神田瑞季ーあなたの愛を被災地の子どもたちに。現実と向き合う子どもたちの心ー
東日本大震災からから3年。TORJAでは、毎年3月号はここカナダ・トロントの現地日系情報誌として当時のことや被災地と被災者の方々のことが“風化”してしまわないように、カナダと日本をつなぐ絆やストーリーを微力ながら発信し、多くの人に届いてほしいという想いで特集を組んでいる。今回表紙に選んだ作品は、被災地でもある女川町が日本、カナダ間の平和と友情の証としてグレー大尉の慰霊碑を建てたことから始まった国際交流プロジェクトで震災前にカナダに訪れたことがある神田瑞希さんの作品を選ばせてもらった。自らが被災し、大切な家族や友人を失った彼女が、それでも絵に込めた想いはどんなものなのだろうか・・・。今も心の傷に向き合いながら、それでも前向きに笑顔で一生懸命な彼女に、現在までの歩みや、今の気持ちを語ってもらった。
私が15歳の時に描いた子ども達が瓦礫を見つめる絵。震災から3年経って、この子達の“今”を描いてと言われても私は笑顔で振り返る子ども達を描くことは出来ないでしょう。瓦礫が撤去されて、被災地はグレー1色になりました。これから少しずつ新しい建物が増えていくことでしょう。でも被災地に建つ新しい建物の色はなんだか寂しい気もします。そこで震災の翌年、がれき処理場の壁に絵を描きました。“再生”という題でカラフルな木の実をつけた木です。困難な環境で育った木こそ強く美しくなる。私達もきっとそうなるという想いを込めた絵です。
色には人を癒す力があると思っています。だから少しの間だけでも、傷を負った方々と寄り添えたらという想いで描いたものです。高校3年間に約5枚ほど壁画を描きメッセージを発信してきました。決して絵が上手い訳ではありません。私より辛い想いをしてる人たちに寄り添いたい、ただそれだけでした。
少しずつ元気になっている人も沢山います。しかし未だに暗い闇の中を歩いている人がいるのも確かです。これは子ども(中高校生含む)に限らず大人やお年寄りの方にも言える事です。
愛する人や家族を失った悲しみが闇を生み、大人子ども関係なく心を蝕んでいきます。
私自身も大切な家族や友達を失いました。その後も大きなトラブルが続き、とうとう心の病気になってしまいました。目の前は闇で暗い小屋に閉じこもっている様な感覚で、夜にはとてつもない寂しさが心を襲い、耐えられず腕中をひっかいたり傷つけたりもしました。それが毎晩続き、正直、光の存在など信じられませんでした。でも私には生きなければいけないという思いが心のどこかにありました。それは祖父や失った友達の存在があったからだと思います。
母親の勧めで近くの教会に通い始めるようになりました。そこには無条件の大きな愛があり、私の心はその愛で抱きしめられました。そして少しずつ、癒されていきました。皆が寄り添い祈ってくれた事は何よりの薬になったのです。そしてその愛を表現した壁画”Thinking about you”を描きました。
目には見えないけど繋がっていて、私達は絶対に幸せになれるという想いを込めました。天国にいる方たちは私達に幸せになってほしいはずです。きっと私のおじいさんも。
暗闇にいる人たちの心の中に届けたいという気持ちが強くなりました。最近の世の中は、不登校や幼くして心の病気を持つこども達も多くなってきています。自分が経験したからこそ伝えたいものがありました。
私が今伝えたいこと、それは“被災地を救うのは愛”ということです。人は人を愛で癒す事ができます。祈りや想いは必ず届きます。だから諦めず、被災地を想って下さい。心の片隅でもいいから忘れないでください。頑張りたくないのに現実と向き合わなければならない子ども達がいる事、突然家族を失った人々の生活が続いている事、苦しみの中にいる人がいること…。あなたの愛をどうか向けてください。私が思うことはそれだけです。きっとそれは大きなものを動かすと思うからです。私はこれからも被災地で明るい絵を描き続けていきます。
被災地から愛を込めて.瑞季
表紙の作品: 「生きる」
この絵は一見子どもたちが震災に立ち向かっているように見えますが、本来表す意味は“本当は逃げたい、頑張りたくないという子ども達。立ち向かわざる負えない状況にあるということ。手を繋いでいるのは自分を必死に奮い立たせるため。立つのに精一杯なこの子ども達は今この瞬間も被災地と向き合って生きているということ。”です。
神田瑞季
1995年宮城県女川町生まれ。
7歳から美術研究所に通い、この春、東北芸術工科大学グラフィックデザイン学科に入学予定。15歳の時に描いた震災関連の絵が女川町の復興ハガキとなり、また宇宙ステーションにデータが搭載され話題を呼んだ。ボランティアで女川町の瓦礫処理場の壁に“再生”というテーマの壁画を描き、それもまた話題となる。その後も数枚の壁画を制作し被災地からメッセージを発信し、町の復興に貢献してきた。