若者よ、令和にはばたけ|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明
お祭り騒ぎだった今年のゴールデンウィーク。平成が終わり令和の時代に我々は何を期待するのだろうか?活躍の中心は昭和生まれから平成生まれの人たちにバトンタッチし、未来志向の中でニューノーマルを生み出すことだろう。私が託す世代交代の引継ぎを書き綴ってみよう。
ゴールデンウィーク前のメディアは軒並み平成の思い出番組だった。一般のニュース番組でさえも平成の出来事を混ぜ込みながら「あの頃」を回顧させるものが多かった。その多くは暗いイメージではなかっただろうか?
それはバブル崩壊の後始末から始まり、社会構造の根本的改革を迫られる中、なかなか、それに合わせられない世の中の軋み音が聞こえてくるようだった。企業はコンプライアンスを叫び、終身雇用から契約社員の時代が到来する。世の中の物価は下がることが当たり前になった。老舗企業は淘汰され、高度成長期を謳歌したあの面影はない。
それらを失われた10年とか20年と世の中は称したが、私が振り返ってみる限り、失われたのではなく、世代交代に手間取り、目に見えない地殻変動が起きていたのだと考えている。ご存知の通り、安倍総理はアベノミクスの三本矢で構造改革を三本目の矢としたが、なかなか達成できず、批評家から厳しい意見を突き付けられている。
構造改革が簡単に進まないのは日本が外的影響を受けにくいからである。島国でほぼ単一民族の日本において社会を牛耳るのは世の主導権を握る政治家であり、官僚であり、企業の経営者である。それらの指導者達は往々にしてブーマー族と称する昭和の真っただ中を突っ走ってきた人たちであり、「こうあるべき論」が抜本的改革に消極的だったと考えている。
移民を受け入れ、様々な人種で構成されるカナダやアメリカではどんどん新しいことを取り入れ、世の中のルールを見直し、技術や社会の変革とともに標準的生活の位置づけは変わり続けてきた。これが変化の速い現代社会においてどれだけ意味あることかは若者ならばよくわかっているだろう。
そんな中、ブーマーたちの「べき論」を振りかざした人たちがもがき、苦しみ、そして少しずつ変化してきたのが私の見る平成の位置づけである。
今、令和になり、平成生まれの人が30歳を超えてきた。社会人を10年前後経験してきた人たちは世の中の主流となり、起業する人、政治家になる人、あるいは役人として日本を支えようとする人たちが日本の基調を作り始めている。
これを世代のバトンタッチと言わずしてなんと言おうか!
これから10年程度で起きそうなことは何だろう?
電気自動車が席巻し、自動運転化となるだろう。その時、クルマは確実にコモディティになる。なぜならドライブする楽しさがないからだ。その代わり、クルマという空間でどう過ごすか、全く新しい発想がそこに生まれる。
仮想通貨も当たり前になる。だが、私はビットコインのような既存の仮想通貨は全滅するとみている。理由は量子コンピューターの普及が現代社会におけるITシステムやセキュリティを根本から覆すからだ。今の仮想通貨は量子コンピューターの登場でセキュリティは破られる。むしろ、新しく生まれる仮想通貨は相場性はないが流通と効率性を追求し、我々の日常生活に当たり前のように浸透するはずだ。その時、我々は財布を持つことはもうない。
働く環境はどうだろうか?なぜ、我々は時間をかけて会社に通勤し、机を並べて仕事をしなくてはいけないのだろうか?多くの人は在宅勤務や郊外にあるシェアオフィスなどで必要な作業を行うだろう。子育て世代は通勤を気にせず、幼稚園や小学校の時間に合わせた勤務体系をとれる。
会社の仕事はチームワークから個人能力を問われる時代が来る。個々の能力が全てであり、その作業はすべて管理されるだろう。ジョージオーウェルの『1984年』は現実になりつつある。
その中で我々人間が求める安ど感はどこにあるのだろうか?これぞ令和の時代を羽ばたく人たちへのヒントだ。
AIが席巻する世の中を我々は本当に望んでいるのだろうか?ロボットにサーブされるレストランが本当に楽しいのか?「私、失敗しません」も大事だが、一癖、二癖もあるところに人間味を感じていないだろうか?ネットショッピングで自分好みの商品ばかり提示され、辟易としていないだろうか?
令和の時代に求められるのは人間愛だと考えている。そう、技術の進歩に疲れた人たちがよりどころにするのは人間。介護ロボットは便利だろうが、心のこもっていない物質的な手で介護されるより優しい言葉をかけてもらいながら面倒を見てもらう方がどれだけ嬉しいだろうか?楽しい時は笑顔、悲しい時は涙、この表現ができるのは血が通った者だけだろう。
人の能力と産業の進歩をうまく捉え、バランス感覚を取り入れたビジネスは伸びるだろう。あるいは人間臭い人々が話題になるかもしれない。最新テクノロジー完備の家よりも笑いと温かさのある木造のちっぽけな住宅の方がずっと居心地が良いと気がつくだろう。
私は不動産事業を営んでいるが、逆立ちしても超高層マンションの上層階に住みたいとは思わない。地に足がつかないそんな世界より地べたで大地の温もりと四季折々の木々の顔、外の風を受け、温度を感じるライフが人間としてどれだけ幸せだろうかと思う。
私も昭和の人間だけど、平成育ちの人たちと一緒に時代を駆け抜けてみたいものだ。一緒に頑張りましょう!
了
岡本裕明(おかもとひろあき)
1961年東京生まれ。青山学院大学卒業後、青木建設に入社。開発本部、秘書室などを経て1992年同社のバンクーバー大規模住宅開発事業に従事。その後、現地法人社長を経て同社のバンクーバーの不動産事業を買収、開発事業を完成させた。現在同地にてマリーナ事業、商業不動産事業、駐車場運営事業などの他、日本法人を通じて東京で住宅事業を展開するなど多角的な経営を行っている。「外から見る日本、見られる日本人」の人気ブロガーとしても広く知れ渡っている。