vol.5|『野獣の血』|翻訳の窓から – 書評で読む世界
韓国のノワール小説『野獣の血』(キム・オンス著、加来順子訳、扶桑社ミステリー)は、韓国民主化後の1993年、釜山の架空の港町クアムが舞台だ。この町の母子園で育った主人公ヒスは40代で独身。冷静さを買われ、クアムを牛耳るソンおやじの右腕として、おやじの犯罪組織の本拠地である万里荘ホテルの支配人を勤めている。元娼婦のインスクに長年恋心を寄せているが、幼馴染であるがゆえに一歩を踏み出せない。自分はこのまま、かわり映えのしないクアムの組のナンバー・ツーで終わるのかと、半ばあきらめの境地にいる。
一方、ソンおやじは、朴正煕、全斗煥、盧泰愚の政権時代に行われた暴力団の一斉検挙をまぬがれ、「やくざは黙ってひたすらひっそり静かに」をモットーに生きている。祖父の代からクアムの港湾利権を押さえ、唐辛子や煮干しなどのしょぼい密輸で稼ぎ、揉め事の対応や、警察や税関の接待などの実務は、出来の悪い甥ではなく、ヒスに任せっぱなしだ。
ところが最近、クアム周辺の対抗組織が不穏な動きを見せている。ヒスが対処するゴタゴタの背後には必ず彼らの影があり、危険な麻薬密輸で勢力を広げようとしている。これまでにも彼らとの縄張り争いはあった。前回は、インスクの息子アミが他の組に殴り込み、逮捕されて終わったが、今回はきな臭い。アミの出所が近づいているから報復も考えられ、アジアの他国から来た集団や一匹狼的なやくざも動いている。どうやらクアムの港が狙われているらしい。
この小説、700ページもあるけれど、極道の生き様はどこか世界共通で、すっと話に入っていける。第1部は、クアムの人間模様が生き生きと描かれ、釜山の歴史やその一帯の勢力図の説明もあるのでペースはゆっくりだが、第2部に入ったとたん、あちこちに死亡フラグが立ち、ページをめくる手が止まらない。2022年には同タイトルで映画化されている。キム・オンスの作品は、他にも『キャビネット』が訳されている。

評者=新田享子
書評家・豊﨑由美を師と仰ぐ翻訳文学書評グループBookpottersのメンバー。国際政治、文芸理論、歴史衣装など縦横無尽にさまざまな分野の書籍を訳す英日翻訳者。kyokonitta.com





