MIRAY’S STORY #12
はじめまして、シンガー・ソングライターのMIRAYです!2013年にインディーズでデビューしEPをリリース、現在トロントを拠点にしています。日系社会においては2006年のJCCC紅白歌合戦に出演以来、新企会、Matsuri Festivalなど多方面で活動しています。以前何回かTorjaにアーティスト紹介で載せて頂いたのですが、今回は人生初の連載コラムでミレイの音楽だけではなく、日本からカナダへの道のりやニューヨークでの修行道中など盛りだくさんお話したいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。
新年あけましておめでとうございます!今年も作曲、歌手活動そしてこのTORJAのコラムも全力で突っ走って行きたいと思うのでよろしくお願いします。
さて、今回は自分の言語についてお話ししたいと思います。
最近よく読者の方々から「どうしてそんなに日本語を書くのが上手なの?」と聞かれます。やはり英語圏にいるとどうしても日本語が弱くなってしまいがちですよね。
私の場合は12歳でカナダに引っ越して、逆にカナダ人から「何でそんなに英語が上手なの?」とよく言われていました。その理由は幼稚園(モンテソーリ)から小学校4年生までインターナショナルスクールに通っていたからです。日本にあるインターナショナルスクールにはインターに通う子たちが使う特別な喋り方があるのを知っていますか?それは英語と日本語をごちゃ混ぜにして話す話し方です。それらを皆は「インター語」と言ってました(例えば若干ルー大柴みたいに「I’m so tiredだから今日はI’ll stay homeね」的な会話)。
しかし母は私が完璧なバイリンガルになれるよう、話す時は「英語は英語、日本語は日本語」と厳しく分けるというルールを敷いていました。父は日本語が話せないので英語で会話していましたがいつも仕事で忙しかったので話す機会が限られていました。
インターでは日本語を話すのは禁止ですが、日本語を学ぶクラスというのがありました。それは日本の学校より随分遅れているので4年生(日本の3年生)まではあまり良く読み書きが出来ませんでした。ただ、祖母が毎晩寝る前に本の読み聞かせをしてくれたのと日本のテレビ番組などを観て学んだ部分もあります。本格的に日本語を学んだのは日本の小学校に入った2年間です。その前の夏に体験入学もしました。日本の小学校に転校した理由はその頃既にカナダに引っ越すという事になっていたので、日本の教育を経験する為でした。本当に両方経験出来て良かったなと思います。特に日本の小学校は給食や掃除当番などインターやこちらのスクールでは経験できない事ばかりで、色々な事が身につきました。
でも実はそんな中、日本の小学校に通っている間英語を忘れそうになった時もあったのです。
鎌倉に住んでいた私は周りに英語を喋るお友達がいなかったのであまり喋る機会がなかったからだと思います。危機感を感じた母はテレビのアンテナのような物を購入し、吹き替えの英語のテレビ番組(「フル・ハウス」など)を英語のまま見せたり、英語の本を読ませたり、ディズニーのビデオを見せたり、帰国子女向けの英語学校に通わせたり、夏には海外のサマースクールに参加させたりしていました。
そういう経験があったからこそ、こちらの学校にもすぐ馴染む事ができました。母には本当に感謝しています。私もいつか子供を持ったら言語の学び方について色々悩むのだろうかと今から考えてしまいます。これからどんどん人種が混ざっていく中で自分のルーツを知る事が非常に大切で特別な事だと思うのです。個人のアイデンティティーを再確認出来るという面で言語は重要な鍵となります。それは文化は言葉で言葉が文化であるからです。私の場合は色々な人種が混ざっていますが、自分が出来る事はまず日本語を大切にして次の世代に繋ぐ事だと思っています。同時に父の文化・言葉も(アイルランド、アメリカ、ネイティブ・アメリカン、ドイツ)もっと深く知りたいと思っています。
Miray
神奈川県鎌倉出身、親戚にグラミー賞受賞者を持つ音楽家族の元、幼少からドラムとタップダンスを始める。カナダ移住後ジャズやロックバンドでドラムを演奏、吹奏楽部でクラリネットを演奏。 15歳で初めてソロボーカルの舞台を経験。ヨーク/シェリダン大学デザイン科専攻卒。在学中にジャズ、ゴスペルコーラス、R&Bバンドに所属。現在デザイナー&シンガー・ソングライターとして活動中。世界的ドラマーのレニー・ホワイトにも曲を絶賛される。ボニー・ピンクやホリー・コールなどのジュノ賞ノミネートプロデューサー:マーク・ロジャーズと共に新曲作成中。
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