「★*!%$#?%……ました。」|頑張りましょうその日まで|時代をこえたチャレンジ:子供の言語教育石原牧子ー
「好奇心」ほど成長の糧になるものはないと思う。幼児でも老人でも好奇心があれば常に脳が回転しているわけで、「好奇心旺盛」な人にはチャレンジ精神と一人でも行動を起こせるという積極性がある。私と違って伝統的な日本の規律社会の外で生まれた娘には何でも好きなことを見つけて人生を歩んでほしかった。実際娘が将来どんな人生を歩むのか全くわからない。ただ親として出来るのは好奇心をそそるような環境を整えてやることぐらいではなかろうか。
仕事を辞めて子育てに集中していた頃、Moms and Toddlers(ママと幼児)対象のコミュニティーセンターのサークルによく出た。そこで娘は自分と同じサイズの人間が、ママらしき女性たちと一緒に来ていることを知る。初めはみな母親にピッタリくっついているが次第に自分と似たような人間に興味を持ち始め、黙っておもちゃを差し出したりする。差し出されて驚いて母親に抱きつく子、受け取る子、無視する子、とまちまちである。子供たちが言葉を交わすことはなかったし、交わせない。でも家の外で家族以外の人と初めての交流がそこにあった。刺激は大きかったはずだ。
その頃、娘を日本語で遊ばせたいという願望が私の中で芽生えていた。当時の日系新聞で呼びかけたところかなり反響があり、主に駐在員家族のお母さん方が幼児を連れて図書館の一室に集まった。週に一度、一緒に日本語の本を読んだり、日本語で数字遊びをしたり、お絵描きもしておしゃべり(親が手伝って)もした。その時のママ友の何人かとは何十年もたった今も日本とカナダで繋がっている。あれは子供たちのためばかりではなく、わたしたち母親にも必要で貴重な時間だったのだ。子供が日本語を話す環境を築くためには、親自身が沢山日本語でおしゃべりをする場、つまり充電する場所が必要だったということだ。一石二鳥の企画だった。
カナダの行事、ハロウィーンは子供たちが仮装をして近所の家を巡りTrick or Treat(トリックオアトリート)と言いながらお菓子をもらう、宗教から生まれた欧米の伝統的イベントだが、それに娘もデビューした。白いシーツで体をぐるぐる巻きにされ、インドのマハトマ・ガンジーになった娘は私に抱かれて玄関口で訪れた子供たちにお菓子を手渡した。
日本語を教えるのに本や歌は欠かせない。童話、日本昔ばなし、絵本や図鑑等々。本がなければ親が絵を描いて教えたり、我が子を主人公にした作り話を聞かせるのも面白いかもしれない。「むかしむかしあるところにおじいさんと、おばあさんがいました。」は定番。ある日娘がトイレに座って声を出して本を読んで(?)いた。耳を澄ませば、「★*!%$#?%…..ました。ところが、◻︎◉★#&!%…ました。」これには驚いた。「ました」と「ところが」だけがはっきり日本語になっていて肝心の中身は何を言っているのかチンプンカンプン。何度も聞かされていて知っている内容なので自分なりに再現していたに違いない。字は読めないから聞き覚えた部分だけが日本語になった。読んでいる“つもり”の娘に大きな拍手を送った。照れたのか、娘はゲラゲラと私を見て笑った。
三歳間近か、まだ会話も出来ないのに近所のナーサリー・スクールに入れた。とても嫌がり、入口でギャーギャーわめいて私にしがみついた。優しい先生がみんなと遊ぼう、と英語で促す。
She’ll be fine(大丈夫ですよ)という言葉を信じて私は無理やり娘を彼女に引き渡す。泣く泣く娘が先生に手を引かれ中に入っていく。でもそのあとでこっそり覗いてみた。なんと娘はケロッとしてみんなの輪の中で遊んでいるではないか!あのわめきようは何だったのか。無意識のうちに親が折れるかどうかテストしていたのか。これから英語社会の中でも生きていかなければならない娘、一人でカナダの子供社会に入っていった姿に私は安堵した。








