トロント不動産情報 VOL.27
本文:照岡 敏介 -Toshi Teruoka オンタリオ州政府公認・リアルエステートライセンス保持者
“トロントは不動産バブル?”“不動産ブームは何時終わるの?”
先月お話した様に、平均所得世帯が平均価格の不動産を購入する事は年利の低下を考慮しても20年前と比較すると世帯収入に対して住宅ローンの返済の割合は大きくなっているようですが、この20年間の不動産価格の上昇はバブルなのでしょうか?それでは不動産バブルを経験した日本やアメリカ合衆国ではどのように経緯で不動産ブームが起こり崩壊したのでしょう?
日本:バブル以前の1985年のプラザ合意直後の日本は円高不況と称された深刻な不況であり、輸出産業が大打撃を受け、東京や大阪などの町工場には倒産が続出していました。当時の日本のGDPに占める製造業比率は高く、円高が輸出産業、ひいては日本経済に与えたダメージは現在と比較にならないほど大きく、製造業の日本国外への流出もこの時期に本格化しました。円高不況という文字がメディアから消え、多くの一般の人がいわゆるバブル景気の雰囲気を感じていたのは1988年頃から1991年2月のバブル崩壊以降少し後までの数年です。
当時、ドル高による貿易赤字に悩むアメリカ合衆国はG5諸国と協調介入する旨の共同声明を発表しました。これにより急激な円高が進行。1ドル240円前後だった為替相場が1年後に1ドル150円台まで急伸した。日本と西ドイツがアメリカのドル安政策の標的にされました。
このショックを和らげるため日本政府は、内需主導型の経済成長を促すため公共投資拡大などの積極財政をとり、また一方で日銀は段階的に公定歩合を引き下げ、(最終的には2.5%)、長期的に金融緩和を続けました。この結果、長期景気拡大をもたらした一方で、株式・土地などへの投機を許しバブル発生を引き起こしたとされています。
東京圏では1987年と1988年の住宅地の価格はそれぞれ22%、69%上昇し、商業地の価格はそれぞれ48%、61%上昇し,大阪圏では1989年と1990年の住宅地の価格はそれぞれ33%、56%上昇し、商業地の価格は1988—1990年で30-40%上昇しました。
そして、金融緩和の終了で持続可能性を喪失した。1989年5月から1年3カ月の間に5回の利上げが実施され、2.5%だった公定歩合は6%台まで引き上げられた。マネーサプライの増加率は、1990年には11.7%、1991年には3.6%、1992年には0.6%となってしまいました。