映画プロデューサー 川邉ブラウン栄子さん インタビュー|特集「ハリウッド・ノース-カナダと映画」
未曾有のコロナ禍の中で1つの作品がCBC Artsで公開された。日系カナダ人で芸術家のEmma Nishimuraさんが作品を通して表現している記憶や歴史を映像監督であるアリス・シンさんとプロデューサーである川邉ブラウン栄子さんがドキュメンタリーで紹介したものだ。今後さらに大きなプロジェクトとして日系カナダ人の歴史に触れる作品を手がけていくという。
Emma Nishimuraさんの父親と家族が辿った日系人の道のりを描いたドキュメンタリー『CBC Arts: Emma Nishimura』
ーCBC Artsを通して、日系4世アーティストEmma Nishimuraさんを紹介した作品。
『はるの新年』(2018)という短編映画を制作したのがきっかけで、トロント・リールアジアン国際映画祭でCBCの人材発掘とクリエーターネットワーキング部門の方に出会いました。その方に私と監督のアリス・シンの仕事に興味を持っていただき、CBC Artsのプロデューサーに紹介してもらったのがこの『CBC Arts: Emma Nishimura』という作品の発端です。
カナダのアジア人アーティストと、そのアーティストの表現する芸術を紹介するというこのプロジェクトを構築する最中に、「National Association of Japanese Canadians」のサイトでEmma Nishimuraさんと彼女のアートを知り連絡を取ってみたところ、エマさんがプロジェクトに参加することを快く引き受けてくださいました。エマさんは自分の作品をつくる傍ら、トロントのOCAD Universityで助教授をされていますが、OCAD Uの彼女のオフィスではじめてお会いした時から、その人柄と彼女の作り出すアートにとても強く惹かれるものを感じました。
ー日系カナダ人の歴史についても触れていますが、映像の紹介そして作品に込められている想いなどを教えてください。
エマさんの視覚芸術は主にエッチングを使ったプリントメイキングを軸としています。日系4世であるエマさんは私たちの作品の中にもあるように、ある時おばあさんの残した洋裁のパターンブックを遺品として受け取ったのをきっかけに、彼女の父親とその家族が辿った日系人の道のりを自分のアートして表現することを始めました。
彼女の芸術は、作品全体を通して 世代から世代に語り継がれる歴史とともに、記憶の重さや世の中には明かされない歴史、その歴史を日系カナダ人一人ひとりがどう抱え、人生にどう影響するのかなどを表現しています。エマさんの儚げでいて、実は強いメッセージの込められた作品と、監督であるアリスの表現する静かで繊細な映像が上手く融合する作品に出来上がったのではないかと思っています。それが、観てくださる方に伝わることを願っています。
困難を繰り返してきた日系カナダ人の道のりは、カナダ原住民の歴史などとも重なる
ーこの作品を通してカナダの多様なコミュニティーにどのようなことが伝われば嬉しいですか?
カナダには様々な文化が入り乱れ、そしてそれぞれがその特徴を保持しながら、共存しています。日系カナダ人が辿ってきた道のりは、困難で苦しい時期を何度も乗り越えながらいま現在に至り、それは例えば、カナダ原住民の歴史などとも重なるところもあります。カナダの長い歴史の中で、それぞれに困難な波を超えて、今あるたくさんのコミュニティーの一人ひとりに、日系カナダ人だけではない、自分たちの物語、そしてこれから先の世代の物語として感じてもらえればいいなと思っています。
瀬戸内海に面する美しい今治市で、いつか映画祭を…
ー栄子さんが映像の世界に携わるきっかけや目的、想いなどはどのようなことでしょうか?
私が今の仕事をするようになったきっかけは、2017年にトロント・リールアジアン国際映画祭のオープニング・レセプションに出席したことがきっかけです。そこでたまたま隣り合わせに座ったのが現在一緒に仕事をしている監督アリス・シンで、彼女がその当時手掛けていた作品『はるの新年』のプロダクション・マネージャーを任され、後々『はるの新年』の共同制作をさせてもらいました。それから3年、インディペンデントの短編映画をアリスやその他のプロダクション・メンバーと手掛けてきています。
私はもともと、映画学校に行ったわけではないので、映画制作の現場を経験したことはありません。カナダにきた当時、夫と一緒に彼の友人の経営するフィルム・ケータリングの会社で2年ほど働いた経験はあります。また、2年ほど前から、日系文化会館のトロント日本映画祭も手伝わせていただいています。
私は愛媛県今治市の出身なのですが、今治市は瀬戸内海に面するとても美しい街です。その今治でいつか映画祭ができればいいなとずっと思っており、映画に関わるイベントに貢献できればいいなとも思っています。私は映画監督ではなくプロデューサーなので、自らが表現するというよりも、それを形にするというポジションですが、子供の頃に観て、いまだに心の中にある映画(母がとても映画好きだったので)のような映像を作れればいいなと考えています。そしてそれが誰かの心の中に残ればいいですね。
ーコロナ禍におけるリリースとなりましたが、ご苦労などはありましたか?
もともと、去年の冬に撮った作品ですが、準備段階からプロダクションまでとても上手く運んだプロジェクトでした。しかし、ポストプロダクションを始めた段階でパンデミックの影響で自粛生活となり、映像のカラーを調整するカラーリスト、そして音声を調整・編集するサウンド・エディターとは完全オンラインによる作業をしなければなりませんでした。しかし、パンデミックの影響でオンラインやVODで映像を観る機会が増えているので、このような時に公開できるのはある意味幸運だったかもしれません。特に今まで作ってきた映画と違って、完成からすぐに一般に公開できるのも私たちにとっては新しい経験でした。
日本で生まれ育ったカナダ人ドクターとカナダで生まれ育ち収容所に送られた日系2世のカナダ人の物語を描くドキュメンタリー
ー今後さらに大きな日系カナダ人の歴史を含めたドキュメンタリーを手掛けられる予定とのことですが、構想や内容を教えてください。
アリスと私がこの約一年をかけて携わっているドキュメンタリー・プロジェクト「Home and Native Land(s)」はあるカナダ人のお医者さんを知ったのがきっかけです。そのお医者さんは私のママ友の叔父にあたる方で、彼とその家族はその三世代前から日本で宣教師として大きく関わってきました。彼も日本生まれの日本育ちで、おじいさんが明治維新の頃から住んでいる名古屋で生まれ、日本が太平洋戦争に入る前まで日本で育ち、1939年にカナダに家族と戻ってきたそうです。
その後、医者になった彼はあるきっかけで日系カナダ人が収容されていたニュー・デンバーで医師として働くことになったのです。彼が医師として派遣されたニュー・デンバーはすでに戦後のことですが、日本を想い日本人と関わる場所を求めてその場所にたどり着いた彼の人生と、カナダで生まれカナダで育ち、ロッキーにある収容所に送られた日系2世のカナダ人が、戦後日本帰還の道を家族と辿った道のりを日系カナダ人の歴史も踏まえながら描く予定です。
すでに1年間のリサーチ、インタビュー、アーカイブの収集を終えていますが、やはりコロナの影響でプロダクションの進行が予定より遅れています。Home and Native Land(s)制作にあたり、参考資料やアーカイブを提供できる方、またはこの作品に興味があり支援くださる方がいましたらeikobrown.asp@gmail.comまでご連絡ください。
ー読者の方々にメッセージをお願いします。
この作品や次のプロジェクトを通して感じたのは、まだまだ日系カナダ人の歴史を深く知らない、もしくは全く知らない人が意外と多いなということです。私自身も事前調査やたくさんの人とのインタビューを通して多くのことを学びました。短編ドキュメンタリー『CBC Arts: Emma Nishimura』が、皆さんにとって日系カナダ人の歴史や日系コミュニティーの未来を考え、学ぶきっかけになると良いと思っています。