vol.3|『別れを告げない』|翻訳の窓から – 書評で読む世界

2024年のノーベル文学賞に輝いた韓国の作家ハン・ガンの『別れを告げない』(白水社、斉藤真理子訳)は、1948年に済州島で起きた4・3事件が背景になっています。今はリゾート地として有名な済州島ですが、この事件で6万人もの島民が殺害されたとも言われ、作品を読む前に、その歴史を知っておいたほうがいいでしょう。ハン・ガンは、哀悼を終わらせない決意でこの小説を綴っているのです。
主人公キョンハは作家で、ソウル在住。小説を書くため、虐殺に関する資料を読み込むうちに悪夢を見るようになり、その夢をもとに、映像作家の友人インソンと映画制作の計画を立てる。いろいろあって立ち消えたように思えた計画だが、実は、インソンがひとりで進めていた。なぜなら、彼女の母親は4・3事件のサバイバーだったから。インソンは母が集めていた虐殺についての資料の空白を埋めていくが、あることが起き、疎遠になっていたキョンハに連絡をとる──この小説はそんな始まり方をします。
インソンに頼まれ、済州島に来たキョンハは夢とも現実ともつかない光景に遭遇しながら、インソンの家にたどりつきます。詩人でもあるハン・ガンは、降り注ぐ白い雪、濃紺の夕闇と海、ぱっと飛び散り滴る赤い血といった情景を繊細な糸で紡ぐように描き、読者をぐっと作品に引き込みます。
嗚呼、なんてすごい小説なんだろう。ハン・ガンの言葉を借りて言えば、「刺繍枠にぴんと張られた布のように緊張した沈黙と、そこに突き刺す針のような自分の息づかいを聞きながら」、この小説を読みました。
白、青、赤の三色が重要な意味を持つこの作品は、原書も日本語版も青い表紙に包まれ、カナダ版も青。日本語版は、かの有名な韓国語翻訳者、斉藤真理子の訳で読めます。日本語読者にとっては幸運にも、他にも多くのハン・ガン作品が和訳されています。

評者=新田享子
書評家・豊﨑由美を師と仰ぐ翻訳文学書評グループBookpottersのメンバー。国際政治、文芸理論、歴史衣装など縦横無尽にさまざまな分野の書籍を訳す英日翻訳者。kyokonitta.com




