離任特別インタビュー 在トロント日本国総領事館 伊藤恭子総領事
ー総領事といえば「日加交流の太陽」といったイメージが強いのですが、着任時に自身に課した目標やテーマのようなものはありますでしょうか?またそれらに対する達成感や感想を教えてください。
毎月1回、HPでの総領事の挨拶を掲載し、自分が考えていることや、皆さんと共有したいことの発信を継続していきたいと考えて取り組んで来ました。1回だけ掲載できない月がありましたが、それ以外は総領事館のスタッフの支援を得て、何とか続けることが出来ました。果たしてどれだけの方々に読んで頂けたのかは疑問ですが、先般、「総領事の毎月の挨拶は在加公館の中で最も充実していた。3年分まとめれば、何らかのトロント・カナダ入門になるのではないか」とおっしゃってくれる方があり、少しは苦労が報われた感じがしました。しかし、おそらく私のHPメッセージよりも、TORJAに載せて頂いた方がずっと発信力はあったと思います(笑)。
また姉妹都市や高校や大学などで、カナダのさまざまな世代の方に日本の文化や歴史、経済活動など様々なテーマで講演会やセミナーを月に一度を目標に開催し、日本に少しでも興味を持ってもらえるようオンタリオ州各地に赴きました。
もう一つ、当館管轄内で叙勲の数を増やすことも目標にしてきました。叙勲は、毎年2回、春と秋に行われますが、最低でも毎回、日本人1名、外国人(非日本人1名)の叙勲をトロント総領事館で受けられるようにしようと、館員全体で計画を立てながら取り組んできました。地方出張に行った際には、地方で日本との交流につくしている方々の発掘にも務めました。こちらもほぼ目標を達成してきており、今年の春も在留邦人1名、外国人2名の叙勲が実現しました。現在、新型コロナウイルスによる入国規制のために天皇陛下からの勲章と勲記を運ぶクーリエがカナダに入国出来ない状況が続いていますが、一日も早く受賞者の方々にお届け出来るようになってほしいと願っています。

ー離任までの数ヶ月間は未曾有のコロナ禍の中での任務となりました。総領事としてどのような取り組みや支援等を心がけたのでしょうか?当時そして現在のお気持ちなども踏まえて教えてください。
とにかく、在留邦人の皆様から感染者が出ないように、また総領事館から感染者が出ないようにということを第一に心がけ、皆様がどのように生活されているか、困っていることはないか、日系企業の方々の活動はどうなっているのか等、アンテナを張りながら過ごしてきました。世界各国の外務省の同僚の中には、ロックダウンで大変な苦労をしている在外公館もあります。ここオンタリオが今後どうなるのか先が読めない不安もありましたし、アジア系に対する人種差別が起きていないかも心配でした。
皆様にお届けしている領事メールは、担当領事が作成し、次席が確認した後、私自身も必ず目を通してから発出しています。特に緊急事態宣言発動の初期の頃は、「あの領事メールがすごく役立っています」とのお言葉を頂いたときは嬉しかったです。
3月~4月は、総領事館近辺はゴーストタウンでしたが、運転手と二人で市内の様子を見に行ったこともあります。TORJAさんのサイトを参考に、市内のいろいろな日本料理店に行って和食のテイクアウトをし、私なりの日系企業支援を行いました。
幸いにもこれまで在留邦人が感染した知らせは当館には届いておらず、当館も館員の感染が起きていないことには安堵していますが、新型コロナウイルスがなくなったわけではなく、警戒は続いています。現在は、経済活動も徐々に再開され、街に活気が戻ってきたことは嬉しいのですが、事業をたたまなくてはいけなくなった方々、事業の生き残りをかけて頑張っていらっしゃる方々、日本に戻らざるを得なくなった方々のことを思うと、心が痛むのもまた事実です。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が既に5ヶ月も続いていますが、これは「ピンチをチャンスに」する大きな機会だとも思っています。発想を大きく変え、仕事のやり方を変え、より省力でより大きな成果を埋めるように、柔軟に対処することの重要性も認識している今日この頃です。
ー総領事にとってトロントはどのような都市だと思われますか?
カナダ最大都市であるトロントは多民族都市であり、多文化が共生しており、未来に向けて大変可能性のある都市だと思います。AIやIoTの分野、環境問題、STEMを始めとする教育でも世界的に躍進し注目を集めているのも事実です。また社会は決して弱肉強食ではなく、脆弱な人たちをいかに救っていくかということを考えています。緑も多く、北米の主要都市に比べて安全であり、反日感情も決して悪くありません。経済的にも文化的にもカナダの中心だと言っても過言でないと思っています。

ー女性外交官としてキャリアを積み、その間に国際結婚やお二人の子どもの子育てなど公私ともに活躍されてきたと思います。カナダを始め世界では日本から移民や海外留学などが増加傾向にありますが、日本のアイデンティティーを持ちながら外国で教育を受ける子ども達に向けてメッセージをいただけますか。
私が海外に初めて渡ったのが18歳のとき、アメリカの田舎町への留学でした。中学・高校で学んだ文法はできるものの、ネイティブが話していることが全く分からず、一日に5~6語ほど分かれば嬉しいと言った感じでした。その後、女子サッカー部に入部し、ともにボールを追いかけ移動のバスで下手なりに会話をしたりするうちにたくさんの友達に恵まれました。スポーツは言葉を超えて人を結びつける魅力がありますよね。言葉に不安を抱えて海外に渡る方にはぜひおすすめしたいですね。
そして、外国から日本を見ることで日本の良さと課題がわかり、外交官を目指すようになったのもこの留学のおかげです。
子育ての話を少しすると、長女は3歳過ぎには英語の絵本も読みバイリンガルでしたが、息子は幼稚園から7年半日本で育ったのでニューヨークで生まれたものの、英語は完全に忘れてしまっていました。息子が5年生の時にインドネシアへ赴任する話があり、中学生だった長女は日本の友達と離れたくないということで夫と残り、息子は「世界を見てみたい」と言って私とインドネシアに行くことになりました。ジャカルタでの生活は朝3時に起きて一緒に宿題をやって、朝ごはんを一緒に食べて仕事に行くというものでした。私の帰宅は遅く、息子は日本語も英語もままならないメイドと過ごす時間も長く大変な思いもしたと思いますが、インターナショナル・スクールで英語を鍛えられ、在留邦人の方々からは可愛がっていただき、インドネシアの文化や歴史を学び、大きく成長できたと思います。
私がアメリカに行く前に「失敗してもいいのよ。失敗できるということが素晴らしい。いつか失敗した自分を笑い飛ばせるようになったらあなたは本当にそのことを乗り越えられたということなのよ」と印象深い言葉をかけてもらいました。若い人たちには、心と体を大切にしながら、頭でっかちにならず、さまざまなことにオープンになって頑張ってもらいたいですね。それが若い人たちにはできると信じています。
ー日本語学習者や日本の文化や食などを愛するカナダ人の方々に今後期待することを教えてください。
日本文化は奥が深く、間口も広く、常に変化しています。これからも是非、日本を愛し、日本とカナダの架け橋になってくださることを強く希望しています。
ー最後に読者および在留日本人の方々に向けてメッセージをお願いします。
本当に楽しく、充実した日々を送ることが出来ました。様々な場でお会いし、お話を伺ったり、一緒に働くことができた方々に、改めて心より御礼申し上げるとともに、これからも日本とカナダの架け橋として、一層の御活躍と御多幸をお祈りいたします。

伊藤 恭子(Takako Ito)・北海道名寄市出身
1985年 外務省入省、1988-1991年 在カナダ日本大使館、1997-2001年 国際連合日本政府代表部、2001-2003年 在マレーシア日本大使館、2003-2005年 アジア欧州協力室首席事務官、2005-2007年 経済連携協定交渉官、2007-2009年 人権人道課首席事務官兼国際組織犯罪室首席事務官、2009-2010年 開発協力企画室長、2010-2011年 在インドネシア大使館参事官、2011-2014年 ASEAN 日本政府表部公使参事官、2014-2016年 国際報道官、2016-2017年 儀典総括官(宮内庁式部官併任)、2017年在トロント日本国総領事に就任。
上智大学法学部国際関係法学科卒業。カールトン大学ノーマン・パターソン国際関係研究所修士課程修了。趣味は邦楽演奏(琴・三味線)、骨董収集、ゴルフ、旅行など。子供は一男一女の2人













