イタリア(11)トスカーナ巡り(5):最後の日 ― シエナへ|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第36回
一週間のトスカーナ巡りもそろそろ終わりに近づいた。梨、ハム、チーズ、茹で卵、自家製ケーキのいつもと変わらない朝食をファームハウスで食べた後は優雅に過ごそうと散歩する。厩から放たれた馬がトスカーナの丘でこれまた優雅に草を食べている。ここで飼われている馬は超幸せに違いない。翌日はシエナ(Siena)までレンタカーを返しに行きトスカーナ巡りは終わる。
そこで最後は乗馬に挑戦、と意を決した。どんな馬にまたがりどこまでいくのだろうと期待に胸を膨らませて厩へ向かう。集まったのは母娘の親子連れと一人の女性と私の合計4人。与えられた馬に蔵を乗せ、手綱をかける。リードの掛け声についてポッカポッカと歩き出す。メンテの行き届いた馬達だ。森の細道を軽快なトロットで一列に並んでリズミカルにタッタカ進む。緑の生い茂った丘を登り、谷間をくだる。そしてついに180度見渡す限り広々とした白い丘に出た時だ。「ここから一気に走りま~す」リードの掛け声に「えええ~っ!」と戸惑う私。トロットまではいいが走ったのは30年以上も前のこと。こうなったら覚悟してやるしかない。ジタバタするな。ましてトスカーナの丘、チャンスを逃すわけにはいかないではないか。前の馬が走り出した。スピードを手綱でコントロールしながら足を踏ん張って駆け巡る。馬よ、急激に止まることだけはしてくれるな。そう祈りつつ走る。マニュアル式のレンタカーの運転と同じく、幸い体が覚えていてくれた。若い時にはなんでも貪欲に経験しておくものだとつくづく昔を懐かしく振り返える。いい馬に当たったのはいうまでもないが。
15分先のブオンコンヴェント(Buonconvento)の人に勧められたピザ屋でポルチーニのピザを食べた。生地がパリパリで美味しかった。1371年に建設された城壁が残っているほど歴史深い町だが住民はその中で静かに過去と現在を繋ぎながら日常を送っている。ここは毎年行われるマウンテンバイクレースの5コースが全て通る町としてバイク通には知られている。スーパーで出発用の食料を買い込み夜は部屋のテレビでMr. Beanのイタリア語版をみながらチェックアウトの荷造りをする。
翌朝、給油をしようとブオンコンヴェントのガスステーションに寄ったが日曜でアテンダントはいない。セルフサービスでやろうとしたが入れたユーロ札を食べたまま機械からガソリンは一滴も出てこない。なんじゃこれは。リファンドのクレーム先が記してある紙だけ出て来た。そんな暇はない、と内心憤慨。途中ESSOが見えたものの、またしても無人。貴重なユーロを機械に食べさせるほどお人よしではない。諦めて30キロ先のシエナへ直行。幸い雨が降って来たため、運転に集中することができた。晴れていればどうしても車を降りてカメラを向けたくなるからだ。シエナのAVISもヒト気がなかった。空いている駐車スペースに車を置き、鍵をボックスに入れて去った。ガソリン代は後で請求して来るだろう。アルファロメオよ有難う。
これから一週間シエナ大学でナショナル・ジオグラフィックの写真家による写真セミナーが始まる。嬉しいのはイタリアに来て5週目にしてやっとシエナのホテルでバス付きの部屋に入れたことだ。セストリ・レヴェンテ(Sestri Levante)の下宿先にもフィレンツェ(Firenze)の駅前ホテルにも、ブオンコンヴェントのファームハウスも風呂はついていなかった。日本人としてシャワーとは別に体ごと浸かれる風呂は有難い。だが喜んだのもつかの間、翌日大学の近くの小さなホテルに移動したためまたしてもシャワーだけの振り出しに戻ることに。
写真セミナーはSIPA(Siena International Photo Awards)の一環として存在するイベントだ。世界中の優れた写真がシエナのあちこちの会場で展示される。ブームのドローン撮影の影響かスケールの大きい写真の展示が多い。私の旅行計画とタイミングよく参加のOKが来たので楽しみにしていたセミナーだ。次回からシエナとセミナーの様子を紹介する。
石原牧子
石原牧子 オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daughter(CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回記念DVDを2018年にリリース。PPOC正会員、日本FP協会会員。 makiko.ishihara@gmail.com