【第2回】カナダ新移住者とトロント日系コミュニティー

1999年、結婚を機に20代でトロントに移住しました。留学先のスイスの学校で夫に出会い、台湾において1年の花嫁修業を経て、カナダへ移住することになりました。日本語を話さないトロント育ちの彼にとって日本に住むという選択肢は考えにくく、彼に生活の基盤がトロントにあったことで、私も不安はありませんでした。戦争や飢えに苦しむ国ではなく、言葉も通じる平和な国カナダでの生活は、私にとってはさほど抵抗のない選択肢でした。
妊娠、出産と子供のことを考え始めた時、この多種多様な文化が共存するトロントにおいて、彼らがどうしたら自分自身を見失わずに生きていけるかを考えて、ルーツを知ることの大切さに着目し、トロントにおける日系社会に足を踏み入れることになりました。また、だんだんと自分自身が日本語で出産や子育てについて語り合い、相談できる友人や居場所がほしい、さらにトロント社会を理解し、なじんでいくためにも、まずは日系社会でのボランティア活動を通じて少しずつ自分の周りの世界を広げていければいいなと思うようになりました。
そこで最初に出会ったのが、日系文化会館(JCCC)を活動の拠点としていた新移住者協会(New Japanese Canadian Association-NJCA 1976-2015)でした。この団体は、1976年に戦後移住者によって設立され、日本語を話し、日本文化を継承しながら日本語で支えあえるコミュニティーづくりを目指していました。現在の移住者コミュニティーの基盤を作りあげた世代の中心的な存在だったと言っても過言ではないかもしれません。私が理事に加わった2003年ごろの理事会は驚くほどの熱気と活気にあふれていて、昭和の古き良き時代そのままでした。時には怒鳴り合いや喧嘩を通じて意見をぶつけ合い、切磋琢磨。助け合いと思いやりの精神が根付いていて、そこにいる誰でもが皆家族同然でした。私もさんざん叱られましたが、それ以上にお世話になって、心温まる経験を重ねました。当時私はちょうど2番目の娘が生まれたばかりだったので、理事会に参加する際には、夫が子供たちと会館の1階出口のそばで終わるまでまっていてくれました。会議の合間に抜け出し、娘に母乳をあげていたのを覚えています。
そもそも私がNJCAの理事になったのは、ベイビートークスフォーラム(現在のファミリートークスフォーラムFTF 2001〜)を立ち上げた発起人であり、管理人を務めていたことがきっかけでした。そう、現在では1700家族を超える大きな団体ではありますが、その始まりはわずか4人からのスタートでした。FTF立ち上げのきっけは、日本語で出産や子育てについてを相談したり情報交換したりできる機会を求め、ご近所さんのママ友を探していたことでした。NJCAの先輩2人が知恵と知識を貸してくださり、さらに私と同じことを考えていた同年代の人を引き合わせてくださったことで、FTFが誕生しました。創立の年が2001年である理由は、私とその彼女の子供がどちらも2001年生まれだったというタイミングが重なったからです。
こうして私は日系社会と20代で出会い、子供のためにと関わり始めることになるのですが、今後このボランティア活動は徐々に加速して、25年たった今ではすっかりパラレルキャリアとして私の人生に根付いています。







