究極の世界|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明
「究極の〇〇」という宣伝文句を見かけることがある。広告主の言わんとしていることは研ぎ澄まされた最高レベルという意味で使っているのだが、世の中、その言葉が氾濫しすぎだろう。それでも究極を求める人が絶えないのは何故なのだろう?「究極」の答えは簡単に出てこないが、皆さんとちょっと談じてみたいと思う。
クレジットカードには様々な特典がついているが一定レベル以上になると年会費がかかる代わりに更なる特典が付くことが多い。特に目立つのがポイントが貯まりやすいもので究極のレベルを表現するUltimateとかInfinite、Platinumと銘打ち、航空券との相性が良いものがずらり並ぶ。更には空港のラウンジが使えるというものもある。日本人はクレカのポイントに熱烈で、ネットでは「賢いクレカの使い方」的な情報が溢れている。
私の事業の一つにマリーナの運営があるが、そこでボートを持つクライアントはほとんどが桁違いの大金持ち。彼らとやり取りをすると「ポイント?そんなの何ミリオン点とかあるけど、興味ないから使ったこともないな」と。
そういう私も5〜6年前まではクレカポイントを航空会社のポイントに転換して日本にポイントで行くこともしていたが、最近は路線によりポイントで予約できる枠がほとんどないのでカードのポイントは放置プレー状態だ。日本に行くときに折に触れて「そうだ、ポイントで行くとどうなるのだろう?」とウェブサイトをみるとかなり理不尽なポイント数が求められる。
ではその代わりにポイントでお買い物できるサイトに行くとしょうもないギフト製品がいわゆる正価ベースでポイント換算されているので魅力のない売れないショッピングサイトの様相を呈している。
そこで私の銀行の担当者に「もうそろそろポイントで顧客を洗脳するのを止めたらどうだ。マーチャント側も高級カードで支払いをされるとカードプロセス費用に付加費用を取られるからウェルカムしていないぜ」と忠告しておいた。
クレカ会社が生み出す「究極」はカード所有者にメリットや特徴を提示し、足し算型で、あれもこれもあるスタイルで売り込む。「究極」を足し算で達成するのは王道と言ってよいだろう。
例えば多くの飲食店の戦略はトッピングをいかに増やし、豪華そうに見せ、インスタ映えさせるかに労力を費やす。
数年前、ハワイ発のパンケーキが日本で爆受けした。その理由はトッピングにあり、おいしそうなフルーツやクリームなどが女子のハートを虜にする。私もハワイで某老舗パンケーキ屋に1時間も行列をなしていったことがある。日本でブームになる前だ。正直、運ばれてきたときのインパクトは「おっ!」なのだが所詮パンケーキであって食後の感動はなかった。
では男性諸君が大好きなラーメンはどうだろうか?ユーチューブを見ても豪勢なトッピング、家系ならこれでもかというボリュームで勝負する店が後を絶たない。あれを究極というのか私にははなはだ疑問であるが、彼らの定義はこれ以上盛れない、こんなに食べられないという感じを究極とするのだろうと察している。
私の友人でこだわりの寿司屋を経営する男が日本から来たので数日間お付き合いした。彼をバンクーバーの某有名寿司店に連れて行ったところ見事なダメ出しをされ、「この寿司は客を喜ばせる味にすぎない」と断じられた。最近よく見かける寿司ネタの上にトッピングするタイプは彼に言わせれば「足し算型」で中国人などが豪勢さで喜ぶそうだ。商売としては流行っているので何が正しいかは別次元の議論が必要だが、
彼のこだわりは「寿司は引き算」だそうだ。つまり究極の魚を究極のシャリとあわせ、究極の温度で食べさせる点だ。
事実、彼の東京の店に行くと寿司は寿司げた(寿司を置く木でできた台)に載せるのはごく一部で多くが職人が握った瞬間に手渡しをされる。寿司は握ったら瞬時に食べる、これが彼の究極のこだわりなのだ。
日本のラーメンでも評価が極めて高く、入れないような超人気店は家系とは180度真逆のシンプル系に多く見られる。トッピングも昔の中華ラーメンに見られたお飾り程度に過ぎない。だが、極上のスープ、麺、品の良いトッピングが客を唸らせる。
究極は純度の高さともいえる。
ではアルコール分が究極に高いウォッカやテキーラを飲んで「うまいなぁ、究極だなぁ」という人を私は聞いたことがない。熱いし何を飲んでいるのか味が分からない、それよりもさっさと胃袋に流し込むのが飲み方ではないだろうか?つまり、引き算も限界があるのだろうと思う。
日本の金利がどんどん下がり、マイナス金利がしばし続いた。これは引き算をし続けたらゼロを通り越してマイナスになったとも言えよう。つまり引き算は時として∞(無限)を通り超え、魅力が反転する域との境目といえる。
例えばマグロは腐る前が一番うまいと言われる。熟成のことを言っているのだが、腐ったら腹を壊すだけで人は食べられない。私はこのことを言っているのだ。
その点、足し算による究極の達成は容易いともいえる。増やせばよいだけだからだ。
だが、結局騙し合いなのだろうと思う。マーケッターが生み出す究極とはエキストリームということなのだろう。では客はそんな極端なものを常日頃から望んでいるのか、と言えば私の感覚からすれば「非日常のマゾ的な体験をする歓び」なのだろうと思う。
それってごく普通の夢も希望も欲もないおっさんのつぶやきの証なのかもしれないが。
了