手工業デザイナー 大治将典さんインタビュー
穏やかに、気持ちよく、繋がっていくデザインを手掛ける
手工業デザイナー 大治将典さんインタビュー
統工芸に使われる技術を生かして、アートとしてだけではなく今の実生活にも使える日用品をデザインする大治将典さん。今回Toronto Design Offsite Festivalに参加し、地元クラフトマンとのコラボレーションで感じたことや、アイディアの源、手工業の今と今後などについて話を伺った。
■ 手工業を専門にしていこうと思われたきっかけはありますか。
最初は大学で建築の勉強をしていました。卒業して建築のアトリエに就職したのですが私にはスケールが大きなものがあまりわからず、すぐに辞めてしまいました。それから地元の広島に戻り、グラフィックデザインの事務所で働きながら友人とグループを作り25歳の時に一緒に独立しまた。ですがその頃は日本の景気が悪い時期で、グラフィックだけではなく自分達で何かしなければと思い、物を作って販売することを始めました。当時まだ物作りの知識は全くなかったのですが、やってみると「よく分かった」のです。今まで経験した建築よりも、グラフィックよりも、この大きさの物が自分には丁度良い、よく分かる、と感じ、きちんとプロダクトをやっていきたいな、と思いました。数年後、チャンスを掴むためにも東京に出ようと決意し、グラフィックの事務所はパートナーに全部譲り、30歳の時にプロダクトの事務所を立ち上げました。
最初は伝統工芸関連のデザインをやるとは思っていなかったです。ご縁でそういう方々に会い、彼らがこういうことをやりたい、と困っていた時に、私は建築もグラフィックもやっていたし、プロダクトもやりたい、何でもひとまとめにできますよ、ということで一緒に働く機会ができました。東京に出て初めてデザインした物は白木屋伝兵衛商店という老舗のほうき屋さんと一緒に作ったものです。「掃印」という名前をつけて、ロゴマークやパッケージなども一緒にやらせていただきました。そこからブランディングも含めた商品のデザインをやっていきたいな、と感じたところからスタートして今ここまできているという形です。
(右)[鍋敷き]鋳肌を活かした鍋敷きで月、太陽、銀河、星が象られている by 二上
■ 作品のアイディアはどのようにして得ているのですか?
生活の中で感じたり、気がついた「こういうのがもう少しこうだったら良いのにな」というアイディアがストックされていき、メーカーさんとの打ち合わせなどで様々な技術を見せてもらった時に、その二つが結びついて一つの作品が生まれます。私が一人で考えて「こういうデザインを作りたい」と無理やり作ってもらうことはないですね。そのメーカーの技術に合ったものを作らないとうまく作れないですし、その後量産することもできません。アイディアと技術の両方があって始めて作品になります。
■ 今回作られたライトのアイディアはどのようにして生まれたのですか?
カナダの空間を全く知らなかったので、一度こちらに来て打ち合わせをした時に、平均的な部屋の広さや、天井の高さなどについて話を聞いて、2種類のライトをデザインしました。両方ともシンプルな形なのですが、一つは半球型、もう一つはダイヤモンド型で大きさの違う異素材のものがバランスし合っているというものをやりたいと思っていました。いろいろな人種や文化が混ざっているのだけれど、お互いに衝突するわけでもなく、とてもスムーズで尊重している感じが私のトロントニアンのイメージです。例えばニューヨークだとお互いに競争しあっている感じですし、他の国だと地元の文化が強く、排他的だったりすることもあります。それがトロントでは感じないのですごく気持ちが良いですし、日本人も含みアジアの人たちが活躍していますし、とても平和だなと思いました。その雰囲気を表すために象徴的に同じ形だけど色や素材が違い、それでもバランスしている繊細なものを作りたいと思いました。
(右)今回デザインされたライト。同じ形だが、重さの違う異素材のひし形部分がバランスを取り合っている
■ 今回カナダの方とコラボレーションをしてみて、制作の中で感じたことはなんですか?
今まで海外で物作りをしようと思ったことがなかったので、初めて海外の人と一緒に作業をしましたが、とても文化の違いを感じました。例えば仕事の区切り方が日本に比べてざっくりしていますよね。細かく言うのよりも、私がこちらのやり方に合わせて進めた部分が多いです。また、距離も離れているので一度トロントに来て行った打ち合わせ以外は全部メールや電話で行いました。普段日本で仕事している時は職人さん、メーカーさんがいて、そこで直接私が書いた図面の試作品を確認します。「ここはもうちょっとこういう感じ」など細かな調整をしている時は職人さんのリアクションを見ながら無理かな、できることかな、など感じとるのですが、今回はそれができないのでどうにか言葉と図面で伝えなければならないのが大変でした。
長く手工業に携わる大治さんからみて、日本の手工業はどのように変化していると思いますか?
私が関わっている伝統工芸系のメーカーさんは、昔ながらのトップにいる問屋から発注された物を作って売る、というピラミット構造が崩壊して、どうやってご飯を食べていこうと迷っていたメーカーさんが多いです。存続の危機から相談を受けてどうやったら直接カスタマーに届けられるものを作れるのか一緒に考えてきました。そこで、伝統工芸だけど今の生活でも使える物、アートとして愛でる伝統工芸ではなく実生活で使える物にデザインし直しています。その結果、日本国内だけではなく、国や人種を超えて使いたいと思っていただけることがとても嬉しいですし、他のメーカーにとっても勇気を与えているだろうなと思いますね。
■ 伝統技術を継承していく人が少ないをいう問題もあると思うのですが、手工業の今後はどうなっていくと思われますか?
全てのメーカーが存続できるか、といえば無理かもしれませんが、一部のメーカーが残り、世界中にコネクションを作り、物を作り続けていくことは可能だと思います。また、今まではもう食い扶持がないから継ぐなよ、と言う親方も多かったのですが、職人になりたいという人が実は少しずつ増えてきています。20~30年前は中卒で始めて、たたき上げでやることが普通でしたが、最近は大学で工芸を専門に勉強した若い子達が高いモチベーションで職人を目指しています。たくさんお金がもらえることが幸せではなく、一生懸命作ったものが誰かに届く楽しみやクリエイティブな楽しみが無意識に伝わっているのだと思います。
■ 二度の独立を経て、就きたい仕事をしている大治さんからTORJA読者にアドバイスをお願いします。
挑戦することはもちろん怖いですが、目の前のことに対応するだけではなく、もっと先を見据えて自分はどういう世界に行きたいのだろうと考えることが大切です。目の前のことだけに追われているとそれに終始して人生が終わってしまうと思います。もっと大きく先を見ていると、目の前のことも乗り越えられますし、もしできないことがあっても助けてくれる人が出てくると思います。ただできないと言えば助けてもらえないかもしれませんが、目的があってそのためにこの部分を助けてほしいと言えば納得してもらえるはずです。私も英語は全然できませんでしたが、海外からの問い合わせが一気に増えた時にどーしよーって困っていろいろな友人に相談し、その友人を通して今海外発注関連を担当してくれているTakuさんにも出会いました。だから皆さんももっと大きなビジョンを持って、どうしたらいいのかを考えていれば大丈夫だと思います。
大治 将典
o-ji.jp
広島県生まれ。大学で建築を学び、卒業後グラフィックデザインの会社に就職。2004年に拠点を東京に移し、手工業のプロダクトデザインをメインに活動している。製品のデザインからパッケージ、グラフィック等、統合的なデザインを手がける。主なシリーズに「FUTAGAMI」の真鍮カトラリー、「倉敷帆布」のバッグ、有田焼の「JICON 磁今」などがある。