静かに蝕まれるオンタリオ「カナダに迫る麻薬ネットワークの現実」|特集「カナダに迫る麻薬ネットワークの現実」
昨年のアメリカ大統領選挙でドナルド・トランプ氏が当選して以来、彼の政策は麻薬問題と関税の二つに大きく集中してきた。アメリカに入ってくるドラッグの量を抑えるためにカナダとメキシコへの関税を引き上げてきたトランプ氏。だが実際にカナダではどれほどドラッグが蔓延しているのだろう?今回はその現状を伝えていく。
6月10日、トロントエリアを騒がせた2つの事件
先月6月10日、ピール地域ミシサガ市で500キログラムものコカインが押収され、同時に9人が逮捕された。この手柄に至った1年にも及ぶ調査は「Project Pelican(ペリカン計画)」と呼ばれていた。逮捕された9人の男性はトラック運送会社とその配達ルートを使いアメリカからカナダへドラッグを密輸していた。押収されたドラッグは金額にすると5000万ドルにも及んだ。麻薬だけでなく、今回の逮捕では2丁の拳銃も見つかった。
同日、オンタリオ州立警察は別の麻薬密売捜査にて43.5キログラムものフェンタニルを押収。「この量は錠剤43万5000回分が作られるほど大量。オンタリオ州で5番目に大きい市の人口は43万5000人だ。そう考えるとどれほどこの捜査と逮捕が重要なことか分かっていただけるだろう」と警察の報道官は説明した。
相次ぐ大規模な麻薬取り締まり
今年1月、トロント警察はアメリカ・デトロイトとカナダのウィンザーとの国境で835キログラムのコカインを押収し、6人が逮捕された。当時も密輸ルートはメキシコからアメリカ、そしてカナダまでごく普通の運送会社のトラックの運転ルートを辿っており、警察はそのパターンに気づき始めていた。
この事件以降、メキシコの「ハリスコ・ニュー・ジェネレーション」と呼ばれるカルテル(Cartel: 中南米の薬物犯罪組織)との関係が注目されてきた。このとき発見されたドラッグは、西はブリティッシュコロンビア州から東はニューファンドランド島まで、カナダ全土へ運ばれる予定だった。
見つかるドラッグの種類は様々
ミシサガでの逮捕同様、長期に渡って起きる捜査には「Project Bionic」や「Project Golden」など名前が付けられている。今年3月にはオタワの郵便局で麻薬が入った86個もの小包が見つかり、2人が逮捕された。
3月と6月の逮捕ではフェンタニルの他にもコカインやメタンフェタミン、MDMA、ヘロイン、ケタミン、そして大量の処方薬もともに発見された。これらはダークウェブで取引され、郵送されるはずだったもの。
ピール地域警察ともにオンタリオ州立警察は「このような規模の捜査は初めてだ」とコメントし、トロントエリアの治安を取り巻く変化を伝えた。
アメリカでもカナダでも拡大するフェンタニル問題
トランプ大統領が他国に高い関税をかけるほど懸念するアメリカのフェンタニル問題は確かに非常事態である。現在の統計によると年間10万人以上の死者が出ており、毎日273人以上が亡くなっている計算になる。
トランプ氏はまるでカナダとメキシコから密輸される麻薬のせいでアメリカだけが被害者かのように訴えてきたが、現実にはカナダでの死亡者の数がアメリカでの数を上回る日があるほど、カナダ国内のフェンタニル問題は深刻化している。
カナダで2016年1月から2024年9月からまでの間、フェンタニルが原因で死亡した人の数は5万928人だった。
フェンタニル禍を呼び寄せたドラッグ問題の歴史
北米でのドラッグ蔓延問題は今に始まった事ではない
トランプ氏は昨年の選挙中、アメリカのドラッグ問題が今新しく発展しているかのように国民に語りかけていたが、実はまったく新しい問題ではない。時をさかのぼれば1960年代、ロックミュージシャンらのヘロイン中毒が話題になっていた。ヒッピー文化がきっかけで流行した大麻やLSDも世代によっては記憶に残っている出来事だ。そして南アメリカのカルテルがアメリカに目をつけ始めたのはコカインがハリウッド・セレブや若者を中心に「クール」だと捉えられるようになった1970年代だった。
国際的につながる犯罪組織とフェンタニルの流行
10年ほど前までメキシコは大麻とヘロイン、コカインでアメリカに送り込んでいたが、次第に全米で「オキシコンチン」が社会問題になった。そこに目をつけたメキシコのカルテルは中国の犯罪組織からフェンタニルを仕入れ、オキシコンチンの成分である「オキシコドン」錠剤の偽物を作るようになった。
このフェンタニルの取引の仕方はカナダの犯罪組織の間でも当たり前になっていったため、トランプ政権に警戒、そして批判されることとなった。
カナダでフェンタニルを密造している犯罪組織の数はおよそ100。この数は2022年に比べて4倍以上にも上る。
南米とアメリカの関係
コカインはコロンビアやボリビア、ペルーで作られ、コロンビアの犯罪組織によってアメリカに密輸されたのが始まり。東南部に位置する都市、マイアミがルートの中心となった。
しかし1980年代には米国でクラック・コカイン撲滅運動が広がり、コロンビアのカルテルは壊滅。今度はメキシコのカルテルの勢力が強まった。
それ以来、アメリカとメキシコの国境では麻薬の密輸が大きな問題になり、カルテル同士の争いも静まらずにいる。殺人や拉致は人々の暮らしと隣り合わせに存在する。
メキシコでは2019年に元公安相のヘナロ・ガルシア・ルナが逮捕され、カルテルから賄賂を受け取っていたことが明らかになった。政府の一員がカルテルのメンバーを保護し麻薬輸出を支援していた事件は、カルテルの権力の恐ろしさを世の中に見せつけた。
バンクーバーが拠点、カナダの麻薬問題事情
フェンタニルを大量生産する「フェンタニル・ラボ」とは
フェンタニルは一瞬にして死を招いてしまうほど危険なドラッグだが、基本的な科学の知識と日用品で組み立てた実験室で何百万粒も簡単に作れてしまう。そのため超安価で生産されるが、麻薬を密輸する犯罪組織らは何億ドルとも儲けることができてしまう。
このようなDIYドラッグ実験室は「フェンタニル・ラボ(Fentanyl lab)」と呼ばれており、過去6年間でカナダの警察は47ヶ所もの現場を解体している。
その中でも一番規模が大きかったものはブリティッシュコロンビア州に存在した。その一ヶ所だけで致死量9,600万回分に相当する錠剤を作ることができたそうだ。
カナダのドラッグはアメリカ人が買手
カナダの犯罪組織によって作られたフェンタニルはダークウェブで販売されており、ほとんどはアメリカに郵便で送られている。
パウダー状のフェンタニル1グラムにつき240カナダドル(およそ170アメリカドル)で、錠剤になっているものであれば一錠40カナダドル(およそ28アメリカドル)になる。
最近ではフェンタニルだけが問題視されてきたが、実はカナダからアメリカに密輸されるドラッグで最も多い種類はMDMA、またはエクスタシーなのだ。
カナダを責めるトランプ氏
トランプ氏はカナダとの国境で押収された量だけで950万人ものアメリカ人が殺されてしまうと発言しているが、2024年度にカナダとアメリカの国境で押収されたフェンタニルは19キログラム。メキシコとアメリカの国境で見つかった9,600キログラムのわずか1%にも達さない量だった。
フェンタニルは鎮痛剤としても使用される強力な合法オピオイドのため、常習的に使う人もいれば、一度だけの使用で致死量に達してしまう場合もある。そのためトランプ氏の発言が正確とは限らない。
王立カナダ騎馬警察(RCMP)もカナダの犯罪組織によって作られたフェンタニルがアメリカ人の命を奪っているという確実な証拠やデータはまだ見つかっていないと説明している。
北アメリカの問題だけでない、中国の関与
郵便によるドラッグの密輸が問題になっているのはカナダだけではない。
最近まで中国からアメリカへ郵便を送る際、中身の価値が800ドル以下であれば税関を通す義務や税金がなかったのだ。つまり、内容を申告する必要がないのでドラッグが入っていても誰も知る由もなかった。
この問題を察知したトランプ政権は今年5月にこの免税に対する法律を改正、中国と香港からの郵便を厳しく取り締まるようにした。
さらにトランプ氏は今年の初め、中国政府がフェンタニル原料の製造に補助金を出していることからアメリカのオピオイド中毒をあおっていると批判した。
バンクーバーは「グラウンド・ゼロ」
フェンタニルを含むオピオイドは2016年以来5万人以上のカナダ人の命を奪っており、その死者のほとんどはブリティッシュコロンビア州で亡くなっている。
中でもバンクーバーはカナダのオピオイド問題の「グラウンド・ゼロ」とも呼ばれており、市民の健康と安全が危ぶまれている。
フェンタニルを合成させるために使われる材料は中国からBC州に合法に輸入される化学薬品ばかり。
犯罪組織は合成フェンタニルやその前駆体(プレカーサー)を生産している工場が存在する広東省とバンクーバーに拠点を置き、独自の方法で権力を築き上げている様子だ。
なぜ、バンクーバー?
BC州にて警察が大規模なフェンタニル・ラボを解体した際、カナダの犯罪グループがメキシコのカルテルと連携していたことが明らかになった。
メキシコのカルテルがカナダを好むのには理由がある。それはヨーロッパに距離が近いことと、アメリカとの国境に住む人口が多いことだ。バンクーバーは特に北アメリカの西海岸にある港町からのアクセスが良い。アメリカはロサンゼルス、メキシコはマンサニージョとの取引がしやすい。
メキシコから遠いカナダだが、アメリカの麻薬取締法はカナダより厳しいためアメリカは避けられているそう。
カナダ連邦政府は麻薬問題にどう向き合っているのか?
カナダ国境サービス庁(Canada Border Services Agency)はフェンタニルやプレカーサーなどのドラッグの密輸を妨げるために「Operation Blizzard」という計画を今年2月に発表した。これを理由に国境では麻薬探知犬や最新の機械を使って貨物を厳しく検査するようになった。
CBSAは王立カナダ騎馬警察(RCMP)や地域の警察本部とも引き続き連携し、国境または国内での麻薬押収に励むことを約束した。
そして「Fentanyl Czar」と呼ばれる特別顧問にケビン・ブロッソー(Kevin Brosseau)氏を抜擢し、フェンタニル密輸を撲滅するためにアメリカと綿密に情報交換を行うと説明した。
中国人犯罪組織が築き上げた「バンクーバー・モデル」
中国とバンクーバーを繋ぐ麻薬ビジネスでは独自の方法で資金洗浄が行われている。犯罪組織をよく知る専門家らはその手法を「バンクーバー・モデル」と呼んでいる。
フェンタニルは中国からバンクーバー港へと送られ、密売人が現地で売り捌く。売り上げは市内に住む中国人ギャンブラーに渡され、カジノで増やされる。その現金が中国・広東省の犯罪組織「Triad」に送金され、ペーパーカンパニーへと送られる。そこから再度バンクーバーで高級不動産や高級車、宝石などを購入するためにお金が動かされているそうだ。
このマネーロンダリングのサイクルが繰り返されるたびにバンクーバーでは住宅コストが上昇している。2018年には1年で最大740億ドル規模のマネーロンダリングがBC州で行われた可能性がある。
今の時代、麻薬王はカナダ出身?
長年「麻薬王」という言葉は南米のカルテルのボスを表す言葉として知られてきた。しかし、今注目される麻薬王らはなんとカナダにルーツがある人たちなのだ。
犯罪組織のトップは元カナダ代表オリンピック選手
麻薬密輸のグローバル化が明らかになるなか、昨年10月、アメリカの連邦捜査局(FBI)はコロンビアからメキシコ、南カリフォルニア、そしてカナダに何百キログラムものコカインを密輸している犯罪グループのリーダーを特定し、公表した。
それはなんと2002年ソルトレークシティオリンピックのスノーボード競技でカナダ代表選手を努めたライアン・ジェームス・ウェディング被告だった。
彼と相棒のアンドリュー・クラーク被告はともにオンタリオ州の出身だが、アメリカのロサンゼルスから北米全域に麻薬を密売していた。
容疑は麻薬密売だけにとどまらず
ウェディング被告とクラーク被告は2023年11月にオンタリオ州カレドンで起きたインド人夫婦の殺人を指示し、彼らの娘を13回撃った容疑にも問われている。実際にはインド人家族はコカインの密売に関与しておらず、被告らが身元を間違えたせいで被害に遭ったとされる。二人は2024年5月にブランプトンで殺された男性の殺人にも関与していると警察は見ている。
クラーク被告は今年2月アメリカで拘束されているが、ウェディング被告は現在逃亡中。FBIの最重要指名手配リストに載っている。居場所はまだ確認されていないが、警察は彼がまだ密売に関わっていることを把握している。彼は2010年にもアメリカでコカインの売買容疑で有罪判決を受けた過去がある。
アジアの「エル・チャポ」もカナダ国籍
麻薬王ツェ・チー・ロップ(Tse Chi Lop)は「アジアのエル・チャポ(El Chapo)」と知られ、その呼び名はメキシコのシナロア・カルテルの元リーダー、ホアキン・グスマンの愛称に由来する。
彼は中国の広東省生まれで若い頃から犯罪組織「Triad」に所属していたが、20代の頃にカナダに移民し、国籍を取得している。
彼はかつてタイからヘロインをバンクーバーへ密輸し、そしてトロントからアメリカへ持ち込んでいた。それを理由に懲役9年の実刑判決を言い渡されたが、出所後再び合成麻薬を密輸する生活に戻った。最終的にオーストラリアでメタンフェタミンの密輸容疑に問われ国際指名手配に。2021年1月にアムステルダムのスキポール空港で逮捕された。
麻薬王に学ぶ、世界の小ささ
バンクーバーに潜む中国人犯罪グループとツェ・チー・ロップの共通点は広東省。広東省は中国の中で最も金持ちが多く、香港やカジノが盛んなマカオにも近いため海外とのお金の取引が多いエリア。そのため「バンクーバー・モデル」を運営しやすい拠点地だった。アジアとオーストラリアの密輸ルートを完成させたツェ・チー・ロップはフィリピンや韓国、日本とも取引をしていた。メタンフェタミンを劇的に盛んにしたことによって、彼は覚醒剤の値段を下げてしまったほど影響力があった。「麻薬王」と呼ばれるカナダ国籍の二人の行動は世界中の国がいかに繋がっているかを見せつけている。
おわりに
トランプ氏はカナダとメキシコに麻薬問題の責任を取らせる意向だが、密輸はある一つの国のせいでも一人の麻薬王のせいでもない。たくさんの犯罪者が築き上げた世界的なネットワークは蜘蛛の巣のようにへばり付き、意外にも身近な場所で人々の生活や健康を蝕んでいる。一つの国が非常事態だと騒ぐ頃には、麻薬ルートに関わる全ての国が緊急事態にあると考えても良いのかもしれない。
麻薬密輸の世界はこれほど繋がっているのにもかかわらず、それを取り締まる世界が分裂してしまえば戦いに勝てる由もないであろう。