熟練経営者に聞く!カナダでビジネスを継続できたワケ
海外で仕事をしたい。起業したい。そんな想いをもってここトロントにいる人も多いのではないでしょうか。きっとカナダだけでなく海外にはたくさんのチャンスがあります。今回はここトロントで地域に密着し、日系コミュニティと関わりながら、長年ビジネスを営んできた熟練経営者に話を聞きました。是非新たな活路を見いだすきっかけにして下さい。
“今のあなたの悩みは人生の1ページにもならない。
たった1行にしかならない。”
OZAWA CANADA
小澤 健宏社長、小澤 寿美子副社長
“27年目を迎える地域密着型企業”
1974年に子ども二人を連れて夫婦で来加し、翌年には静岡のお茶や、乾物を輸入・販売するスモール・ビジネスをスタート。現在社長の健宏さんはカナダ企業にエンジニアとして働き、その後大手日系商社に勤務。当初は現在副社長の寿美子さんがビジネスを主に切り盛りしていた。発足から10年後の1985年3月1日、健宏さんが社長として全面的に経営に参加し、現在のOZAWA CANADAとして日本食全般を取り扱うコーポレーションとなり、27年を迎えるトロントの日系コミュニティでも代表的な長寿企業だ。
OZAWA CANADAが地域密着型の企業として、数多くのレストランとともに歩み、成長し続けてきた根源には、夫婦でありながらお互い対等なビジネスパートナーとして、情熱的に仕事に向かい合い、人任せではなくアグレッシブに自分自身で見て、触り、商売のポイントを掴みに時にはアメリカ、時には日本へと飛び回り、機を逃さず走り続けたことにある。
“世の中のファッション・トレンドが何に向かっているか”
なぜ来加当時にお茶のビジネスを始めたか? その応えは当時美味しいお茶がなかったこと、そしてお茶というものは和を持つことを意味し、日本人としてそこにビジネスチャンスがあると思い立ったからだという。「世の中のファッション・トレンドが何に向かっているか・・・常にアンテナを持ち、前向きに自分の仕事・商品に誇りをもって取り組めるか。好きになれるか・・・」それは今も昔も変わらない思いで、是非これから社会にでる若手、起業しようと考えている人に伝えたいことだそうだ。
自らの手でビジネスを立ち上げてから現在までを振り返ると、ビジネス面でのカナダの魅力は、例え言葉がネイティブレベルでなくても、一生懸命やれば、この地はその情熱を受け入れてくれることだという。そしてカナダの場合は無限にチャンスがあり、チャレンジすることが可能だということを、より多くの若者に気づいてもらいたいという。
“嘘をつかない。あきらめない。”
先日もあるトロント在住の若手コミュニティ団体が就職・起業について、アドバイスを求めに二人を訪れた。話し始めた瞬間、小澤さんが口から発した言葉は、「あなたの頭の上から、つま先の先まで考えてごらんなさい。ありとあらゆるものが商売の対象となるわけです。」というものだった。簡単なようだが、その可能性の大きさにハッと気づきを与えてくれるものだったはずだ。そしてその言葉は彼らにとって次のステップへと続く貴重な一言になったに違いない。
2015年には30周年を迎える同社。トロントのビジネスの移り変わりを長い間みてきたお二人の経験・知識、そしてビジネスに対する姿勢がより多くの若手に伝わり、次の30年のさらなる飛躍につながることを期待したい。
“1つのことを10年、20年と続けることは本当に大変なこと。
常にリスクヘッジを考え、何か手を打っておくことが次につながる”
フジイゴルフ/東京ツアーズ 社長
藤井 勇さん
現在ゴルフ・レッスンプロとしての資格を持ち、ヤマハゴルフクラブの北米唯一の総代理店としてビジネスを行う藤井さん。またトロントの日系旅行代理店としては老舗の東京ツアーズも経営する氏がこれまでトロントで歩んできたビジネス人生は山あり、谷ありだ。
大阪で生まれ育った藤井さんは高校時代、アメリカ帰りの日本人から毎日ようにアメリカの話を聞き、次第に憧れ的に。高校を卒業し、大手電機メーカーに就職、2週間の研修として工場見学をした際、10年後、20年後の自分がここにいることに違和感を感じ、帰り道に英会話学校に入学、海外への進路を決意した。
1966年、戦後の日本からカナダ・イミグラントのビザを取得したのが50番目。翌年1967年に21歳で渡加を果たし、トロントの某エレベーター会社で4年間勤務。その傍ら、日本とカナダの架け橋になるようなビジネスをしようと日本にいるときから準備し、小規模な貿易会社を営む当時の先輩とパートナーシップを組み、スモール・ビジネスをスタート。その後、友人が和食レストランを始めるということで誘いがかかり、1971年共同オーナーとしてレストランをオープン。オーナーマネージャーとして 、4店舗を経営するに至ったが、1981年、経営不振により閉店を余儀なくされた。「もちろん一生懸命、朝から夜中まで働きました。でも振り返ると、飲食業は自分にどこか合っていなかったのではないか。心底その商売に魅力を感じていなかったことが結果として残ったのではないか。」という経験者の生の声は、仕事・就職に悩む多くの人の心にグサッとくる言葉ではないだろうか。
“失敗しても、へこんでばかりじゃない。お金は天下の回りもの”
その後1976年にTake overした 東京ツアーズのビジネスがオイルショックが起きるまでは非常に順調であり、シカゴ、モントリオールに支社設立、そしてインバウンド事業にも事業拡張を計った。しかしながら1985年頃にはコンピューターも普及し、また2001年の米国テロ、2002年から2003年にかけて発生した感染症Sarsの影響により、旅行会社のビジネスは底を打つ。「このままでは将来、旅行会社では食べていけなくなると思った。次の手をということで、留学、ESLマーケットの拡大をにらみ、英語学校の経営に乗り出したり、カナダ製ウエディングドレス、ビンテージT-シャツの日本向け輸出や毛皮コートの販売等を手がけたりとアグレッシブに次の手、次の手と動き、桁違いに大きく儲けるときもありながらも、長くは続かず、臨機応変にビジネスを変えてきました。」
その中でも今でも日本の大手入浴剤製造会社と組み、入浴剤の輸入や卸売りは形を変えながら続けている。その想いはカナダ渡航目的の一つであった「日本製品をカナダ市場に紹介したい」というスローガンを今でも胸に刻み続けているからだという。
大きく収益をあげるときもありながら、右に傾き、左に傾いたときに助け船になったのは、「まさかの時のリスクヘッジ」だ。それは、カナダ政府の銀行(FBDB)の力を借りて行ってきた物件投資だったという。「スモール・ビジネスでもプレゼンをきちんと行い、将来の可能性を示せばチャンスを与えてくれるカナダに今でも感謝していますよ。」と笑顔で語る藤井さん。
現在は60歳を機に自分へのご褒美も兼ねたゴルフ・レッスンプロの資格を取得、なんと第一号のレッスン生が当時のヤマハ・ミュージック(カナダ)の社長夫妻という縁から生まれたのが、北米唯一のヤマハゴルフクラブの総代理店の事業だ。今は自分が好きなことで、とことん追い求めているゴルフをビジネスとしても楽しんでおり、今までの苦労や失敗を経験や知識に変えてあっさりと語る藤井さんの姿はとてもかっこよく、私たちが参考になることが多いのではないだろうか。