人気ブロガーとしての顔をもつカナダを代表するプロ経営者 バンクーバー在住 岡本裕明さん | カナダで活躍する日本人インタビュー
実業家としてバンクーバーおよび日本を中心に多角的な経営を展開する一方、その知見を活かして人気ブロガーとしての顔をもつカナダを代表するプロ経営者
Blue Tree Management (Canada) Limited代表 岡本裕明さんの特集インタビュー
実業家として幅広い活躍をされておりますが、もともとバンクーバーで事業を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
私がバンクーバーに来たきっかけは当時勤めていた建設会社で秘書をしていた際、会長から「バンクーバーで会社として過去最大の住宅開発プロジェクトをやるからお前、行け」と言われ赴任したことでしょうか…。赴任当時は1000億円事業と言われたものの、事業内容を記すものは数枚の資料だけの完全なる白紙での孤独なスタートでした。初めの2年は未経験の許認可、契約書など法律業務が主体で毎日200枚以上の契約書案がファックスから果てしなく出てくるのをみて日本に帰りたくなったこともあります。また、イギリスとアメリカにいたことがあるので、出来ると思った英語がイマイチの自分に悩み、カナダ人のアシスタントにどうやったらうまくなるか、と聞いたら「カナダ語の辞書を買って勉強したら」と言われ、氷解したこともあります。正直、赴任当時はバンクーバーへの愛着があったわけではありません。しかし、バンクーバー市役所に640万ドルの寄付、寄贈の約束をしている中で事業が展開するうちに、この仕事を完遂出来るのは自分以外には誰もいないという現実もあり、仕事人生で最大のチャレンジをしたと思います。開発事業が半ばを過ぎた2002年に親会社が倒産しました。銀行団に残りの事業を「私にやらせてくれ」と言った際、「御冗談でしょう、タダじゃないのですよ。資金を用意できますか?」と言われて1か月の準備時間を頂戴した時が人生の転機だったと思います。たった一人で時間内に資金を全額外部調達し、買収交渉をまとめた思い出は今でも自分のエキスになっています。
その後、様々な事業を担っていくと思いますが、それらの変遷について教えてください。
1995年に親会社の助けなしで自力にて資金調達し集合住宅事業を開始します。同年、集合住宅の契約が伸び悩んだため、アタッシュケースを一つもって香港に飛び、土日2日間の即売会を開催、そこで22軒の成約をし、プロジェクトが本格稼働しました。当時はアメリカ・シアトルのゴルフ場運営、住宅開発事業および日本食レストラン事業も兼業しており、週2日はアメリカの生活でした。アメリカとはいえ、異国であり、畑違いのビジネスをした経験が後年の様々なビジネスの工夫に繋がったことは言うまでもありません。99年にはバンクーバーで、一戸5ミリオンドルのコンドを売り出し、当時、カナダ史上最高の新築価格として話題になりました。2004年にはバンクーバーの開発事業会社を個人で買収し、全体事業を06年に無事完成させました。コンドミニアムを7棟、老人ホーム1棟、託児所1か所、マリーナ施設新設、商業スペース建設、隣接ホテルの改築等などの大掛かりな総合開発でありました。06年の完成を見据え、第二の事業展開として開発事業から不動産運営事業に転業し、所有する不動産を運営するビジネスを新たに切り開きました。その後10年を経て不動産事業からシェアの時代への変化をくみ取り、レンタル事業という位置づけに更に発展、現在はマリーナ、商業不動産、駐車場運営、レンタカー事業などが主力となっています。また、東京ではシェアハウス事業、事務所リース事業などを行っています。
写真左/2004年5月に岡本氏が会社を買収後、初の物件の初の売買契約。写真右・左/1997年8月13日号のバンクーバーサン紙のビジネス面トップの写真付き記事。 写真右・右/開発した物件でもカナダ史上最高額を付けた物件(段々の建物の最上階)。
岡本さんの目からみてバンクーバーは都市としてカナダの中で、そして世界の中でどのように発展してきましたか?
バンクーバーの最大の特徴は1986年のバンクーバー万博以来30年続く不動産価格の安定的値上がりでしょう。その価格を支えてきたのが、97年香港返還間際の香港人、それに感化された台湾人、カナダドル安によるアメリカからの投資ブーム、不動産好きのカナダ人、そして近年に至る中国人の不動産投資と続いていることでしょうか…。ではなぜ、バンクーバーが魅力的なのかといえば一つはアジアからすると最も近い北米のゲートウェイ、そして国策として進める移民政策、移民に寛容でマイルドな国民感情、資源国としての安定感など様々な要因があると思います。また、適度な四季があり、夏の乾季はトロントにもアジアにもない生活のしやすさがあります。製造業が少ない為、バンクーバーの人はどうやって暮らしているのだろうと言われますが、映画やソフトを含む第三次産業が街を支えます。トロントとの最大の違いはトロントが現業に従事する給与所得者が多いのに対してバンクーバーは個人資産が大きくなった人が暮らす街である点は特筆すべき点です。その為に景気動向にあまり左右されにくい特徴があります。バンクーバーは今後も発展するかといえば確実にそうなる、と断言できます。理由は今の中国人ブームがひと段落するとインド人ブームが控えているからです。バンクーバーには北米最大級のインド人コミュニティが存在します。またイランなどのコミュニティも大きく、今後、継続的にいろいろな国からのマネーが流入しやすくなる仕組みがあります。
「外からみる日本、見られる日本人」というブログを発信し、人気ブロガーの顔も持つ岡本さんですが、日本および日本人とカナダの関わりをどのようにみていますか?また今後はどのようになってくると思いますか?
バンクーバーは日本人向けの語学留学およびワーキングホリデーのメッカとして若い世代、特に女性に強い影響力があったと思います。自然環境が良く、健康的な生活をする人が多い中、海外生活の理想郷的なイメージを作りました。最近、かつての勢いがないのはトロントに行く人が増えたことと日本の労働事情が好転している為ワーホリそのものが減っていることがありそうです。日本の若者が殻にこもりやすくなったと言われる昨今ですが、私は自分の数々の経験を日本の若者に伝えていくことを一つの使命としていますし、ブログの発信も一人でも多くの若者に海外からの目線に興味を持ってもらいたいと思い始めたものです。これからは待っていても日本の若者は来ないとみています。待つのではなく、来てもらう仕組みをカナダやバンクーバーの官民が作り上げるべきでしょう。カナダの魅力を民間ベースで日本に発信し、単なる語学研修の場だけではなく、経験を積み上げ、国際感覚を少しでも身に着けられるチャンスが生まれればよいと思います。
バンクーバーにはどのような思い入れがありますか?
バンクーバーは24年という年月を過ごしているだけではなく、日々戦い続けた思いがあります。単に仕事に明け暮れただけではなく、いかにカナダ人を理解し説得できるか、モザイク文化を逆利用したビジネスの進め方、「海外における経営者」という孤独の中で自己を磨き上げました。更にその能力は日本での事業を通じて万能であることも証明されたと思います。そういう意味からはバンクーバーは私自身の足跡そのものであり、出会いであったと思います。冒頭申し上げたように「来たくて来た」のではないけれどコツコツと積み上げてきた24年間に好き嫌いというよりバンクーバーと共に育ったという感覚を持っています。私は学生の時、正真正銘の国際人になりたいと思っていました。それは日本を理解し、外国にその良さを持ち込みながら世界基準の中で自分を育むというものでした。まだまだ勉強中ですが、いつも刺激を貰いながら太平洋の上を行き来しています。
岡本裕明(おかもとひろあき)
1961年東京生まれ。青山学院大学卒業後、青木建設に入社。開発本部、秘書室などを経て1992年同社のバンクーバー大規模住宅開発事業に従事。その後、現地法人社長を経て同社のバンクーバーの不動産事業を買収、開発事業を完成させた。現在同地にてマリーナ事業、商業不動産事業、駐車場運営事業などの他、日本法人を通じて東京で住宅事業を展開するなど多角的な経営を行っている。「外から見る日本、見られる日本人」の人気ブロガーとしても広く知れ渡っている。