2013年カナダで挑戦する飲食の戦士たち
居酒屋、らーめんの出店ラッシュとなった2012年。その動きは2013年も続きそうです。今回は、既に数件の系列店をトロントに持ち実績と勢いに乗る2店と、日本での経験を武器に海外に初進出する2店の現場責任者に登場して頂きました。2013年のTORJAはトロントで活躍するバリバリの飲食の戦士たちをどんどん取り上げていく予定です!
沖縄の雄が海外初進出、10年越しの熱意が今実現
らーめん&居酒屋 RYOJI 店長
上地 耕太さん
沖縄人らしい愛嬌と人懐っこい笑顔。人を寄せ付ける独特のキャラクターを持つ上地さんは2002年にワーキングホリデーで来加、バンクーバーとトロントで1年間過ごした。もともと大学生の時に、今回出店するRYOJI が経営する飲食の世界に触れた。その後カナダに渡り、帰国後は米軍基地の人材派遣の営業として社会人生活を2年間送るが、再びRYOJIグループに戻ることになった。
「ワーホリから戻ってからずっとトロントに飲食ビジネスのチャンスがあると思っていました。RYOJIに戻ってからはその思いはますます強まるばかり。社長や先輩方にずっとその可能性を訴え続けていました。日本の飲食業界もその頃は既に海外進出ブームで特にアジアに熱が入っていました。でも僕はワーホリ時代に築いたネットワークから現地パートナーとなる信頼できる仲間とずっと連絡を取り合い、夢を共有してきました。だからどうしてもトロントにこだわりたかったのです。念願かない2010年ニューヨーク、ロスなどを社長や会社幹部と視察し、トロントも見てもらいました。トロント居酒屋のパイオニアGuu を訪れたときは衝撃でした。でもあの繁盛ぶりをみて、やっぱりトロントは最高だ!と実感した夜でした。」
RYOJIグループは今や世界のらーめんブームをリードする一風堂とも業務提携をしている。一風堂が九州で沖縄居酒屋を出店するときはRYOJIがサポートし、RYOJI が沖縄でらーめん店を開くときは一風堂がサポートをするなど、人材交流なども盛んに行っているという。
自分たちはファミリーのような仲間だということに誇りをもつ。「本当に家族のように共に働いてきたメンバーが多く、独身だった仲間も家族を持ち始めました。将来その子ども達の目標に海外という選択肢があったとき、トロントにいる自分がパイプ役になれたら幸せだし、小さな沖縄でも夢が持てたら嬉しいと思います。英語環境・異文化の中で働き、生活すると、沖縄の食文化や日本の文化が改めて誇りに思えてくるはずです。そんな人材教育も良いですよね。」今ここにいることができるのもRYOJIファミリーの諸先輩方のおかげだと真剣に語る。だからこそここトロントで成功をして、先輩方に恩返しをしたいという強い想いはどこにも誰にも負けないだろう。
「りょう次社長が大切にしているお客様の笑顔、真心を込めたおもてなし、お出迎えとお見送り、人を活かしながら自分らしい個性派集団の確立に向かって、ここトロントで楽しみたいと思います。」と熱く語ってくれた。
One by Oneのサービス目指すは、カナディアン・マーケットの開拓
Ninki Izakaya マネージャー
古賀 亜利沙さん
ファイナンシャル・ディストリクトに位置し、高級ホテルが立ち並ぶ一角にある120席の居酒屋、NINKI。もともと系列店はこのエリアに寿司レストランを2店舗構えており、特にランチ時は大行列をつくる。2店舗のうち1店舗の区画にビルが建つことになったのが、今回の新店のきっかけとなった。
もともと古賀さんは18歳の時にワーキングホリデーで来加。ツーリズムのカレッジを卒業し、ワークパーミットを取得した。カレッジ時代から系列の人気寿司で働き始め、アルバイトながらマネージャーを任されるようになった。既に繁盛店として成立していた店での仕事をこなす毎日、進路を悩み始めたときにオーナーから居酒屋構想の話を聞き、その店の責任者としての打診を受けた。
「モチベーションがグンとあがりましたね。自分にとってチャレンジ、勝負しなきゃって思いました。」
場所柄、白人層のリッチなビジネスマン達の利用も多く、またホテルの宿泊客なども多数来店する。その点ではサービスをきちんとしなきゃいけない。One by Oneのサービス、一つ上のサービスを提供が必然だという。
10月にオープンして数ヶ月が過ぎた。改善を繰り返す毎日だが、この仕事の醍醐味も味わったのだという。「先週の金曜日、初めてこの大きな店が満席になったんです。忙しさに追われながらもフロアの真ん中に立って、ふと周りを見渡すとスタッフのみんなが笑顔なんです。とても感動しました。。。」
美味しいものを食べることが趣味で、毎週のように食通の友達らと食べ歩きに出かける。「接客・サービスにこだわりをもつ店、特にイタリアンなどには良く行きます。美味しいものには惜しみなくお金を使いたいんです。自己投資ですね。」
他の店にはないものを取り入れ、他とは違う店になっていかなければいけないという。エリア性も考慮してカナディアンやホテル関係へのマーケティングも強化していくという。「まずはこの会社の副社長くらいまで登りつめたいです。その後は自分の店をやっぱり持ちたいですね。今ならテイク・アウトビジネスなんかがおもしろいと思うんですけど。。。」女性ならではの視点で飲食の道を進もうとする古賀さんの姿は、新鮮ながら力強さを感じ、共感できる人も多いのではないだろうか。
繁盛店を渡り歩いてきたキーワード No Challenge No Success
JaBistro 料理長/店長
田代 浩二さん
その経歴は他人から見るとドラマがある。小学生から始めたバスケットボールで飯を食って行こうと決め、中学卒業後、アメリカの高校へ。部活とはいえ生き残りが激しい本場の世界で2年が過ぎたある日、戦力外を意味する赤札が自分のロッカーに貼られていた。失意のまま退学し、日本へ帰国。店長として先頭に立つ今もトラウマを抱える。「今でも毎日が怖いです。夜眠っていても明日が怖くて突然起きてしまう。臆病者なんです。だからこそ毎日自分のために、生き残るためにも必死なんです。」
帰国し、いつかは気持ちよく海外で生活してみたい。そんな想いを胸にイタリア・レストランでキッチンのバイトを始める。飲食店のおもしろさ、食の奥深さに触れ、飲食を自分の道にしようと思う。大きな転機は九州への一人旅で出会った寿司チェーン店。その店の寿司に触れ、日本食の文化でもある寿司を学ぶことを決意し、そのまま社員として入社。しばらくしてバンクーバーへの出店の話が持ち上がり、副料理長としてカナダに渡ることになった。バンクーバーでは1年半ほど働き、日本に帰国し、築地の魚屋でさらに1年半働き、より魚を極めていくことになる。そして再び声がかかったのはGuu2号店でのオープニングスタッフの話だった。そしてしばらくしてオーナーからJaBistro出店計画の話を聞くことになる。
「自分のモットーは、No Challenge, No Success。チャレンジなくして成功なし。断る理由はなかったですね。ここトロントを含め海外で伝統ある寿司という文化が広がり、定着したのは諸先輩方のおかげであることは間違いない。でも若い人が何もできないかというとそんなことはない。発信できることはたくさんある。違う可能性もたくさんあると思っている。」
JaBistroは1月にグランド・オープンを迎え、ランチが始まる。月末にはfisherman’s dayと題したイベントも予定している。「お客さんはお金を使ってわざわざこの店に来てくれる。だから家で作れるものではだめ。唐揚げひとつとっても家ではここまではやれないだろうという仕込みをしてこそ、僕たちの存在意義がある。高い食材を使うこともビジネスとしては簡単なことじゃない。だけど多国籍の人が集まるこの地で美味しいものを日本人の手で作り、伝えていく食育は、きっと価値あること、意味あることだと信じてる。」
こだわっているのは食材だけではない。スタッフの意識を常に高めることを徹底してトレーニングし、お客さんの居心地の良さ、満足度をもっともっとあげていきたいという。お客さんが入店してきたときに寿司バーがどのように見えるかまで気を遣った舞台中央の中で、30歳の若き挑戦者が奮闘している。
東京の居酒屋競争を闘い抜いてきた、アイスホッケー、高校インターハイ3年連続優勝のスポ根店長
Nejibee Izakaya 店長
岩渕 篤史さん
出身は北海道、苫小牧。アイスホッケーの町としても知られる地で、幼少時からアイスホッケーの世界に。10歳の時、ホッケー・キャンプでバンクーバーを訪れたのがきっかけで、海外に刺激を受け、小学生ながら英語塾にも通うようになる。高校時代はスポーツで有名な強豪校でインターハイ3年間連続で日本一に輝く。スポーツ推薦で 大学に進学してからもホッケー漬け。4年間の寮生活と競技生活は、技術だけでなく、様々な精神鍛錬につながったという。
大学卒業後、やりたいことは見つからず、流れに任せるまま医療メーカーに就職。漠然と仕事をする中で景気も良く成績は好調。野心が芽生え、外資系に就職しようと思い、まずは英語を学ぶためにバンクーバーに渡ったのが25歳の時だ。
「昔から大のらーめん好き。名店は必ずチェックしていた僕がバンクーバーで将来のことを考えたときに、らーめんビジネスは北米で絶対チャンスがあると直感で思いました。将来の道を決めたとき、バンクーバーで学ぶものはないと思いました。カナダにいたいから飲食の道を選ぶのではなくて、飲食の道で成功したいから北米に戻ってくると決めて、本場の日本でらーめんを学ぼう、厳しさを知り、人脈を作ろうと決心し、帰国しました。」
らーめん店で修行した後、飲食業界の先輩から東京の居酒屋が海外進出する予定だから一緒に行こうと誘われ、転職。日々激務をこなしながら、オーストラリアに出張するなど常に海外を意識しながら現場に立った。スポーツで鍛えた精神は常にトップを目指す。キャンペーンが行われれば、社内売上No.1や最高記録で結果をだした。「日本をレッド・オーシャンとするなら、トロントはブルー・オーシャン。御客様の分母はどうあれ競争が激しい東京の真ん中で勝負していたのを思えば現状の日本食レストランの数ではまだチャンスはあると思います。」と気合いも十分だ。
トロントではどんなビジネスをしたいかと問うと、「飲食はやっぱり人。顧客満足はもちろん大事だけど、従業員満足も大切にしていきたいですね。従業員の満足はきっとお客さんに循環していくと思います。飲食人として僕に関わるスタッフやお客さんやサプライヤーさんが元気になったり、幸せになっていくのが理想。岩渕と絡んだらおもしろいぞって思われるような存在になりたいです。」と語る。
彼曰く、第一世代が寿司、第二世代が居酒屋、第三世代が創作系や焼き鳥とすれば2013年はハイブリット系ラーメン等新たなステージになるという。悪いところは淘汰され、良いところがさらに成長する。岩渕さんの作り上げる店が多くの人をハッピーにさせながら、ビジネスとして成長するか注目したい。













