【トロント日本映画祭インタビュー】沈黙が語る、日本的美意識が息づく時代劇— 『陽が落ちる』北米プレミア カナダを訪れた竹島由夏さん、 出合正幸さん、そして笹田優花さんに迫る|トロント日本映画祭 | #トロントを訪れた著名人|特集「サーモンラン&トロント国際映画祭」
夫と共に蟄居の身となった武士の妻・良乃を主人公に、武家社会の中で貫かれる夫婦の情愛や家族の絆、そして女性の生きざまを静かに描き出す時代劇『陽が落ちる』。『ウスケボーイズ』『シグナチャー』などで知られる柿崎ゆうじ監督が初めて挑んだ本格時代劇は、ロンドン国際映画祭やエディンバラ国際映画祭で数々の賞に輝き、このたびトロント日本映画祭で北米プレミア上映を迎えた。
武士の妻・良乃を演じた竹島由夏さん、夫・久蔵役の出合正幸さん、そして重要な脇役を担った笹田優花さんが、それぞれの立場から作品に込めた想いと役作りの舞台裏を語る。日本的美意識が息づく本作を、彼らはどのように海外の観客へ届けようとしているのか。作品への思いと国境を越えて届く日本映画の魅力を語ってもらった。
トロントで再び感じる観客との距離

ー今回でトロント日本映画祭は2回目のご登壇となります。再びこの舞台に立たれることについて、どのような想いがありますか?
竹島: 本当に、この映画祭にまた参加できると知ったときは、監督が一番喜んでいました。「また行けるよ!」と嬉しそうに報告してくれて、どうしても来たがっていたのですが、今回は急に体調を崩されてしまって…。ただ、今は元気にされていて、監督からのメッセージも預かってきています。
以前、『ウスケボーイズ』で参加させていただいたときも、トロントの皆さんがとても温かく迎えてくださったことが印象的でした。今回も一昨日こちらに到着して少し観光をしたのですが、「トロントの人って本当に穏やかで人柄がいいよね」という話をしていました。再びこの地に来られて、本当に嬉しいです。

出合: 街全体の雰囲気や人々が穏やかなのも素晴らしいですが、何より気候が最高です。今の日本は猛暑で、東京は35度を超え、外に出た瞬間に汗が噴き出すような湿度と暑さです。それがこちらでは全くなく、時間がゆったりと流れ、道路も広く、景色も美しい。悪いところが一切思い浮かびません。
それだけでも心がリラックスしますし、そんな状態で映画祭に、しかも二度目の参加をさせていただけるのは本当にありがたいことです。全力で作品を届け、皆さんに楽しんでいただきたいと思います。
ー笹田さんは今回が初めてのカナダだそうですが、いかがでしたか?

笹田: 日本という小さな国にいるとあまり意識しませんが、カナダに来てその広さとスケールを実感しました。「世界は広いな」と。ナイアガラの滝にも行きましたが、もう圧倒されました。壮大で、自然の迫力をたくさん感じることができ、本当に素晴らしい体験でした。
ー前回のトロントでの上映後、印象に残った出来事や言葉、反響があれば教えてください。
竹島: 前回トロントで上映された『ウスケボーイズ』は、日本でぶどうを育て、ワインを造る人々を描いた物語でした。カナダの方々は、日本でぶどう栽培からワイン造りまで行っていることをご存じない方も多く、とても興味を持ってくださいました。
また、日本人はどんな不遇な環境にあっても、一生懸命にやり遂げようとする。その姿に感動した、と言っていただけたことがとても嬉しかったです。私たちの想いがトロントの方々にも伝わったのだと感じました。
さらに、上映中に意外な場面で笑いが起きたりと、日本の観客とは少し違う反応があったのも印象的でした。「ここで笑いが来るんだ」という新しい発見があり、とても面白く感じました。
出合: 竹島さんがおっしゃったように、「そんなところに疑問を持つんだ」と思うような質問をいただくことがあります。日本で活動していると気づかない視点を投げかけていただけるのは、本当に貴重です。
文化や生活圏の違いなのか、その理由は一概には言えませんが、何を聞かれるかわからないという緊張感と、それを楽しむ気持ちがあります。
前回の『ウスケボーイズ』はヒューマンドラマで、最後はとても温かい気持ちで終わる作品でしたが、今回は少し重く、大変なテーマを描いています。観終わった方がどのような気持ちになるのか、どんな感想が出てくるのか、そこはとても楽しみです。
ーロンドン国際映画祭2025、エディンバラ国際映画祭2025で最優秀監督賞をはじめ数々の賞を受賞しています。日本的な要素も多く含まれていますが、海外でも共感を得た理由はどこにあると思いますか?トロント日本映画祭で本作が北米プレミア上映されますが、日本とは異なる観客に向けて、どんな思いや視点を届けたいと感じていますか?

竹島: 現代の日本人ですら、もはや理解が難しいような感覚や価値観を、この作品ではかなり挑戦的に表現している部分があります。ですが、純粋に相手を思いやって行動する心、家族の愛や絆、たとえ立場や関係性にしがらみがあっても、互いを大切に思う気持ちなど、こうした人としての根源的な感情は、きっと国や文化を超えて共感していただけるのではないかと思います。
もちろん、例えば切腹のように文化的に理解が難しい要素もあります。それでも、その背景にある心情や覚悟を「感じる」ことはできるはずです。感じたことが何であれ、それは観る人それぞれの自由であり、心に何かを問いかけてくる作品であると信じています。
出合: 私が演じた久蔵という人物の視点からお話すると、自分のためではなく、誰かのために命を懸けられるという点が、国や言葉が違っても響く部分なのではないかと感じます。これは時代や文化を超えて伝わるものだと思います。
笹田: この作品は上映時間も長く、セリフの量も決して多くありません。そのため、日本の観客でも登場人物の間合いや沈黙から、相手の感情を想像する場面が多くあります。そういった、言葉ではなく心情で相手を思う表現は、世界の人々にも共通して伝わるものではないでしょうか。
「言葉よりも所作で」沈黙が語る登場人物の心

ー本作では「言葉より所作で語る演技」が求められたと監督も語っています。それぞれの人物の感情を、どのようにして身体や「間」に落とし込んでいきましたか?
竹島: この作品は、撮影方法がとても特徴的で「順撮り」で行われました。物語の始まりから終わりまで、シーンを順番通りに撮影していく方法です。今の映画制作では、予算や日程の都合からあまり見られない手法ですが、本作は時系列がそのまま流れる物語なので、役者にとっても感情を積み重ねながら演じられる大きなメリットがありました。
クランクイン前に監督から「大げさなジェスチャーは封じ、目で感情を表現してほしい」と言われていました。特に私と出合さんが演じる夫婦は、余計な動きを排し、所作や「間」で心情を伝えることが重要でした。私は武家の妻という役柄だったため、一つひとつの所作に美しさがなければ成立しません。歌舞伎や能、日本舞踊から動きを参考にし、足の運びや手の動きを少し大きめに、丁寧に行いました。
また、セリフを発するまでの間も大切にしました。監督から「どれだけ間を取ってもいい」と言われ、現代劇とは比べものにならないほどゆったりとしたテンポで感情を込めて演じました。順撮りとこの演出の組み合わせが、役作りに大きく影響したと思います。

出合: 順撮りは、ただ順番に撮るだけでなく、ワンシーンを途中で抜き撮りすることもせず、最初から最後まで通して演じます。切り返しのカットが必要になっても、必ずシーンの冒頭からやり直す。これにより、感情を小さく作り直す必要がなく、嘘を重ねない演技ができました。
私はもともと時代劇の経験が多く、立ち居振る舞いや背筋の伸ばし方、首の角度などに自分なりのこだわりがありましたが、監督はそうした型を求めませんでした。あえてそれらを削ぎ落とし、人間らしい自然な反応として例えば首をかしげたり、申し訳なさそうにうつむいたり等を取り入れました。
ただし、動かしてよい場面と、目だけで感情を宿すべき場面のメリハリは明確で、その幅をこれほど大きく使えた作品は初めてです。2日間の物語の中で、感情の振れ幅を存分に表現できたことは大きな挑戦でした。
笹田: 私は時代劇が初めてで、世代的にも馴染みがありませんでした。そこで撮影前から、時代劇映画や関連資料を見たり読み込んだりしました。また、家では浴衣を着て生活し、料理や家事もその状態で行うことで所作を自然に身につけました。
演じたのは奉公人の役で、もともとは洗練された所作はありませんが、良乃さん(竹島さん)のそばで過ごすうちに変化が生まれる人物です。そのため、竹島さんの所作を参考にしながら役に取り込みました。そして何より、順撮りで撮影できたことが感情を自然に積み重ねるうえで大きな助けとなりました。
ー「生きること」よりも「名に殉じること」が美徳とされた時代のストーリーです。現代とは大きく異なる死生観を持つ人物に「内側から寄り添う」ために、どのような準備や精神的プロセスが必要だったのでしょうか?やはり皆さんプロですから、すんなりいくものなのでしょうか?
竹島: いえいえ、とてもすんなりとはいきませんでした。脚本をいただいた当初、私は武家の妻といえば「三歩下がって夫に従う」ような人物像を想像し、そのつもりで役作りを進めてしまったんです。一方、出合さんは潔く死に向かっていく武士としての久蔵を用意してきていて、リハーサルではお互いにまったく正反対のキャラクターを演じていました。
そこで監督から「そうじゃない。この作品は人間の本質を描く物語だ」と指摘を受けました。久蔵は死を恐れているし、良乃は逆に夫を叱咤し、引っ張っていくような強さを持っている。武家の娘として徹底的に生き方や死に方を叩き込まれてきた女性だからこそ、最後の泣き崩れる場面に至るのだ、と。
それを聞いて衝撃を受け、改めて役作りを見直しました。ただ、順撮りという撮影方法もあり、毎日「明日死に向かう夫を支える妻」を演じ続けるのは精神的にも非常に苦しいものでした。撮影中、何度も「今すぐ泣き崩れてすがりたい」という衝動にかられ、最後の別れのシーンではカットがかかった後に立ち上がれなくなるほど感情が溢れたこともありました。
良乃という女性の強さは、現代の私から見ても手が届かないほど高いところにあります。この役は生涯をかける覚悟で臨まなければ務まらない──そう思い、自分の弱さと闘いながら最後まで立ち続けました。


出合: 私も器用なタイプではなく、アドリブもほとんどできません。ですから撮影に入る前から知識や体作りなど下準備を徹底し、現場に入ったらどれだけ役に近づけるかだけに集中します。今回の撮影では、常に「明日死ななければならない」という状況を抱えていました。
撮影が終わっても数時間はその感覚が抜けず、朝起きても「今日死ななければならないんだ」と思う、そんな日々が続きました。器用な方は現場に入れば切り替えられるのでしょうが、私はそうではなく、本当にしんどかったですね。
それでも監督や竹島さんをはじめ、共演者、照明、カメラなど、現場の全員から受ける刺激やサポートで久蔵という人物が形作られていきました。最終的には、自分がその場に久蔵として存在し、皆に生かしてもらうことに全力を注ぎました。
笹田: 現代に生きる私の感覚では、初めて台本を読んだときに「なぜここでこんな行動を?」と思う部分がありました。ですが、何度も読み返し、当時の価値観や背景を学ぶうちに、しげという人物の行動や感情を純粋に受け止められるようになっていきました。時代や死生観を理解した上で台本を読み直すと、役への入り込み方が変わり、撮影現場でも自然に感情が湧き上がってきました。

短編から長編へ、監督との深い信頼が生む表現

ー物語の舞台は2日間ですが、撮影は何日ほどかけて行われたのでしょうか?また、台本を受け取ってから本格的な準備に入るまでの期間はどれくらいだったのでしょうか?
竹島: 実はこの作品、もともと約10年前に短編映画として撮影された『陽は落ちる』が原点なんです。その短編版でも、私と出合さんが同じく久蔵と良乃を演じ、息子・駒之助や久蔵の友人など、ごく限られた登場人物だけで物語が構成されていました。当時は「しげ」というキャラクターも登場せず、物語は切腹を言い渡された2日間を描くものでした。
今回の長編版では、脚本を大きく膨らませ、より深く人物や背景を描いています。撮影自体はおよそ1か月ほどかかりましたが、その前に脚本の読み込みや役作りなどの準備期間がしっかりとありました。
出合: 私の場合は、短編版から10年という時間を経て、役と再び向き合うことになったわけですが、その間にさまざまな作品や経験を積んだことで、人物への見方も変わっていました。
10年前の自分が作った久蔵像を土台にしつつも、今の自分だからこそ加えられる深みやニュアンスがあると思います。それが良くなったかどうかは観ていただく方の判断ですが、自分の中では短編版での経験が確実に生きていると感じています。役作りの階層が深く、複雑になったのは、この10年という時間の蓄積があったからこそだと思います。
ー柿崎監督とはこれまでも複数の作品でご一緒されていますが、長年にわたる関係の中で「柿崎ゆうじ作品に出る」ということが、ご自身の俳優としての軸や美意識にどのような影響を与えていると思いますか?
竹島: 私は本当に監督に育ててもらったと思っています。長年ご一緒に作品を作ってきた中で、監督の考え方や、日本人としての思想のあり方を間近で学ばせていただきました。
そして何より、深い信頼関係があります。どんな表現や大胆な挑戦をしても受け止めてくれる安心感があるので、恐れずに自分をさらけ出すことができます。そういう現場は他にはなかなかなく、監督とだからこそできる表現があると感じています。
出合: 柿崎監督の作品には、必ず日本人の死生観というテーマが根底にあります。その中で監督は独自の世界観をはっきりと持っていて、無駄なものは一切撮らないんです。だからこそ、現場では「これが限界かな」と思うところを超えていける。失敗しても監督が率直に言ってくれるので、思い切って挑戦できるんです。私にとって、そんな風に限界を超えさせてくれる監督は唯一の存在です。
笹田: 監督はご自身で脚本も書かれるので、登場人物一人ひとりに対する愛情がとても深いんです。私のような経験の少ない役者が役について質問すると、惜しみなく答えてくださいます。
すべてを説明しすぎず、考えるきっかけを与えてくれるので、自分なりに役を掘り下げやすくなります。そのおかげで、経験不足への後ろめたさを感じず、自信を持って役に向き合うことができました。そういう環境だからこそ、挑戦の幅も広がり、前向きに演技へ取り組むことができます。



















