。93年に京都で初個展。以後、96年より海外の展覧会にも参加。若い女性が自らの半世紀後の姿を演じる写真作品、「マイグランドマザーズ」シリーズ、実際の年配の女性が祖母の想い出を語るビデオ作品「グランドドーターズ」を制作。2010年より演劇作品も手掛け、2013年に国内で初演を迎えた「ゼロ・アワー 東京ローズ最後のテープ」で北米初ツアーを行う。
芸術家を目指したきっかけは?
芸術家を目指した覚えはないです。自覚はあまりなく、小さい時から絵が好きで、美術大学に行きたいと思って予備校に通っていました。ですが、それは芸術家を目指そうと思っていたわけではなく、当時から今もそうなのですが、次の展覧会や作品などのことを考え続けて、創ってきたという感じです。ただ美術大学を卒業する時に、就職をしなかったという点で覚悟を決めましたね。
現代美術家から演劇を始めたきっかけは?
私の場合は美術を長くやってきましたが、ずっと違和感があったということと、写真を始めとして、メディアアートが体に落ちないところがあったのです。演劇についてはおそらくいつかやることになるだろうな、とは思っていました。ヨーロッパやアメリカは演劇をやりながらドキュメンタリー映画を撮るなどジャンルに垣根がないのですが、ただ、日本の演劇はとても縦割り社会で、特別なものとして存在しているように見えたのです。なので、すぐには垣根を超えられないな、と思ってました。手を出さなかったというのが正直なところです。ですが、ベネチアビエンナーレが終わった後、特別なきっかけというよりは、ただ後悔のないよう演劇に向けて動き出すことにしました。
ご自身でも異例という遅さで演劇を始められた感想は?
毎日全身で勇気を振り絞っていますよ。演劇はやはり遅くに始めるものではないな、と感じました。演出家の経験が少ないと沢山の方に迷惑をかけるので、今でも泣きそうになりながら毎日頑張っています。2011年に初めて劇場公演をした時には、辛いのと思い通りに表現できないということで何度も泣きましたね。動体視力も、脚本の読み込みも、全てが付いていけないという状態でした。
その辛い、困難な状況をどうやって乗り超えたのですか?
いまだに乗り越えられていません。今まさに、毎日新しい経験を積みながら勉強しているところです。いつも周りに申し訳ないという気持ちがあります。また演出家はお金を作る必要があるという点が美術とは大きく異なり、想像以上に大変ですね。ですが、自分が求めているもの、見たいものが演劇公演の中にあるのでこの困難に立ち向かうことはできます。何か違うことでリフレッシュは出来ますが、それは一時的な対処であって、結局は作品創りの中で解決するしかないのです。
ゼロ・アワー制作の理由やきっかけはありますか?
私は以前からプロパガンダ放送に興味を持っていました。それは戦争中には激しく行われていましたし、今でも各国で行われています。特に声のプロパガンダ放送は声だけで人を操作するという点が演劇の本質に近いと前々から思っていました。そしてプロパガンダについて調べるうちに日本にも東京ローズというプロパガンダのアナウンサーがいたということを知って、そこからアイバ・郁子・戸栗さんの伝記を読んで勉強しました。戦時中日本にいた日系アメリカ人の方は終戦後には殆どの方がアメリカに帰ってしまった為、情報がとても少ないのです。そして彼女たちのような日本人でありアメリカ人である、ボーダーラインの上にいる方は歴史の波に飲み込まれやすいということを知り、それに関した作品を創ろうと思いました。
ゼロ・アワー海外初公演でどのような方に観てもらいたいですか?
ゼロ・アワーに関してはとても複雑な公演です。孤独な日系コミュニティーが当時のNHKの中にもあり、そこから英語放送で自分の祖国の人たちに話しかけていた。プロパガンダ放送として軍直轄でしたので、日本軍の為に働かなければならなかったというとても複雑な状況です。ですが、決してプロパガンダ放送ではない部分もありますし、彼女たちがアメリカ人としてエンターテイメントを流していた部分もあると思うのです。戦後権力のある方がプロパガンダかどうかを判断して、断罪した、ということになります。
ボーダーラインにいる人たち、というのは今でも世界中にいると思いますし、境界線の問題というのはたぶん古今東西普遍的にある問題だと思うので、色々な人に観てもらいたいです。東京ローズという日本の為に働かなければならなかった日系人というのは一つの例だと思います。そういう普遍性が伝わればいいと思っています。
今後挑戦していきたいことは何ですか?
今ゼロ・アワーと並行して行っているプロジェクトがあります。それは野外公演でトラック演劇といいまして、台湾で購入したステージトラックの車両と一緒に移動するものです。それもまた境界線にいる人たち、日本の被差別部落の人たちが主人公です。日本の被差別地域問題は差別が良くないということで、今は一応無いことになっています。その地域は更地になり、ただ、無かったことにされています。そのこと自体が無かったことのように扱われ、歴史や物語まで無くなってしまいます。ですからその境目があったということを忘れてしまうのはよくないと思い、境界線とはいったい何なのか、ということを探るのが一つのテーマです。
TORJA読者にメッセージをお願いします。
ゼロ・アワーは史実に基づいたフィクションで、史実についてはしっかり勉強しましたし、俳優陣も海外生活の長い人が多いので差別や異文化に対する理解もあります。ドラマで魅せるという面では演劇は映画や小説よりもやりにくいところもあります。風景や群衆といった抽象的な表現の方が演劇は合っていると思うので、今回演劇の本質的な部分を表現できるようにしました。
ゼロ・アワー 東京ローズ最後のテープ(公式ホームページより)
「ゼロ・アワー」とは、太平洋戦争中に日本政府が連合国軍向けに発信していたラジオ番組の名称。南太平洋で戦う米兵たちに届いた女性アナウンサーの魅惑的な声はいつの間にか、東洋の魔女「東京ローズ」と呼ばれるようになる。終戦後、彼女を一目見ようと米兵や記者たちは廃墟の東京に殺到するが……。
第二次世界大戦下、海外短波を聞き取るタイピストを経て、対米アナウンサーとして働き、洋上の米兵に「太平洋の孤児たち」と語りかけた日系アナウンサー。彼女たちの放送室もまた、日本の中の「孤島」であった。敵国人として自らの声を封じられたアナウンサーたちが、やがて「東京ローズ」とされて母国からも断罪され、歴史の波に消えていく。