「自分の経験や全てを歌に乗せてみんなの元へと届けたい」ミクロミカさんインタビュー | カナダのワーホリ先輩に聞く!
カナダ・トロントで日本人アーティストとして、ここ1年半ほどの間にみるみるその名を馳せてきたミクロミカさん。幼い頃から歌手を目指して、いつも自分の夢へと邁進してきたミクロミカさんだが、その道のりは決して平坦なものではなかったのだという。日本への帰国を決断した今、ミクロミカさんがここカナダで得たもの、海外や日本で頑張る人達に伝えたいメッセージを語っていただいた。
◆ まずは、幼い頃からの夢であったという〝歌手〟を志した理由を教えてください。
幼少期は祖父母、両親、兄弟という大家族で育ったのですが、両親と兄弟ともに離婚経験があり、その度に幾度となく家族との出会いと別れを常に繰り返していました。昨日まで家族だった人が、明日からはそうではなくなってしまう。小さい時はその辛さを誰にも相談できず、そんな時に人には言えない自分の想いを歌詞を書き、歌い始めたんです。もし自分が歌手になって有名になったら、また私が家族を一つにできるんじゃないか、私が歌手になって家族や周りのみんなを幸せにしたいと心から思ったんです。
◆ その後、上京しアーティストとして活動されていたそうですが、一度音楽の世界から離れた時期もあったと伺いました。またこうして歌い始めたきっかけは何でしたか?
グループの活動休止を経て、私は一度音楽の世界から離れました。そして社会人として働き始めて半年くらいが経った頃、自分の体に異変が起きました。精密検査を受けると、私のお腹の中に腫瘍が見つかり、手術後、それは癌であったことが判明したんです。また同時期に同僚の方を事故で亡くし、私は心の底から自分の命と向き合う機会を与えられました。「人は年齢や性別には関係なく、命のリミットは誰にもわからない。もしも自分のリミットがすぐそこに迫っていたら、私は何がしたいだろう?」私の答えは〝歌いたい〟でした。地位や名誉のためではなく、自分の経験したことをメッセージにして伝えるためのツールとして、もう一度みんなの前で歌いたいと強く思ったんです。
◆ トロントへ来る前にはニューヨークにも滞在されたそうですが、ニューヨークでの経験はどのようなものでしたか?
歌うのは大好きだけれど、自分に自信がない性格がずっと嫌いで、ニューヨークという自分の存在を誰も全く知らない場所で歌って、そこでブーイングだったり、本場の洗礼を浴びることでいっぱい傷ついて帰ろうと思ったんです(笑)。夜には一人でバーに行ってオープンマイクで歌っても、最初の頃は全く誰も聞いてくれませんでしたね。そこで、〝歌の上手い下手よりも、どうお客さんを楽しませて心を掴むか〟ということが大事なんだと学びました。英語が話せなくたって、常にポジティブパッションを持って「みんな一緒に歌うよ!」とお客さんを惹きつけて盛り上げると、お客さんも自然と乗ってくれる。その他にはカーネギーホールでホイットニー・ヒューストンの母、シシー・ヒューストンのバックでゴスペルクワイヤを務める機会にも恵まれ、とても充実した滞在となりました。
◆ その後はニューヨークからトロントへと拠点を移し、アーティストとして始動されました。
トロントに来たばかりの頃は「なぜここに来てしまったんだろう」と、ニューヨークで出会った人達を思いながら毎日のように泣いていました。そんな迷いの最中でCreators’ Loungeに出会い、初めてKawaii Baseというイベントで歌わせてもらうことになり、日本のカルチャーが好きな人達の前で日本語の歌を歌う機会に恵まれました。みんなものすごく盛り上がってくれて、そこで「もう一度ここカナダで日本が好き、日本に興味があるという人達に向けて今度は歌ってみよう」と、ミクロミカのスイッチが入りました(笑)。
◆ 今年はAnime Northやジャパンフェスティバルカナダを始めとする大きなイベントへ出演されていましたが、そういったチャンスはどのようにして掴まれていったのでしょうか?
とにかく自分が心で思っていることはどんどん口に出していきました。ただチャンスを待っているだけではなく「あのイベントに出たい!」と思ったら、会う人会う人にその思いを伝えていくんです。そうすると、みんな知っている情報やネットワークをくれたりしますし、実際にその人が知らなくても、そのまた友達が知っている可能性だってあります。日本にいる時は自分のことは自分で、と何か変なプライドのようなものがあったような気がしますが、頼れることはどんどん人に頼っていいし、自分の弱いところも人に見せていいのではないかなとカナダに来て思えるようになりました。
◆ これまで特に印象に残っているカナダでのライブやパフォーマンスなどがありましたら教えてください。
一回一回のライブが心に残っていて、私にとって全部が大切なライブです。しいて挙げるとすれば、Anime Northはずっと出演を願っていたものだったので、「夢はやっぱり叶うんだな」と実感できたステージでもありました。その他で言えば、世界的に有名なデジタルメディアであるVICEの取材を受けられたことはとても大きな経験でしたし、その後の反響も今までにないくらい大きなものでした。英語でのインタビューであったこと、いろんな反応をいただけたことで、自分を見直す良いきっかけとなりました。
◆ ジャパンフェスティバルでも披露された“Don’t forget me”という楽曲は、このカナダでのラストステージのために作られた曲だそうですが、どんな想いを込められましたか?
タイトルの通り、今までカナダで出会った人達に対して「少しの間離れてしまうけれど、私のことを忘れないでね」という気持ちや、少し暗いかもしれないけれど「もしたとえ私が死んでしまっても忘れないでね」という気持ちも込めています。自分が死んだとしても音楽は生き続けるからこそ、たくさんの楽曲を世に残して、その時に必要な人に必要な音楽として聞いてもらえたら嬉しいなと思います。自分が売れる売れないよりも、歌い続けてメッセージを発信し続けることの方が大事かなと感じています。
◆ 今後の目標を教えてください。
これからも世界への進出は視野に入れています。現在のネット社会を利用して、今後は世界へ向けて、これまで以上に自分の音楽やバックグラウンド、日本のカルチャーをシェアしていきたいです。そのためにも一度ここで日本へ帰国して、改めて日本の文化や素晴らしさを学ぶつもりです。北米もまたいつか必ず戻ってきたいですし、ヨーロッパへもどんどん進出していきたいですね。
◆最後に読者の皆さんにメッセージをお願いします。
今やりたいことがあるなら、諦めずに目標に向かって続けてください。生きていれば人と比べてしまうことだってあると思います。でも、自分だけにしかないものが誰しも必ずあります。そういった自分の可能性を信じて突き進んでいけば、いつか絶対に見えてくるものがあると思います。だからたとえ怖かったとしても、立ち向かってほしいですね。
ミクロミカ
原宿のファションにインスパイアされ『ファッション×音楽』のコンセプトのもと活動。北アメリカ最大のアニメコンベンションであるAnime Northや世界的メディアVICEに出演するなど、世界をまたにかけるJ-POPシンガーソングライター。
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