Japan’s Global Reach: Development Cooperation & Foreign Policy
トロント大学グループ教育機関であり、グローバリゼーションの分野において日々躍進を遂げているMunk School of Grobal Affairs。現代日本における開発協力と外交政策を議題に行われた今回の基調講演には、東京大学東洋文化研究所教授であり、2012年4月~2015年9月には独立行政法人国際協力機構(通称JICA)にて理事長を務められた田中明彦氏が登壇した。JICAに携わった田中氏の経験に基づいた現代までの日本の国際開発協力の足取り、そして今後の課題について講演された。
Munk School of Global Affairsの理事であるStephen J. Toope氏による代表挨拶で講演は幕を開けた。まず初めに田中氏は2015年に見直しされた開発協力大綱内の基本理念について述べ、日本に於ける国際開発協力とは「開発途上地域の開発を主たる目的とする政府及び政府関係機関による国際協力活動」であり、平和構築や統治、人権や人道的支援の促進といった活動の意味も含んでいることを説明。そして、これらの開発協力活動が日本の国益を確実なものへと導くことは明らかであり、日本の外交政策において最も重要な一つのツールになりうることをはっきりと認識する必要性があることを強調した。
田中氏は日本の開発協力初期の歴史について語り、1951年サンフランシスコ平和条約で日本が主権を回復した後、世界各国の開発援助に携わってきたことを述べ、その例としてインドネシアのブランタス川開発事業を取り上げた。この事業で日本は、常に洪水やマラリアなどで悩まされていた状況下にあったブランタス川(インドネシア)にトンネルやダム、発電所の建設協力をし、結果、洪水被害・マラリア感染の大幅な軽減、農作物の生産の向上、広範囲に及ぶ電力供給システムの拡張など、インドネシアに大きな発展をもたらした。
そのような各国への開発援助を経ていく中で、1970年代には為替レートの流動性やオイルショックといった危機にも見舞われた日本ではあったが、その後は世界第2位の経済大国へと成長。また1978年には福田内閣総理大臣は5年以内に政府開発援助の額を2倍にすることを約束し、以前はアメリカが一番の出資国であったが、その後日本の政府開発援助額が著しく向上したことを田中氏はグラフを用いて各国の年代別データとともに比較しながら説明。80〜90年代にかけて行われた産業基盤を目的としたタイの東洋臨海開発を例に挙げ、東部臨海地域はバンコクに次ぐ第二の産業地域となり一人当たりのGDPも大幅に増加したことを述べた。また中国に対する開発協力も例にとり、主に交通機関の整備、医療、環境保護など様々な観点から近代化の発展に協力してきたことを発表した。
そして次に、田中氏は技術協力の国際化について言及した。日本による政府開発援助の地理分布として、1987年時点では円借款の89・2%はアジアが占めたが、技術協力の面で行われた人材育成プログラムや専門家の派遣に関してはアジアへの支援比率はおよそ50%ほどであり、青年海外協力隊の派遣はアフリカや中央・南アメリカ地域への支援率合計がアジアを上回っていたとした。ここでは例としてセラード農業開発に触れ、土壌改善や環境保護技術教授により、不毛の土地とされていた熱帯サバンナ地域セラード(ブラジル)が約20年で南半球最大の農業地域へと変化し、現在大豆輸出量はアメリカを上回り世界第1位を誇るまでになったと述べた。
しかし、1992年、初めて政府開発援助大綱が閣議決定された後、今までの政府開発援助に対して批判の声が上がったことにより、2003年には政府開発援助大綱が改定され、変更点は今後は人間の安全保障と平和構築に焦点を当てること、また中国への政府開発援助を終了させることなどであった。それにより1990年代までは中国をはじめとする東・東南アジアへの政府開発援助が主となっていたが、近年ではインドを中心とした南アジアやアフリカ、南アメリカへの援助が主となっている。アフリカ開発会議(TICAD)がこの傾向を象徴する一つの例であり、1993年以降、日本政府が主導し国連、国連開発計画(UNDP)、アフリカ連合委員会(AUC)及び世界銀行と共同で開催している。世界各国のアフリカに対する援助額は依然としてアメリカが群を抜いて多いとされるが、日本も近年はその額が上昇傾向にある。
そして政府開発援助の地域分布拡張に加え、ジャパンブランドODAと呼ばれる日本ならではの技術協力について田中氏は発表した。カイゼン(KAIZEN)活動と名付けられたこのプロジェクトは今や世界中に広がりつつあり、日本の高度経済成長の原動力となった品質・生産性向上アプローチを用い、各国の保健・医療・教育・行政など様々な分野に貢献している。またJICAが精力的に支援してきたフィリピン・ミンダナオ和平プロセスについても言及した。これら全ての活動が国家間の関係性、外交政策にも大きな意味をもたらすとし、これまで日本が築いて来た政府開発援助の信頼性を維持し続けることの重要性を改めて主張した。
田中氏による講演後は質疑応答が行われ、最後はMunk School of Grobal Affairsの国際比較政治経済学部教授であるLouis Pauly氏より謝辞が述べられた。国際化が進む現代において今回のテーマは非常に重要な意味を含んでおり、この基調講演をきっかけに日本の更なる世界貢献への期待と関心が高まったことは言うまでもないだろう。