山田あかね監督 インタビュー
「犬に名前をつける日」山田あかね監督 インタビュー
犬の命をテーマに4年間にわたり200時間以上の取材を続けたドキュメンタリー映画
映像作家として、また小説家、脚本家など多岐にわたって第一線で活躍する山田あかね監督。ドキュメンタリードラマという新しい形で過酷な境遇に置かれている犬たちと、彼らを救おうと奔走する人々の姿描いた「犬に名前をつける日」。トロント日系文化会館での映画公開に先立ち、作品に関することや込められた思い、山田監督にとっての動物の存在などについてお話を伺いました。
■ この映画は山田監督ご自身が愛犬を亡くされた体験からアイディアを得たそうですが、実際にその悲しみを乗り越えて撮影を始められるまでいかがでしたか?
2010年の10月に愛犬・ミニ(ゴールデンレトリーバー)が亡くなり、仕事をする気力もなくなるほど、落ち込みました。その頃、パリの映画祭に前作が招待され、パリに行くことになりました。そこで、その帰り道にイギリスに行き、ゴールデンレトリーバー発祥の地を訪れてみようと思いつきました。悲しみを乗り越えるための旅のつもりでした。まず、ロンドンのケネルクラブに行き、ゴールデンレトリーバーについて調べ、スコットランドのグシカンという村でツイードマス卿という貴族が150年ほど前にゴールデンレトリーバーをブリードしたことを知りました。当時の城跡とブリードした犬小屋も残っていると知り、スコットランドを最終目的地と決めました。そこへたどり着く前に、ロンドンにある「バタシードッグ&キャットホーム」というイギリスで最大の保護施設を見学したり、ロンドンにある動物病院を取材したりしました。スコットランドに着くと大雪でしたが、雪の中3時間ほど歩いて、最初のゴールデンレトリーバーが誕生した場所に立ちました。お城は半分以上壊れ、あたりには人気がなく、しんしんと雪が降っていました。そこで、ふと、もう悲しむのはやめて、次に進もうという気持ちが湧いてきました。帰国後、大先輩の渋谷昶子監督に励まされ、映画を撮り始めました。
■ 山田監督が今作で初めて試みたことはありますか。
これまで、数多くのテレビ番組を作ってきました。テレビ番組を作る時は、まず、企画書を書き、テレビ局などに提案します。その企画が通ると、予算が決まって、撮影開始…というのが通常ですが、今回は、テレビ局や映画会社に企画を持ち込むのではなく、「犬に関する気になることは全部取材する」をテーマに、最終的にどうなるか決めずに、どんどん撮り始めました。このようなスタイルで作品を作ったのは初めてでした。また事実を元にした、ドラマを演出したことはありましたがドキュメンタリーとドラマの「融合」というのは初めての試みでした。
■ 今回初めて挑戦されたドキュメンタリードラマという珍しい構成で、撮影において大切にした点、または苦労した点はありますか。
4年にわたって200時間を越えるドキュメンタリー映像を撮ったのでドラマ部分との違和感が出ないように気をつけました。そのため、出演する小林聡美さんには、取材者である私と同じ体験をしてもらい、現場に立つリアリティがでるようにしました。一応、台本を作ったのですが、撮り始めてすぐ必要ないと思いました。小林さんには、演技ではなく、その場で感じたことを表現してもらうようにしました。
苦労したことは、共演相手が素人や犬ですから、リアクションが予想できないので、少しヒヤヒヤしました。しかし、実際には特に苦労することもなかったです。
■ 『犬猫みなしご救援隊』の方々から学んだことはありますか。
『犬猫みなしご救援隊』からは、映画のなかでも、代表の中谷百里さんが話しているように「何かがそろわないとできない、と言っていたのでは、いつまでたっても何も出来ない。ないけど、やってみよう。やれば、ひとはついてくる」というのを、実際に見せてもらいました。初めて『犬猫みなしご救援隊』の福島のシェルターに行ったとき、そこはただの野原で、テントにケージを並べただけでした。犬たちは昼間は、外につながれ、夜になるとケージに入る生活。野戦病院のようでした。しかし、次に訪れた時には、那須塩原の広大な土地を借り受け、犬舎と猫舎もできていました。はじめは40頭くらいだったのが、その時には200頭くらいが保護されていました。行動することで、協力してくれる人達が次々現れ、数多くの犬猫を救うことができました。決断して、行動することの大切を間近で学びました。
■ 海外の方々にこの映画の魅力を伝えるとしたら、何を挙げますか。
日本では犬と猫の殺処分が国によって行われているという悲しい事実がありますが、一方で、一頭でも多くの犬と猫を救おうとしている人達がいることも事実です。『犬猫みなしご救援隊』は、代表の中谷百里さんのカリスマ性で多くの動物を保護していますが、もうひとつの保護団体『ちばわん』は逆の方法です。250名を越えるメンバーが、それぞれできることをして命を救っています。愛護センターから、犬と猫を救い出すひと、その犬と猫を運ぶひと、その犬と猫を預かるひと、里親会を主催する人…など、分業制になっています。これは、とても合理的なボランティアのスタイルだと思います。これだと誰かひとりが欠けても、保護活動が止まることはありません。また、無理をせずに参加できるので、結果、多くの命を長期的に救うことができると思います。日本人らしいスタイルではないかと思います。
■ 監督にとって動物の存在とは。
生きものが生きている姿を見るのがとても好きです。地球は人間だけのものではないと思っているので、お互いに敬意を持ちつつ、共存できたらいいと思っています。
子供のころから犬を飼っていたので、犬は自分にとって特別な存在です。一緒に生きる仲間であり、子供のように愛しく、自分がつらいときには一緒に過ごしてくれる癒しの存在でもあります。仕事で疲れたときなど、犬の世話を億劫に感じることもありますが、一緒に散歩にでかけると、不思議と疲れが消えたり、自分の世界の小ささを知ったり、日々、犬に助けられています。
■ 映像作家から小説家、脚本家、までされてきましたが、監督の中で一貫したテーマはありますか。
特に、意識したわけではないですが、〝弱いもの〟や〝弱い存在〟について考えることが多いです。女性、高齢者、犬や猫、最近はニートの若者を取材していますが、どれも、社会的弱者だと思います。社会のなかで、弱者と呼ばれる存在が「どうしたら強くなれるか」を考えるのではなく「弱いままで、生きられる場所をどうやって探すか」「弱いものが弱いままで生きられる社会をどう作るか」に興味があります。女性が男性並みに強くなり、兵士になれるようになるのではなく、女性が弱い存在のまま、自由に生きられる社会がいいと思っています。犬や猫もペットして人間社会に認められたものだけが生き残るのではなく、犬や猫の野性を残したまま、共存できることがいいと思っています。
■ 今後の展望をお聞かせください。
「働かない若者たち」をテーマに3年くらい取材しています。ドキュメンタリーとして、完成させる予定です。もう一つは、女性の連続殺人犯に関する劇映画の企画も進行させています。このように自分の興味のあるテーマをゆっくり追いかけて行きたいです。
■ 3月に映画が上映されることを楽しみに待っているTORJA読者にメッセージをお願いします。
映画「犬に名前をつける日」は、犬の命をテーマにした作品です。殺処分される犬、福島の原発20キロ圏内で命を落とした犬たちには、名前がありません。名前のないまま死んでいきました。「名前をつける」とは人間が命に責任を持つことです。私たち人間は多くの動物の命の鍵を握っていること、それを感じていただけたらと思います。
ただ、悲しみを煽る作品にはしたくなかったので、見終わって、希望を持てるように作ったつもりです。見てくださった方からは「泣いたけど、勇気づけられた」という感想をたくさんいだきました。私が体験した4年間の出来事を一緒に見つめてもらえたら嬉しいです。
“生きものが生きている姿を見るのがとても好きです…”
山田あかね
yaplog.jp/akane-y-dairy
東京生まれ。映画監督、作家、テレビディレクター。1995年に小説『終わりのいろいろなかたち』で文學界新人賞佳作受賞、2003年に『ベイビーシャワー』で小学館文庫賞受賞。2010年には自著『すべては海になる』を監督し、映画化。ドキュメンタリーも数多く演出。
山田あかね監督との「犬に名前を付ける日」の時間
3月10日に開催される東日本大震災5周年ファンドレージングイベントで上映される映画「犬に名前をつける日」とのつながり企画として、3月13日(日)に山田あかね監督を囲み、「動物のために私たちにできること」について考える会を開催します。会ではトロントの子供たちによる動物虐待と支援活動の発表、そして山田監督からも関連のお話を伺います。パピーミル撲滅や殺処分廃止、レスキュー活動に興味のある方、動物好きの方、お子様から大人まで年齢を問わずご参加いただけます。(12歳以下のお子様のご参加には大人同伴が必要です。)
日時: 3月13日(日)午後2時半〜4時
場所: 日系文化会館 無料 ※席確保のため、必ずご予約をお願いします。