文化庁「新進芸術家海外研修制度」研修生の万里紗氏と入江恭平氏が、6月8日にトロントで特別イベント「Japan + Canada Theatre & Food Night」を開催
文化庁「新進芸術家海外研修制度」の研修生として、現在トロントを拠点に活動する二人の日本人アーティストがいる。世界的フィジカルシアター集団「Corpus」で活動する舞台芸術プロデューサー/マネージャーの入江恭平氏、そして「Tarragon Theatre」にレジデントアーティストとして滞在する女優・戯曲翻訳家の万里紗氏だ。6月8日には、演劇リーディングやトーク、食を通して、日本とカナダをつなぐイベント「Japan + Canada Theatre & Food Night」を開催する。今回、本イベントに込めた思いや、トロントでの活動を通して見えてきた日本とカナダの文化交流、そして「人と人との関係性」について話を聞いた。
ーー企画書にあった「経済的・政治的メリットに依存しない関係性」という言葉が印象的でした。お二人は、今の時代における文化交流の意味をどのように考えていますか。

万里紗 世界的な右傾化が進む中で、「メリット」という概念を隠れ蓑に、さまざまな暴力や制度が正当化され、守るべきものが切り捨てられていく危機感があります。しかし本来、人間が人生や社会、文化の中で求める「幸福」は、損得とは別次元にあるものだと思います。現在の日本社会は分断が深まりつつありますが、その中でカナダの多文化共生社会が持つ道徳や具体的な仕組みには、多くを学べると感じています。
私にとって文化交流とは、「ショック療法」のようなものです。自分の当たり前から引き離された時、人は抵抗を感じますが、その抵抗を見つめることで、自分自身をより深く知ることができる。そして、これまで無意識に抱えていた枠組みから解放され、新たな自分と出会うことにも繋がると思っています。
アルゴリズムによって、一人ひとりの世界観が固定化されやすい今だからこそ、単に「輸出できる文化」を紹介するのではなく、自分の足元が揺らぐほどの「出逢い」や「崩壊」、そして「再生」をもたらす文化交流が必要なのではないかと感じています。
入江 私は、メリットの有無ではなく、「トロントにいる仲間だから」という理由だけで助け合える関係性を広げていきたいと思っています。具体的な利益がなくても支え合えることこそ、本来の人間関係ではないでしょうか。
2024年から研修先を探すためにトロントに滞在していましたが、当初は非常に孤独でした。高熱を出して失神した時も頼れる人がいなかった。しかし少しずつ知り合いが増え、自分のことをよく知らない人でも、人を紹介してくれたり、舞台の仕事や研修先探しを助けてくれたりした。その経験から、自分も周囲の人に何かを返していきたいと思うようになりました。
カナダに来て、日本はより資本主義的な価値観が強い社会だと感じました。本来は経済の物差しだけで測るべきではない人間関係や人権、道徳にまで、その尺度が持ち込まれている。しかし、人間の目的は幸せに、健康に生きることであり、経済はそのための一つの手段に過ぎないと思います。
カナダの多文化主義社会では、「損得を超えた関係性」が比較的成立しやすいと感じています。文化交流とは、文化だからこそ扱える価値観を共有し合い、その積み重ねが、お互いの国の発展や進歩にも繋がっていくものだと思います。
ーー日本とカナダ、両方の社会に身を置く中で、お二人が感じる「共通点」にはどのようなものがありますか?

万里紗 人々の優しさでしょうか。特にカナダでは、厳しい冬の気候や多様なルーツを持つ人々が共生していること、さらにドラッグ問題などの背景もあり、「孤立が死につながる」という感覚を社会全体が共有しているように感じました。だからこそ、新しく来た人を独りにしない。「How are you?」も本気で聞いているし、冬には「寒すぎる!」と愚痴を言い合いながら励まし合う文化があります。
日本にも、個人の欲望より集団の和を重んじ、丁寧に他者と接する感覚がある点では共通性を感じます。一方で、カナダでよく耳にしたのが「Passive Aggressive」という言葉でした。普段は優しい人々だからこそ、積み重なった我慢が、特に運転中などに爆発する印象があります。それは日本でも同じで、溜まったフラストレーションをどこかで爆発させている人を目にすることがあります。
入江 マネジメントや、多様性・公平性の重要性が求められている点は、日本とカナダの両方に共通していると感じます。
カナダのアート業界では、労働組合による雇用や生活保障、保険・年金・休業補償など、アートワーカーを支える仕組みが整っています。また、法務や経営支援を行う団体、子育てや介護と両立するアーティストを支える中間支援組織も充実しています。
さらに、芸術助成を行うアーツカウンシルは国・州・都市ごとに存在し、公務員ではなく専門家によって運営される「アームズ・レングス」の仕組みが採用されています。政治から一定の距離を保ちながら支援が行われている点も特徴的です。
作品面でも、多様性やアイデンティティ、移民、ジェンダーをテーマにしたものが多く、そうしたテーマが助成対象にもなっています。
一方、日本はこの分野ではまだ遅れている部分もあります。ただ、その必要性に気づき、声を上げる人は確実に増えている。求められている方向性自体は、日本もカナダも共通していると感じています。
ーー今回のイベントは、「完成された作品を見せる」というより、「対話の場を開く」ことに重きがあるように感じます。お二人は、この場を通して観客にどのような時間や感覚を持ち帰ってほしいと考えていますか?

万里紗 北米やヨーロッパの演劇界では、制作途中の作品をリーディング形式で公開し、観客からフィードバックやアイディアを得ながらブラッシュアップしていくことが一般的です。一方、日本では、新作を稽古して上演し、終わったら次へ進む、というサイクルになりがちで、一つの作品が社会にどのような影響を与えたのかを検証する時間が十分に持てないこともあります。その結果、本来は人間性や社会の痛みを紐解き、暮らしを豊かにする装置であるはずの演劇が、「商品」として扱われてしまう側面もあるように感じています。
そうした背景もあり、今回は創作途中の作品を共有し、観客との対話を通して、作品をより力強く育てるための道しるべを見つけたいと思いました。
今回取り組んでいる作品は、相模原障害者施設殺傷事件を背景に、知的障害を持つ人の姉という視点から、日本社会そのものを問い直そうとする作品です。そこには、不都合な真実も含まれていると思います。しかし同時に、誰かを愛したことがある人なら共感できる普遍性も含まれているのではないかと感じています。
入江 今回のイベント自体、ある意味では一つのアート作品だと思っています。参加してくださる方々には、「アートは社会の中でこういう形でも役に立つのか」と感じてもらえたら嬉しいです。
特にレセプションは、普段アートに触れる機会の少ない人にも来てほしいと思い企画しました。アーティストは、既存の文脈にとらわれず、時に奇想天外な発想を生み出します。その創造性は、異分野の人々にとってもイノベーションの種になり得ると思っています。
アートには、誰も気づかなかった視点から新しいものを生み出し、そこに美学を与える力があります。そうした「ゼロから何かを生み出す思考」は、アートに限らず、あらゆる分野で必要とされているのではないでしょうか。
また、アーティストにとっても、普段関わることのない分野の人々と出会うことは大きな刺激になります。そこから新たな活動や創造のきっかけが生まれることも期待しています。
ーー異なる文化圏で活動する中で、「自分は日本人である」と意識する瞬間と、「国籍を超えた個人」として存在している感覚、その両方があると思います。お二人はそのバランスをどう感じていますか?

万里紗 私自身、母が日本人で、父がさまざまなルーツを持つ人だったこともあり、子どもの頃から「日本人ではない」と他者として扱われる経験が多く、「日本人」というアイデンティティを強く持ったことはありません。また、国という統治の枠組みを、個人のアイデンティティに組み込み過ぎることには危うさも感じています。
ただ、カナダで生活する中で、自分がどれほど日本的な価値観や文化を身体化しているかを実感する場面は多くありました。自分が過度に神経質になっていると感じた時には、「Can’t help. I’m Japanese.」と冗談交じりに言い訳をすることもありました(笑)。
また、故郷を離れて暮らす人が多いトロントでは、「出身国」を語ること自体に、愛情だけでなく、言葉にしきれない苦味や痛みも伴っているように感じます。人は、それぞれの記憶や文脈を背負って生きている個人です。「〇〇人」という意識は、自虐的なユーモアとして使ったり、あるいは特権を持つ側として責任を果たす時に意識するくらいが、ちょうどいいのではないかと思っています。
入江 「自分は自分だ。日本の価値観には縛られない」と思っていても、「今のは日本的な感覚で考えていたな」と気づくことは、ほぼ毎日のようにあります。だからこそ、他の価値観に対しても「そういう常識もあるんだな」と受け止め、日本の価値観を押し付けないよう、「国籍を超えた個人」でいられるバランスを意識しています。
トロントで感じるのは、「ぬるいけれど健康的」ということです。アートに限らず、「頑張る」の基準が日本より低く、定時になれば自然に帰る。そのため、作品や運営、プロモーションなどに対して「惜しい」と感じることもありますし、日本の舞台芸術の現場で育ってきた自分には耐えられないと思うこともあります。
ただ一方で、トロントのアートワーカーたちはとても生き生きしています。人間関係で消耗し過ぎることもなく、身体を壊すこともなく、家族や仲間との時間を大切にしている。日本で高いクオリティの作品づくりに携わってきたことには誇りがありますし、あの刺激的な創作環境を今も求めている自分がいます。でも、その中で、みんなが本当に幸せそうだったかと言われると、そうでもなかったのかもしれない、と感じることがあります。
ーー日加国交樹立100周年という節目を見据える中で、これからの日本とカナダの文化交流において、「人と人との関係」に必要だと思うものは何でしょうか?
万里紗 「人」という字は支え合ってできている、と金八先生が言っていましたが……(笑)。今回の滞在中、たくさんの優れた劇作家と出会いました。その中でも、お世話になったニコラス・ビヨンさんの「真実は一つじゃない」という言葉がとても印象に残っています。
中東情勢に関するニュースを見るたび、パレスチナ系、ユダヤ系、イラン系など、さまざまな背景を持つ人々が共に暮らしているトロントで、それぞれの複雑な思いに耳を傾ける機会がありました。その中で、自分がどれだけ細やかな想像力を持てるか、分からないことを恥じずに聞けるか、そして多層的な真実を前にしても、ひるまず根気強く関わり続けられるかが問われているように感じました。
立派な道徳を語ることはできませんが、この姿勢だけは、自分自身の指針として持ち続けていきたいと思っています。
入江 個人や現場のレベルで、国籍や立場を超えて、「一人の人間」として仲間になり、絆を作っていくことだと思います。
経済や政治の文脈で対話をしようとすると、どうしても譲れない部分が生まれ、駆け引きになってしまうことがあります。でも、文化を通した交流には、そうした壁を取り払う力がある。心のバリアを外してくれるのが文化だと思っています。
また、文化には、その国の人々が大切にしている価値観や感性、歴史が反映されています。だからこそ、文化に触れることは、その国や目の前の人を理解することにも繋がっていく。その積み重ねが、より建設的な対話にも繋がっていくのではないでしょうか。効率だけを考えれば、文化交流は決して合理的ではないかもしれません。でも、効率では測れないからこそ生まれる出会いや関係性があると思っています。
今回のイベントでも、参加した皆さんに、そうした出会いを持ち帰っていただけたら嬉しいです。僕自身も新しい出会いを楽しみにしていますし、仲間たちもたくさん来るので、ぜひ気軽に来てほしいですね。


















