『光る川』が映すもの─ 金子雅和監督が語る自然、記憶、そして創作の源|トロント日本映画祭 | #トロントを訪れた著名人
「水」を撮るということ──滝と川が導く映像の核心
―初めての北米ということですがカナダそしてトロントの雰囲気はいかがですか? また、Xでナイアガラの滝を「ソラリスの海」(レムの小説)と表現されたのが印象的でした。あの自然を前に、監督の中で何か映画的なインスピレーションが湧いたのでしょうか?
トロントは、私の中では勝手にもう少しコンパクトな街というイメージを持っていたんです。ヨーロッパの都市のように中心がまとまっている感じといいますか。トロントは映画祭でも有名なので、映画の街としての印象も強かったです。ただ、今回の上映会場が少し中心地から離れていて、ダウンタウンとの行き来をしていると、まず驚いたのが、緑がとても多くて自然が本当に豊かだということです。カナダ最大の人口を誇る都市にもかかわらず、自然がこれだけ残っているというのは、日本の東京などと比べても新鮮な驚きがありました。
昨日訪れたナイアガラの滝ですが、もちろん以前から知っていましたし、個人的にも滝が好きで、日本国内の滝はけっこう見て回っているんです。実際、僕の作品には滝がよく登場します。今回上映される『光る川』にも出てきますし、これまでの作品でも、滝が一度も出てこなかったということは、ほぼないと思います。
そういう意味では、滝好きとして世界最大級の滝をこの目で見たいという気持ちはずっとあって、ようやく訪れることができたという喜びがありました。実際に見てみると、想像以上のスケール感と迫力があって、本当に圧倒されました。
クルーズ船に乗って滝の間近まで行ったんですが、安全とは分かっていても、あとから自分で撮った写真を見返すと、「これは危険すぎる」と感じるような迫力があって(笑)。きっと写真だけ見たら「こんな場所に乗りたいなんて思わないよ」と思う人もいるかもしれません。でも、その臨場感がすごいんですよね。
ナイアガラに限らず、カナダ全体に言えることかもしれませんが、自然の圧倒的な存在感の前では、人間の存在が本当に小さく感じられます。そのスケール感や感覚は、映像表現においても大きなインスピレーションになると思います。
ー滝に魅せられている理由はどういった原点にあるのでしょうか?
私が映画を本格的に撮り始めたのは、19歳の大学生のときです。その夏、毎日のようにカメラを持ち歩いて、「自分が心の底から撮りたいものって何だろう?」「惹かれるものは何だろう?」と問いながら撮影を重ねていました。そうして向き合ったのが、川であり、水であり、自然の営みでした。とにかく、水という存在にものすごく惹かれたんです。
水というのは常に動いていて、同じ瞬間が二度とない。そういう意味でも非常に映画的な存在なんですよね。映画は「動いているもの」を撮るものでもありますから、そうした意味でも水の流れに魅せられました。
さらに言えば、川や水というのは、自分の血の中に流れている何かと繋がっているような感覚もあって――今回の『光る川』という映画でも川を舞台にしていますが、その作品を経て、自分が東京生まれ・東京育ちであること、そして祖父が東京の外れで代々農業を営んでいたことを改めて意識しました。
祖父はすでに亡くなっていますが、農業をやっている人にとって水は命の源であり、川の流れは生活の根幹を支える存在でした。祖父が山々を信仰するような感覚を持っていたことも思い出されて、それがどこか自分の中に受け継がれているような気がしたんです。
そう考えると、水や川、そして滝に惹かれているのは、単なる好みや偶然ではなく、もっと深いところで自分と結びついているのかもしれません。自然を撮ることが、自分の作品の軸になっているんだと思います。
華村あすか、有山実俊、葵揚──台詞や演技を超えた「存在の力」
ー予告編やあらすじを見ただけでも、『光る川』は繊細な空気感と強い世界観が印象的です。この独特の世界に俳優が「存在」としてどう在るかは、作品の説得力を左右する大切な要素かと思います。華村あすかさん、葵揚さん、有山実俊さんという3名を主要キャストに迎えるにあたり、監督としてどのようなことを期待されていましたか?また、実際に彼らがこの作品にもたらしたもの——演技や佇まいが、どのように『光る川』の世界に響き合ったのか、お聞かせください。
華村あすかさんと有山実俊さんは、オーディションで選ばせていただきました。多くの女優さんや子どもたちとお会いした中で、まず華村さんについて言うと、最初にオーディション会場に現れた時から「この役をどうしてもやりたい」という強い気持ちが伝わってきて、その熱量がとても印象的でした。
彼女は山形県出身で、この映画が岐阜の山の中で撮影されることもあって、彼女の中には里山的な暮らしや風景への共感があったようです。おばあちゃんの家のような原風景と重なる部分があったのかもしれません。また、役柄のような複雑な境遇にも、彼女自身が直感的に理解できるものがあったのだと思います。人生のターニングポイントに差し掛かっているような時期に、彼女自身がこの役を必要としていたという感覚もありました。
演技というよりも、彼女自身がその存在になっていく、そんな姿が目の前にあって、ほぼ迷うことなくオファーしました。撮影現場でも細かな演出をつける必要がないほど、彼女は「お葉」としてそこに自然に存在してくれました。完成後の上映でも、観客から「華村さんが素晴らしかった」という声を多くいただいて、本当に嬉しかったです。
作品を映画祭の大きなスクリーンなどで改めて観たときも、物語の序盤ではまだどこか子どもっぽい表情を見せていた彼女が、「朔」という存在に出会うことで、徐々に大人の顔に変わっていく。その変化をしっかりと表現してくれていて、本当に素晴らしい演技でした。
子役の有山さんも、オーディションで選びました。たくさんの子どもたちと会いましたが、彼は当時8歳ながら、すでに芸歴が8年近くあるということにまず驚きました。おそらく赤ちゃんの頃から芸能の仕事に関わっていて、非常に落ち着きがありました。
一方で、訓練された子役にありがちな「大人びた芝居」ではなく、ちゃんと子どもらしい無邪気さもあって、その上で台本の理解度が非常に高かったです。オーディションでも与えた台本をただ読むのではなく、ちゃんと状況を理解して演じることができていたのが印象的でした。
実際の撮影でも、彼は「ユウチャと枝郎」として一人二役を演じており、ほとんど出ずっぱりでした。過酷な環境や長時間の撮影でも体調を崩すことなく、雨に打たれても4時間近く濡れながら演技を続ける姿は、8歳とは思えないプロ意識でした。
山の中での撮影には不安もありましたが、事前のカメラテストで斜面を下るのが怖かった彼が、その日のうちに山の中を走り回るようになり、虫や自然にもすっかり慣れて、自分の世界として取り込んでくれた。まさにこの映画の「柱」として、しっかり支えてくれた存在です。
葵揚さんはオーディションではなく、「朔」役を考えている中で出演していたNHKのドラマを思い出して「この人だ」と調べました。彼はプライベートで「トレイルランニング」という山の中を走る本格的な活動をしていて、インスタグラムでその姿を見て確信しました。役者としての演技力もさることながら、山の中で生きている男としての身体性を自然に持っている人でなければ、この役は務まらないわけで、その説得力が、彼にはありました。
結果的に、この三人のキャスティングは本当にベストだったと思っています。彼ら以外は考えられなかったと思うほど、作品と響き合う存在でした。
金子監督の作品世界を形づくる「源流」
ー監督の作品には、川や山などの圧倒的な自然と、人間の営みや内面との関係を描くテーマが一貫して流れていますが、こうした世界観の原点にはどのような体験や風景があるのでしょうか。幼少期に触れた自然との関わりや、物語・風習・風景の中で今も心に残っているものがあれば、それが現在の創作にどうつながっているかを含めてお聞かせください。
そうですね、まず幼少期の話からすると、とにかく絵を描くのが好きで、小学生のころから「将来は絵に関わる仕事をしたい」と、漠然と思っていたような子どもでした。
その後、成長するにつれて映画という表現形式に出会うわけですが、次第に映画は「画と音で表現できるもの」ということを知り、18歳ぐらいの頃に「自分がやりたかった絵画的な表現は、映画の中でも実現できるのではないか」と考えるようになりました。そこから筆ではなくカメラを手に取り、表現の手段が徐々に映画へと移行していったんです。
子どもの頃、絵を描く対象として特に好きだったのは植物でした。この映画にも植物の描写が出てきますが、そういったものには昔から惹かれていたんだと思います。それに加えて、祖父が農業をやっていた影響もあるかもしれません。そして、それ以上に自分の原風景として強く残っているのは「町の中の水」なんです。
僕は基本的には都会育ちなので、自然に囲まれた生活ではなかったんですが、街中にある噴水だとか、水の流れる音とか、そういう人工的なものであっても「水」に対してなぜかすごく惹かれていました。理由は分からないけれども、子ども心にとても興奮する対象だったんです。
そして大人になって映画を作るようになり、「自分は何を撮りたいんだろう?」と突き詰めていったとき、やっぱり水に行き着いたんですね。街中の水に惹かれていたのが、だんだんと源流へと遡っていくように、より自然の中の水へと関心が向かっていきました。
そういう意味では、自分の中にずっと流れ続けている「水」という原風景。それは自然そのものでもあり、自分の祖父が大切にしていたものでもあって、そうした記憶が知らず知らずのうちに作品に反映されているのかもしれません。身近な自然から始まって、さらにその奥にある源流や原始的なものへと、自分の表現も向かっているような気がします。先祖の記憶や土地の記憶のようなものが、そうした表現の根っこにあるのかもしれないですね。
ー脚本・撮影・編集と一貫して作品世界を構築される中で、映像のイメージはどの段階で立ち上がってくるのでしょうか?撮りたいシーンや情景、俳優と自然の調和といった“画”のイメージは、脚本執筆段階から明確にあるのか、それともロケ地や演者との出会いを通じて生まれていくものなのか、監督ご自身の創作プロセスについてお聞かせください。
シナリオを書く際は、まず物語のために土地を訪れるところから始めます。今回でいえば、舞台が長良川ですので、河口から源流までをくまなく巡りました。同時に、長良川は大きな川なので、そこに注ぐ支流や、さらに細かな川も数多くあります。そうした場所も可能な限り足を運んで回りました。
その過程で、土地の匂いや空気、色彩──たとえば、ある場所の緑の色合いや、川の青さといったものにインスピレーションを受けて、物語の細部が自然と生まれていくことがあります。加えて、その土地に根付いた伝承や民話なども、創作のヒントになります。
とはいえ、シナリオ執筆時には「この場所が素晴らしいから、それに合わせて書こう」という〝あて書き〟的なアプローチはしないようにしています。なぜかというと、そうすると逆に場所に縛られてしまい、人間の行動や心理の流れが不自然になったり、物語の力が弱くなってしまったりする危険があるからです。
ですので、シナリオを書く段階では、あくまで物語を優先させながら、土地から受けたインスピレーションを抽出していきます。そして、脚本が完成してから「この物語を実際に撮影できる場所はどこか」という視点でロケ地を探し始めます。
正直、自分で書いておきながら「こんな場所、実際にあるのか?」と思うこともあります(笑)。でもやはり、その物語自体が土地の空気や気配から生まれているものなので、本気で探せば必ずどこかに見つかる──そんな確信を持って取り組んでいます。
今回も、実際に撮影する場所を決めるまでにかなりの時間をかけて、ぎりぎりまで探し続けました。どの場所も、いわば「ロケハン」というより「自分自身の身体と土地との出会い」という感覚がありましたね。
映像と言葉を超えたエモーションの力が、世界に響く
ー監督ご自身は、なぜご自身の作品が〝国境を超えて〟評価されるのだと思いますか? ご自身の映画が海外でどのように受け止められていると感じていますか?そうした「日本固有」とも思える題材や世界観が、なぜ海外でも高く評価されるのだと思われますか?
今は「グローバル社会」といわれている時代ですが、共通のテーマや価値観を扱うことで話がしやすくなるという側面がある一方で、僕自身が描いているのは、わりと「日本固有」というか、ある意味ではドメスティックな題材です。
でも逆に、それぞれの国や地域、たとえばカナダにはカナダ、アメリカにはアメリカ、フランスにはフランスの文化や歴史がありますよね。そういうものを突き詰めていくと、結局は人間としての共通点にたどり着くのではないかと思うんです。表層的に似ているものを取り入れるよりも、自分の足元を深く掘り下げていった先には、地下水脈のように世界中の人々が持っている共通の記憶や感情に繋がっている、そういう実感があります。
たとえば、人が人を好きになる気持ちといった、普遍的な感情は文化や国が違っても、そういう感覚はきっと伝わると思うんです。物語にも、世界各地にさまざまな形式がありますが、やはり根っこの部分では似た構造や類型があって、そこにも共通性を感じます。
だからこそ、流行やトレンドのような「共通言語」を意識するのではなく、自分が暮らす場所、自分が立っている土地を掘り下げていくことのほうが、結果的に海外の観客にも届くのではないか、そんなふうに思っています。
また、これは観る方それぞれの感じ方だとは思いますが、映画というのはもちろんセリフもあり、言語も使います。ただ、同時に「映像言語」という側面があって、言葉以上に映像から受け取る感情やエモーションが、異なる文化や言語を持つ人々にも伝わる力を持っていると感じています。
僕はもともと絵を描くことから表現を始めた人間なので、映像表現に対する思い入れは強くあります。そうした映像そのものが、言葉を超えてダイレクトに何かを伝えられる、もしかすると、それが国内以上に海外の方々から強い反響をいただく理由のひとつなのかもしれません
高度経済成長の「入口」に立つ1958年──発展の影で変わりゆく山と川
ー『光る川』の舞台は1958年。日本が高度経済成長へと歩み始めた、まさに転換期とも言える時代です。一方で日本の高度経済成長期は、急速な発展の裏で自然破壊や公害が深刻化し、自然との関係が大きく変化した時代でもありました。この時代は、未来への希望と同時に、自然破壊や公害の〝前夜〟でもありました。監督ご自身は、こうした「発展と代償」の入り混じる時代をどのように捉えていますか?そして、その時代の空気や社会の動きが、『光る川』の物語や世界観にどう重なっていると感じていますか?
そうですね。今回『光る川』の舞台を1958年に設定したのは、終戦から経済成長を遂げる過程の一つの節目となる年として象徴的に語られることの多い、社会的な転換点だったからです。1945年に戦争が終わってからの復興期を経て、「ここからは右肩上がりの時代に入っていく」という空気が社会全体に広がっていました。数年後には東京オリンピックが開催され、まさに日本が大きく変わっていく、その「入口」にあたる年なんですね。
作中でも描いていますが、当時は「これから人口が増えるから建材が必要になる」と言われ、山の木をどんどん伐採していこうという流れがあったんです。それまでは、山の広葉樹を炭にしてエネルギーとして使っていたのが、徐々に石油にシフトしていく。木炭が不要になってくると、「広葉樹はもう要らない」と切り倒され、建材として役立つ針葉樹が国策として大量に植えられるようになった。

花粉症の問題も、針葉樹が過剰に植えられたことが原因の一つだと言われていますよね。つまり、今の日本が抱えている山の問題、自然災害、動物被害、環境の変化など、そのルーツをたどっていくと、やはり1958年前後に行われた大きな転換にたどり着くんです。
そうした意味で、この時代を描くことには大きな意味があると感じました。社会の発展と引き換えに、失われていったものが何だったのか。『光る川』の物語や世界観は、その問いを内包していると思います。
地元の人々との出会いと協働が、映画の世界観を支え、作品に宿る「つながり」の力を形にした
ー『光る川』の原点には、松田悠八氏の私小説『長良川 スタンドバイミー 一九五〇』と、それを大切に思う地元の方々の熱意があったと伺いました。監督はパンフレットでも、作品との「邂逅(かいこう・めぐりあい)」について触れておられますが、この作品が映画化へとつながっていったプロセス──特に「人」と「土地」がつないでくれた縁や、映画が持つ「つながり」の力について、改めてどのように感じておられますか?
まさにおっしゃる通りで、映画というのは本当に集団作業であり、個人では決して作れないものです。特に今回のように、東京のスタジオ内で完結するわけではなく、ひとつの土地と深く関わりながら撮影をしていく作品では、その「つながり」の力が欠かせません。
今回、『光る川』は岐阜県の長良川流域で、ほぼオールロケで撮影を行いました。劇中で葵揚さんが演じる木地屋の「朔」が、木を切って山を移動していく、そういった生活を描くためには、彼らの暮らしをできる限り正確に再現する必要がありました。
実際に木地屋たちは標高800メートルほどの山中に仮住まいの小屋を建て、暮らしていたわけですが、そういった小屋を建てられる場所を探すには、僕らだけの力では到底どうにもならなかった。そこで地元の林業関係者の方々とご縁ができて、協力していただきました。
彼らの力で、広葉樹林の中の何もない斜面に小屋を一から建てる。さらに、木地屋が実際に行っていた器づくりや道具の再現なども、専門知識を持つ方々の力を借りながら一つひとつ形にしていきました。
岐阜県には木や山に関する知識を持った本当に多くのスペシャリストの方々がいらっしゃって、そういった方々が「映画を一緒に作る」という目標のもとに集まってくださった。それは、日常の暮らしのなかではなかなか得られない、本当に貴重な経験でした。
最初は「東京から来た人が、何をしに来たのか」といった警戒感もあったと思います。でも最終的には皆さんとても楽しみながら参加してくださって、完成後も「この映画を一緒に広めていこう」「地元でもたくさんの人に見てほしい」と言ってくださった。その過程で自然にコミュニケーションが生まれ、気持ちの通う関係が築けたのだと思います。
これは映画づくりに限らず、映画祭のような場でも同じことが言えるのではないでしょうか。ひとつの目的に向かって、多様な人が関わり、集い、ひとつの「場」や「コミュニティー」が生まれていく。それはやはり、映画という表現ジャンルが持つ大きな魅力であり、力だと感じています。


―初めての北米ということですがカナダそしてトロントの雰囲気はいかがですか? また、Xでナイアガラの滝を「ソラリスの海」(レムの小説)と表現されたのが印象的でした。あの自然を前に、監督の中で何か映画的なインスピレーションが湧いたのでしょうか?
ー予告編やあらすじを見ただけでも、『光る川』は繊細な空気感と強い世界観が印象的です。この独特の世界に俳優が「存在」としてどう在るかは、作品の説得力を左右する大切な要素かと思います。華村あすかさん、葵揚さん、有山実俊さんという3名を主要キャストに迎えるにあたり、監督としてどのようなことを期待されていましたか?また、実際に彼らがこの作品にもたらしたもの——演技や佇まいが、どのように『光る川』の世界に響き合ったのか、お聞かせください。
ー監督の作品には、川や山などの圧倒的な自然と、人間の営みや内面との関係を描くテーマが一貫して流れていますが、こうした世界観の原点にはどのような体験や風景があるのでしょうか。幼少期に触れた自然との関わりや、物語・風習・風景の中で今も心に残っているものがあれば、それが現在の創作にどうつながっているかを含めてお聞かせください。
ー監督ご自身は、なぜご自身の作品が〝国境を超えて〟評価されるのだと思いますか? ご自身の映画が海外でどのように受け止められていると感じていますか?そうした「日本固有」とも思える題材や世界観が、なぜ海外でも高く評価されるのだと思われますか?
ー『光る川』の舞台は1958年。日本が高度経済成長へと歩み始めた、まさに転換期とも言える時代です。一方で日本の高度経済成長期は、急速な発展の裏で自然破壊や公害が深刻化し、自然との関係が大きく変化した時代でもありました。この時代は、未来への希望と同時に、自然破壊や公害の〝前夜〟でもありました。監督ご自身は、こうした「発展と代償」の入り混じる時代をどのように捉えていますか?そして、その時代の空気や社会の動きが、『光る川』の物語や世界観にどう重なっていると感じていますか?
ー『光る川』の原点には、松田悠八氏の私小説『長良川 スタンドバイミー 一九五〇』と、それを大切に思う地元の方々の熱意があったと伺いました。監督はパンフレットでも、作品との「邂逅(かいこう・めぐりあい)」について触れておられますが、この作品が映画化へとつながっていったプロセス──特に「人」と「土地」がつないでくれた縁や、映画が持つ「つながり」の力について、改めてどのように感じておられますか?











