2017年にはカナダ建国150周年!!
フランス、イギリスの植民地時代を乗り越え2017年にはカナダ建国150周年!!
2017年7月1日、カナダは建国から150周年を迎える。これに向けて、カナダ国内では盛大に祝うための準備が数年前から進められており、カナダ政府は新しい国立歴史博物館の建設に大きな投資を計画しているなど、2017年は盛大な年になりそうだ。
カナダデーのお祝い
毎年7月1日のカナダデー(建国記念日)は祝日に定められ、トロントでは市庁舎前広場、ハーバーフロントセンター、ワンダーランドで迫力ある花火が上がり、各地でコンサートが開かれるなどイベントが数多く開催される。移民の都市トロントでは、ダウンタウンでマルチカルチャー・カナダデーという多国籍の音楽やダンスを楽しむことができるイベントも開かれ、多文化共生のトロントらしいお祝いの仕方も魅力的である。首都のオタワでは、朝は国旗の掲揚式で始まり夜にはカナダを代表するアーティストによるコンサートが繰り広げられ、豪華絢爛な花火でお祝いが締めくくられる。カナダデーになると、国旗のTシャツを着ている人やフェイスペイントをしている人をたくさん見かけ、街中がお祭りのように賑やかになる。カナダの人々がいかに国を愛し誇りに思っているか、また、この日がカナダの人々にとっていかに大切であるかがわかる。
カナダ独立までの道のり
国としてはまだ若いカナダはその短い歴史の中で、様々な経緯を経てきた。15世紀にイタリア人探検家のジョン・カボットとフランス人探検家のジャック・カルティエが、現在のケベック州に属するガスペ半島にたどり着いたことからカナダの歴史は始まる。ここからカナダが一つの国として独立するまでには度重なる大国の覇権争いがあった。16世紀には、フランスがセント・ローレンス川中流域にフランス植民地ヌーベル・フランスを建設したが、アメリカに植民地を広げていたイギリスが次第にカナダへと領土を拡大する動きが広まりフランスと対立を深めていった。最終的には1763年のパリ条約により、カナダはイギリスの植民地と定められた。それ以降、カナダはイギリス領となり約100年間イギリスの支配下にあった。カナダ建国のきっかけとなったのは1812年の米英戦争である。カナダ併合を狙っていたアメリカに対抗するため、1867年7月1日英国議会は当時イギリスの自治領であったカナダをカナダ連邦と定めたことが独立への一歩となった。当初はオンタリオ州、ケベック州、ニューブランズウィック州、ノバスコシア州の4州から成り立っていた。その後、マニトバ州、ブリティッシュ・コロンビア州、プリンスエドワードアイランド州と徐々に領土を広げ、1885年の大陸横断鉄道の完成により現在のカナダが誕生したのである。アルバータ州とサスカチュワン州も連邦に加わり、第一次世界大戦の後にカナダは外交権を与えられ法的にイギリスから独立を果たした。
独立後のカナダから現在まで
第二次世界大戦後の1947年にカナダは英連邦内で英国と平等の地位を宣言し、NATO創設に参加した。また英国領だったニーファンドランド州も新たにカナダに加わった。1965年にはイギリス国旗が左上に配された旧国旗に代わり、現在のカナダ国旗が採用された。その後ピエール・トルドー率いる自由党が政権与党となりケベック独立を求めるカナダをまとめあげ、1982年に英国から最終的な司法権をカナダへ移管し「権利と自由の憲章」を載せた新憲法を採択した。ピエール・トルドー引退後はアメリカとの自由貿易に同意し、更に1992年にはカナダ、米国、メキシコ3か国で北米自由貿易協定(NAFTA)を締結した。経済が大きく動く中でキム・キャンベルがカナダ初の女性首相に就任したり、わずか1%の差でケベック独立が否決されたり、先住民が多数を占めるカナダで最初の準州が生まれたりと、その後も変化は続いていった。
ケベック州の独立運動はその後も続き、英語とフランス語が公用語になっているカナダにおいてケベック州は現在もフランス語のみを公用語と定めている。
カナダの成長
カナダは世界第2位の国土面積を誇るが、人口は3500万人強。今までも多くの移民を受け入れてきたカナダは特にマルチカルチャーの国として知られ、多くの日本人が留学やワーキングホリデーで訪れる。日加関係は良好で、自治体レベルでも70以上の姉妹都市があり、2009年7月には、天皇皇后両陛下が初めておそろいでカナダをご訪問になった。失業率も7%に留まり2013年度GDP成長率は2%と経済成長も好調であるカナダが、今後どのような国になっていくのか楽しみである。