日本美術 in Toronto 第9回
ロイヤル・オンタリオ博物館 日本美術展
「第三のジェンダー 若衆と浮世絵」展 開催
2016年5月7日〜11月27日
いよいよ今月から、長い間準備を重ねてきた日本の浮世絵の展示会がロイヤルオンタリオ博物館ROM(以下ロム)で始まります。前回のコラムでもお話させて頂きましたが、ロムにはカナダで最大の日本美術コレクションが保管されており、展示会では約80点の作品を展示する予定です。展示会は日本美術をトロントで鑑賞する非常に稀な機会となりますが、それと同時にジェンダーやセクシャリティといったテーマについて考えるという意味を持ったものでもあります。
江戸時代の部分を紹介するセクションが4つのものから成り立っている事は前回のコラムでも書かせて頂きましたが、今回は始めの2つのセクションについてもうちょっと詳しく説明させて頂こうと思います。
展示の始めの部分ではまず、この展示会の目的、つまりこの展示会は江戸時代の若衆の表象を考察する事により、江戸社会に置けるジェンダーの構造を理解し、またそうすることで最終的には現代の私たちの社会におけるジェンダーにまつわる問題等について考えることである、ということを説明します。そして「第三のジェンダー」という展示会のタイトルですが、この展示会ではジェンダーを性器だけで決まるものではなく、年齢、恋愛関係に置ける立場、そして確立された見た目によって決まるものだと定義します。そうすることにより、ジェンダーが男性と女性といった2つのカテゴリーだけではなく、成人男性、若衆、結婚した女性、未婚の女性…等、江戸時代にはたくさんのカテゴリーがあったということを提案します。
来場者が最初に目にする何点かの作品とともに、若衆の見た目(前髪があり頭のてっぺんを剃っていたという事)についての説明があります。若衆は月代(さかやき)を作ってまげを結っている成人男性と、女性用の着物を来て髪の毛にかんざし等をさしている女性とは、明らかに見た目が異なっていた事を展示会の最初にご紹介します。その後、版画だけではなく着物や甲冑を展示したコーナーがあり、そこでは江戸時代の時代背景についての説明があります。特に江戸社会を理解する上で大切な2つの要素といえば、儒教の教えの影響と遊郭等に代表される独自の性文化です。儒教は中国の古代哲学で、平和な社会は上下関係に基づいた人間関係によって確立されるという考え方です。この考えでいうと、年上の人は年下の人より偉いと考えられ権力があり、両親は子供よりも権力があり、男性は女性より優れていると考えられます。このような社会における上下関係を理解する事が後ほどお話しする「男色」(なんしょく)関係においても重要になります。また、江戸時代特有の性文化、ですが遊郭でお酒と食事を楽しみ、遊女(または売春をしている若衆)と楽しい時を過ごす、というのはお金のある者だけに許された特権であり、理想のようなものでした。展示会には何点かの春画の展示もありますが、春画の制作も、江戸時代の視覚文化を語る上で非常に重要です。春信、歌麿、北斎といった「巨匠」と考えられる浮世絵技師も春画を多く制作していましたし、西洋ではアートかポルノグラフィーかという議論がよくされますが、春画は卓越した技術をもった浮世絵史が制作した美術価値の高い性描写という意味で、美術史学的にも人類学的にも価値の高いものとして今日では認識されています。
第2のセクションでは、先に言及しました「男色」とよばれる成人男性と若衆の関係について焦点をあてます。男色は、もともと江戸時代以前に侍の間で行われていた関係で、年上の侍が年下の侍に様々な事を教えるという教育的な要素がありましたが、場合によってはそれがロマンチックなもの、性的なものに発展するということがありました。江戸時代になるとその侍の文化が町人によって商業化され、人気を得ていく事になります。このセクションにはまた歌舞伎の女形を描写した作品も何点か展示されています。歌舞伎の歴史は非常に複雑なのですが、もともとは歌舞伎というのは「おくに」と呼ばれる女性が男装をしてパフォーマンスをしたのが発端になっています。その後、若衆歌舞伎とよばれる若衆が女装をするパフォーマンスが同じ時代にはやりますが、パフォーマーである遊女や売春をしている若衆をめぐって、観客同士での争いが絶えなくなったため、1652年には政府の法律により女性も若衆もステージにあがることができなくなります。その後、成人男性が女性役も男性役も担う事になりますが、ステージにあがっていた若衆の中には、前髪を落として「成人男性」になりパフォーマンスを続ける人も多かったようです。歌舞伎の女形というのはそういった意味で若衆とのつながりが深いですし、歌舞伎役者がこの時代には男性と女性両方の客を取り、売春をしていたことを考えますと、男色という関係に「女装」という要素を追加したといっても過言ではないでしょう。
池田安里/Asato Ikeda
ニューヨーク•フォーダム大学美術史助教授/ロイヤルオンタリオ博物館研究者(2014-2016)。ブリティッシュ•コロンビア大学博士課程を首席で卒業し、カナダ政府総督府より金メダルを受賞。著書に「Art and War in Japan and its Empire 」(監修 ブリル出版)、 「Inuit Prints: Japanese Inspiration」(共著 オタワ文明博物館出版)等。