なぜ低い日本の国際ランキング|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明
世界大学ランキングで日本のトップは東大の36位。SDGsの世界ランクは17位、ジェンダーギャップ指数においてはなんと156カ国中120位と大きく落ち込んでいる。これらのランクをみて日本はダメなんじゃないか、と自虐的な報道もあるが、日本は本当にダメなのか、昇らぬ太陽なのか、はたまた改善の余地はあるのか考えてみよう。
日本世界120位
2021年世界ジェンダーギャップ指数で日本は世界120位と言われると「マジ?」「やばくない?」という反応だけが出てくるだろう。最近のマスコミの傾向はタイトルを読んだだけで読んだ気にさせるものが多く、事実を伝える以上に判断の方向性を暗示するものも多くなっている。明らかに善悪が分かるものは良いが、微妙なものについてもマスコミが色付けしてしまうことで人々の脳にその結果だけをインプットしてしまっている。
分かりやすい例をだそう。学校でいじめの対象になっている生徒がいるとしよう。なぜ、その生徒がいじめにあっているかそれは二の次で「あいつはダメだ」という声がクラスで主流になればそうだと思い込んでしまう。これを洗脳というのだが、結局、大半の人はその内容について深く興味があるわけではなく、傍観者であり、なんとなく「これはこうなんでしょ」と頭出しの色だけは赤か青かはっきりしているのだ。そしてその色を逆さまに変えることは極めて難しい。
世界ジェンダーギャップ指数を見てみよう。
これは4分野14の指数で構成され、それぞれの得点の合計で計算される。4分野とは経済、教育、健康、政治だ。日本は21年度のランクで14の指数のうち世界1位が3つある。にもかかわらず総合指数で120位なのだ。
例えば日本の初等教育就学は世界1位。ところが中等教育就学になると129位。何故だろう?これは就学における男女差で男が女を比率的に若干上回っていることで「男女差」があるからというものだ。にわかには信じられない。なぜなら中学に進学するのはほぼオートマティックであって男女で差別的に脱落するシナリオそのものが存在しない。たまたまそこに男女差が生じたということであってこの指数そのものの意味するところがおかしいということになる。
同様に日本の男女の労働比率や男女賃金格差は世界基準で見ればさほど悪くなく、中位に留まっている。日本は建国以来勤労の国であり家族総出の労働が当たり前であって女性の労働への参加意識は世界でもはるかに高いのだ。唯一の違いは女性がどのポストを目指すか、という話であり、欧米では女性が男性と競いトップを目指すのに対して日本は専門職(看護師や介護士、保育園の先生、美容師、調理)といった分野で大きな活躍をしている。
それを支えるのが日本の短期大学でかつては短大は良妻賢母になるための予備校であったが、今では各種専門職技術を磨く職業訓練学校的要素が強くなっている。
日本で女性のリーダーが少ないのは社会的制限というより社会の中の分業体制が機能していると見た方が正しい。
つまりジェンダーギャップ指数はあくまでも欧米の基準をベースにノングローバルな視点で数値だけの判断だということだ。よってランク上位の国は欧州の小国が多く、キリスト教的精神を持つ国が有利になっている。アジア地区でトップのフィリピンがキリスト教国であることも理解できるであろう。
では大学ランクはどうかいえばこちらも論文引用数や国際性が低いことが原因だ。THE大学ランキングも13の評点ポイントがあるが、影響度が大きいのが論文引用数が30点、研究評判調査が18点、教育評判調査が15点といった具合だが、この辺りの評価を得るにはまず論文が英語でなければならない。ここが圧倒的に不利なのだ。
言い方を変えると東大を含む日本の教授や研究者は国内での評価が主眼であり国際的なランクに興味はないし、進んで外国に発信しようとしているわけでもない。論文が日本語で書かれていれば外国人研究者が論文の引用もできないだろう。少し前に東大と欧米の教授陣がある経済問題について議論をするセミナーに参加したが東大の先生は完全に論破され恥ずかしい思いをした。語学能力のみならず、プレゼン能力が圧倒的に欠落していたといえよう。
つまり今流行の様々な世界ランクというものは誰を基準にしているか、そしてどの言語を基準としているかを考えれば一目瞭然である。世界共通語の英語をベースに発信しないと日本がどれだけ優れたものをもっていたとしてもそれは評価されない。
では日本は実態として世界ランクが示すほど劣っていないから安堵してよいのか、と言えばそうとも言えない。
何故なら日本は鎖国をしているわけではないからだ。そして様々な国や人々との接点が常時ある中で日本が正当な評価をしてもらえない不利な立場にあるという点を認識すべきであろう。
日本は居心地が良い国で何ら不自由しないとされるがそれは真綿で首を絞められているのと同じだ。日本がノーベル賞をなぜたくさん受賞したか、それは発信する力、あるいは世界の注目を浴びる力があったからだ。だが、それは経済的利用価値を含め世界からアプローチがかかったということを忘れてはならない。
一般社会おいては待っていては世界の人はスルーするだけだ。世界の人が立ち止まり、聞く耳を持つよう改善していけば各種世界ランクはトップクラスを取れると確信している。「日本人よ、大志を抱け!」。
了