芸術の世界でいきる。
トロントはカナダ最大の経済都市であり、芸術が盛んな街としても有名です。多くのアーティストたちがこの街を舞台に、日々己の世界観を表現、発信し続けています。そんなアーティストのなかには日本人も多く、今回はそれぞれ音楽、映像、美術の分野で活躍する日本人アーティストの4名をご紹介します。
パーカッショニスト 藤井 はるかさん
日本マリンバ界の草分け的存在の一人である奏者を母に持つ藤井はるかさん。
彼女は東京芸術大学を卒業後、ニューヨークのジュリアード音楽院に入学するため渡米。マネスミュージックスクールでも学んだ末、フリーランスとしてニューヨークを中心に音楽活動を続けていた。そして1年ほど前に、旦那さんの仕事の関係でトロントに引っ越してきたのだ。「まだまだトロントに来て日は浅いですが、素晴らしい出会いに恵まれ、すでにローカルの打楽器奏者とも演奏したりしています。トロントは音楽が身近にある街で、音楽活動のしやすい場所だと思います。」
マリンバは打楽器の一種で、楽器として成熟してから100年足らずとその歴史は長くはない。だが、それが魅力の一つでもあると彼女は言う。「短い歴史だからこそ、マリンバは多くの可能性を秘めた楽器だと思います。ピアノやヴァイオリンといった楽器は歴史が長い分、すでに多く奏法が確率されています。でも、マリンバは未知の部分が多く、様々ことを試していくことができ、自分なりの奏法や可能性を探求していくことができる。そんなワクワク感がありますね。」
実は、あまり知られていないが、日本の打楽器奏者の人口は世界でもトップレベルなのだという。ヨーロッパやアメリカで行われるマリンバ国際コンクールには、必ずといっていいほど多くの日本人が参加しており、上位入賞を修めている。だが、日本ではマリンバはポピュラーな楽器には分類されず、楽譜の出版なども他の楽器と比べ少ないのが現状だ。
「私の母の手元には、彼女が若いころに委嘱し、今では現代音楽界の大御所になられた先生方によって書かれた楽譜が数多くあります。そういった素晴らしい作品に、また命を吹き込む新たなプロジェクトを始動させています。」
今年の3月にはSound Streamsの舞台では、母と妹とのトリオで演奏を披露することとなっている。今後の彼女のトロントを拠点とした活動に注目だ。
website: www.harukafujii.com/main.html
ペインター 菊田 武範さん
以前は塗装工として働いていたが、ある時ふと、周りと同じように普通に働くことへの疑問を抱き、”何か”で一旗あげたいと思うと同時に、“絵を描くことだけはずっと続けてきた”ということに気づき、絵画の世界を志すようになった。
中学生でgraffitiに衝撃を受けてから、ストリートで絵を描き続けてきた。高校時代の美術の先生の助言を受け美大へ進んだ後、生計のために美術の先生やエージング屋(特殊塗装屋)といったアートに関わる仕事をしながら、絵の仕事や自身の絵画制作を行っていた。
だが、様々な種類の絵が認められる世界だと思ってきた絵画の世界にも、”美術畑”と呼ばれる世界があった。彼のルーツであるGraffiti Artは、様式や伝統を重んじる日本美術界では受け入れられにくいのが現状だ。
「日本には、美術とは堅くて難しい、敷居が高いというイメージが定着しすぎています。約10年ぽっちではありますが、美術を学び、身近に感じてきた絵描きの僕でさえ、未だにいわゆる”美術”と言われているものはわかりません。でも僕は、美術とはもっと単純なものであり、一つの絵画と向き合い、好き、嫌い、色が綺麗、などと自分なりに解釈すれば良いものだと思っています。だから僕は、みんなに伝わりやすい絵を描いていき、”アートは難しい”という概念を壊したいのです。そしていつの日か、子どもから老人まで、様々な職種の人たちが散歩がてらにフラッとギャラリーに立ち寄れるようになることを望んでいます。」
そんな彼は長年夢見てきた海外での挑戦を実現するべく、昨年7月、トロントにやってきた。今号の表紙絵も彼の手によるものだ。「自分の絵のスタイルが日本で受け入れられないなら、海外で成功して日本に逆輸入すればいい。もちろん海外で挑戦していくことは厳しいと思いますけど、潰されにきたつもりで、全力で攻めていこうと思っています。」
トロントでの経験が彼にどのような感性をもたらしていくのか、実に楽しみである。
website: ekakikuta-bamboo.com
画家 留置 まりえさん
幼いころ、両親の転勤に合わせて海外を転々としていた留置まりえさん。だが高校では家族と離れ、プロのバレエダンサーになるべく学校に通いながらバレエ団に所属、忙しい日々を送っていた。しかし、バレエでの減量のプレッシャーや環境の変化といった要因が重なって体に不調をきたし、高校卒業を目前に、両親の住むトロントへと移り住むこととなった。
治療のために、4歳から習ってきたバレエを辞めざるを得なくなってしまった彼女。それを知らされたときは、本当に悲しかったという。「私は幼いころからバレエを通して自己表現をしてきました。そのバレエができなくなってしまうだなんて…。これからどうしていけばいいのか、まったくわからなくなって、途方に暮れてしまいました。」
そんなとき、治療の一環として始めたヴィジュアルアートが、彼女の心をだんだんと溶かしていったのだ。アートを通して感じる楽しさや安らぎといった感情が、バレエにかわる新たな自己表現の方法を彼女に与えてくれたのだ。
「私にとって絵を描くことは必要不可欠なことです。自分のイマジネーションや人生で経験してきたこと、感情が絵にそのまま表れています。」彼女の感情は抽象画としてかたちをあらわす。その色遣いを見るだけで、その時の彼女の心模様が手に取るようにわかってしまうくらいに、実に素直な絵である。
表面上は健康に見える彼女だが、今もなお苦しみと闘い続けているという。「日本ではメンタルヘルスケアが他国よりも本当に少ないです。自分がその苦しみを経験してきた分、アーティストとして、メンタルヘルスの重要性を、絵を通して発信していきたいのです。」そんな彼女の飾らない、素直な気持ちがあらわれた絵だからこそ、共感する人はいるのだろう。
これまでもトロントだけでなく、ニューヨーク、イタリアなどといった国で個展を行ってきた彼女。彼女の思いは、国境を越え、世界へと渡っていく。
website: www.marietomeoki.com/ja
映画監督 浅井 絵理さん
カナダでのワーキングホリデーを経験し、日本でテレビ番組編集、ディレクターといった様々な仕事の経験を経て、長年志していたヨーク大学芸術学部フィルム学科の卒業を今年果たした映画監督の浅井絵理さん。’Stray Dogs’や’Momiji’といった彼女の作品は、それぞれ昨年のモントリオール国際映画祭とトロントリールアジアン国際映画祭で上映されており、業界からの彼女の作品に対する評価の高さがうかがえる。
「様々な国のバックグラウンドを持ち、パワフルなトロントのアクターたちや製作スタッフと、どんどんおもしろいものを作りたい!という気持ちが止まりません。」と話す彼女は、プロデューサー、脚本、キャスティング、プロダクションコーディネーション、アートデザイン、編集作業といった一連の作業も自ら行っている。
「実は私、やっと入学したフィルム学科プロダクションコースに2年間通った後に、10年間日本に帰って働いて、再び2010年から大学に通い始めたので、卒業するのに14年間もかかってしまったのです。」、そう話す彼女の表情には、謙遜しながらも誇らしげで嬉しそうな笑顔が広がっていた。それもそのはず。日本に戻っていた10年の時間は、彼女に結婚や出産といった人生の中でも大きな転機を与え、それらの経験が彼女の作品に大きな影響を与え続けているのだ。それは‘Momiji’に彼女の夫、双子の子供たちが出演していることや、カナダにやってきた日本人少女の心の揺らぎを描いたことからもうかがえるだろう。
「日本で結婚したときや妊娠したときなど、復学や映画製作は無理かもしれないと思った時期もありました。でも今では子供たちが口を揃えて、お母さんトロフィーと賞金をもらえるようになってちょうだい、と毎日言うので、それがよくも悪くもプレッシャーです(笑)同時に産まれても性格の違う双子の娘達を見ているうちに、日々の中でいろいろ角度を変えてものごとを見てみよう、自分の視点をかえて作品をつくってみようと挑戦するようになりました。子供達や主人や製作スタッフが私の製作魂にとても大きな影響を与えています。」
母、妻、そして監督として…。日常の様々な体験が彼女をより成長させ、作品にさらなる深みを加えていく。彼女の作品から、今後ますます目が離せない。