第47回トロント国際映画祭レポート|気になる「T」特集
今年のトロント国際映画祭(TIFF)は、現地会場での上映がほぼ完全に復活し、最初の週末にKing St.の一部を歩行者天国にして実施するFestival Streetも復活するなど、3年ぶりに以前の賑わいが戻ってきた映画祭となった。
コロナ禍で開催形態が大きく変わった2020年と2021年のTIFFは、オンライン上映が中心となり、現地上映にはドライブインシアターや野外劇場が導入された。また、海外からのゲストの渡航が難しかったことで、レッドカーペットも2019年以前のようにファンで賑わうものではなく、限定的な開催だった。
今年は、昨年に引き続きワクチン接種済み渡航者を隔離期間なしで受け入れたことに加え、感染対策は取りながらも会場への入場に際しPCR検査や陰性証明が課されることもなく、2019年以前のように参加しやすい開催形態となった。開催期間も、過去2年が2019年以前に比べて1日少ない10日間だったのに対し、今年は11日間に戻った。上映作品数も、特別上映を除く長編作品が約190本で、短編や特別上映も含めると約250本。2019年以前の300~400本の上映本数に比べると、まだ少し少なめではあったものの、2020年、2021年に比べてずいぶんと現地の賑わいを取り戻した感があった。そんな今年のTIFFについて、会期中の概況を紹介する。
例年アカデミー賞の有力候補となる観客賞受賞作はスピルバーグ監督の『The Fabelmans』
今年、開幕前から話題をさらい、そのまま観客賞まで一直線に駆け抜けていった印象があったのが、スティーヴン・スピルバーグ監督の『The Fabelmans』だ。スピルバーグ監督が、自身の子供時代から映画作りに携わるまでの生い立ちを描いた半自伝的作品で、TIFFでワールドプレミア上映された。
子どもの頃に映画に魅せられてから、カメラを回し編集を始め映画に没頭していく姿や、その間の家族関係、友人関係が描かれる青春映画。特殊効果に工夫を凝らしながら自主映画を作る姿に、映画が意図的に切り取る物事の側面や幻想、映画が作り出す虚構が語る真実など、映画のマジックそのものが詰まっていた。2時間半の長尺ながら体感時間はあっという間で、最初から最後まで観客の喜怒哀楽を思う存分引き出す作品だった。
TIFFへは本作で初参加となったスピルバーグ監督。このパーソナルな物語はぜひとも最初にトロントの観客に観てほしいとの監督本人の意向から、TIFFでのワールドプレミアとなったのだそう。ワールドプレミア翌日に行われたプレス上映や記者会見では、プレス関係者や業界関係者しかいないはずの会場なのに、上映後には会場中の観客がみんな単なる映画ファンに戻ったかのような熱を感じるほど、スピルバーグ印の楽しく熱く淡く苦い青春映画だった。
力強く幕開けを飾ったオープニング作品『The Swimmers』
今年のオープニング作品はサリー・エル・ホセイニ監督の『The Swimmers』で、2016年のオリンピックに難民選手団の一員としてシリアから出場した競泳選手の姉妹の実話を映画化したもの。祖国シリアで日に日に激化する爆撃の危険を逃れるため、決死の渡航で国境を超えて欧州へ行き、難民選手団の一員としてオリンピック出場を果たす壮絶な話。
オープニング上映や翌日の記者会見には、この映画のモデルとなった競泳選手の姉妹やコーチ本人も登壇。戦争で未来が見通せない苦しい状況の中で、十代のうちから想像を絶する苦難に見舞われ、同時に十代少女の等身大の悩みも抱えながら、力強くまっすぐに生き抜く希望を感じさせてくれる開幕作品だった。
ミッドナイト・マッドネス観客賞『Weird: The Al Yankovic Story』
TIFFの観客賞は、全体から選ばれるもの以外にミッドナイト・マッドネス部門とドキュメンタリー部門からもそれぞれ選ばれている。今年、ミッドナイト・マッドネス部門ではエリック・アペル監督の『Weird: The Al Yankovic Story』が観客賞に輝いた。
『Weird: The Al Yankovic Story』は、「ウィアード・アル」(おかしなアル)として知られるパロディ音楽家アル・ヤンコヴィックの伝記映画。……のはずなのだが、マイケル・ジャクソンやマドンナなど人気ミュージシャンのヒット曲の替え歌を次々に世に送り出してきたのがアル・ヤンコヴィックなので、彼を描いたこの伝記映画そのものが彼の人生のパロディになっているという、ちょっとぶっ飛んだ構造なのが面白い。
なんでも、エリック・アペル監督がアル・ヤンコヴィックのファンで、彼の人生をパロディにしたこんな映画を作りたい、とアル・ヤンコヴィック本人に持ちかけたところ、本人がプロデューサー兼共同脚本として全面的に協力したうえで、こんなパロディ伝記映画が出来上がってしまったらしい。
TIFFのミッドナイト・マッドネス部門は、SF、ホラー、コメディなどのジャンル映画を、会期中の毎晩23時59分から上映するという文字通り真夜中の熱狂上映枠。この部門の熱狂的なファンが夜な夜な熱く盛り上がる部門なので、正直なところ、TIFFの会場で観ると普通の映画館で観る何割か増しで面白く感じるのではと思うこともある。そんな中にあって『Weird: The Al Yankovic Story』は、アル・ヤンコヴィックのパロディ楽曲の面白さと作品自体がパロディになっている面白さとで、正真正銘、内容自体が面白いと思える作品だった。
ミッドナイト・マッドネス観客賞次点『Pearl』
今年はミッドナイト・マッドネス部門が豊作で(私がミッドナイト・マッドネス部門びいきだから、そう思うだけかもしれないけれど)、この部門の観客賞次点に輝いたタイ・ウエスト監督の『Pearl』も面白かった。
今年、TIFFの少し前に公開された『X エックス』の前日譚にあたる物語が『Pearl』で、『X エックス』の数十年前、殺人鬼お婆さんパールの少女時代を描いた作品となっている。たくさんの登場人物が出てきた『X エックス』に比べ、『Pearl』はひたすらパールに、ミア・ゴスにフォーカスした作品で、『X エックス』に比べて直接的なスプラッターも多め。このため、『Pearl』を単体で観る人にとって、これは面白いのだろうか、と少し疑問に思うところはあるものの、『X エックス』が好きな人なら観て損はないはず。
もともと三部作になると言われていた『X エックス』の最後に前日譚『Pearl』の存在が明かされたのと同様に、『Pearl』の最後に『Maxine』の存在が明かされ、TIFFでワールドプレミア上映された『Pearl』の上映後には『Maxine』の情報が世界を駆け巡った(と私は思っている)。
上映中止になった幻のミッドナイト・マッドネス作品『The People’s Joker』
今年はミッドナイト・マッドネス部門でもうひとつ、めずらしい出来事があった。ヴェラ・ドリュー監督の長編デビュー作『The People’s Joker』が、ミッドナイト・マッドネス部門で9月13日の23時59分からワールドプレミア上映された後、その翌日以降に予定されていた上映がすべて中止となってしまった。
『The People’s Joker』は、トランスジェンダーとしての葛藤や母親との確執を抱える主人公がコメディ番組に出ようとする話で、バットマンのパロディ。「許諾は一切取っていません」と冒頭に断り書きが入っていたものの、権利問題回避のためかアニメーションやデザインなどはすごくオリジナルに作り込んでおり、もちろん物語もオリジナルだった。
しかしながらTIFF公式サイトでは、権利関係の問題から出品者側が上映を取り下げることになった、と説明されており、初回上映の直後には、以後の上映の取り下げが発表されていた。
ヴェラ・ドリュー監督は、上映中止となった直後から、今後も上映できるよう権利者との問題解決に向けて模索中であることを自身のツイッターで表明していたが、その後の進展はないようで、今のところTIFFでのワールドプレミア1回限りの幻の上映となっている。
その1回限りのワールドプレミア上映の会場は、上映中は絶えず笑いに包まれ、上映後は熱のこもった拍手が長い間続いて、観客が新たな才能の出現を心から祝福しているようだった。上映終了後も、真夜中の会場前で熱気冷めやらぬ観客がヴェラ・ドリュー監督を交えて語り合う時間が続き、上映中止はあまりにも酷ではないかと思うほど、観客が熱く受け止めている作品だった。
日本映画『LOVE LIFE』『PLAN 75』
日本映画では、今年、深田晃司監督の『LOVE LIFE』と早川千絵監督の『PLAN 75』が上映された。どちらも初回上映を観に行っていた私は、それぞれ、日本ではあまりない経験というか、海外だからこそではないかと思う経験をした。
ひとつは、『LOVE LIFE』の途中、主人公の妙子に対し元夫がある行動を取る場面でのこと。未見の方もいると思うので、ふたりの感情が続けざまに爆発するような中盤のあの場面、とだけ書いておく。その場面で観客が1人、会場を出て行った。あの場面の直後だったので、トイレに立ったとかではなく、その人にとって許しがたい描写だったのではないかと思う。日本では、上映の途中で立ち去る観客にはあまり出くわさないので、やはり海外は違うというか、はっきり意思表示するなと思った瞬間だった。
もうひとつは、『PLAN 75』の上映後Q&Aでのこと。早川監督が、日本の観客からの反応として、「プラン75のような制度があればぜひ利用したい」という人がいることを紹介したとき、私の隣に座っていた年配のおじさんが、「What!?」と心底驚いた声を上げていた。その後に続けて早川監督から、「家族や周囲に迷惑をかけずに死んでいきたいから、プラン75のような制度があれば利用したい」という声があるのだと説明があったとき、そのおじさんは、ものすごく不満そうに、「そうか…そうなのか…」という感じで、少しだけ納得していた。日本では、そのような考えを持つ人は少なからずいると思うけれど、海外ではそうではないのだなと実感した瞬間だった。
大人気の韓国映画
今年のTIFF上映作品の中で、とても勢いがあったのが韓国映画。是枝裕和監督がソン・ガンホ主演で撮った『ベイビー・ブローカー』に、パク・チャヌク監督の『Decision to Leave』、ホン・サンス監督の『Walk Up』、チョン・ウソン監督の『A Man of Reason』と、実に4作品もがSpecial Presentations部門で上映され、さらにイ・ジョンジェ監督の『HUNT』もGala Presentations部門で上映された。
毎年、注目の俳優や監督のトークイベントが開催されるプログラム「In Conversation With…」では、『HUNT』が初監督のイ・ジョンジェと『A Man of Reason』が初監督のチョン・ウソンが、長年にわたる友人関係、協働関係を語る対談も実施された。このプログラムには、韓国人や韓国系の人と思しき女性ファンがたくさん詰めかけており、大盛況。質疑応答で発言した観客の女性は、『HUNT』と『A Man of Reason』のTIFFでのプレミアを観るために韓国からトロントへ渡航してきたというほどのファンだった。
約1時間のトークイベントの終了後は、観客の多くがサインを求めて舞台に押し寄せ、会場から出るのも苦労するほど。TIFFでは、上映後に観客が登壇者に歩み寄って映画の感想を話したりサインをもらったりする光景はよく見られるものだが、どの会場でもせいぜい10人ほど。大人気の俳優はすぐに舞台袖に下がってしまうから、ということもあるかもしれないが、イ・ジョンジェ監督とチョン・ウソン監督は、何十人もの押し寄せる観客を前に、すぐに舞台袖に下がることもせず丁寧に応対していた。会場は大混乱ではあったものの、このためにはるばるトロントを訪れたファンにとっては、幸せな時間だったに違いない。
さらに、ミッドナイト・マッドネス部門ではキム・ホンソン監督の『Project Wolf Hunting』が上映された。こちらも、主演のソ・イングクやチャン・ドンユンの人気を受けてか、舞台挨拶の際には真夜中23時59分からの普段のミッドナイト・マッドネスの上映とは少し趣の異なる歓声が飛んでいた。とはいえ、『Project Wolf Hunting』は驚くほどミッドナイト・マッドネスど真ん中な映画で、もういったい何人殺されたのやら、どれだけ血が飛んだのやら、という過激な内容。上映中は、人が殺され血が飛ぶほどに太い歓声が増して拍手喝采という、いつものミッドナイト・マッドネスだった。
レッドカーペット
今年、ワールドプレミア上映が行われたRoy Thomson HallやPrincess of Wales Theatreなどの前に設けられたレッドカーペットでは、その周囲に2019年以前のようにFan Zoneが設けられていた。Fan Zoneは、レッドカーペットを訪れるゲストを間近で観ることができるよう設けられたスペースで、入口に並んでおけば、一定時間ごとに先着順でエリア内に案内してもらえる。無料で入ることができ、場合によってはゲストと一緒に自撮りをすることができたり、サインしてもらえたり、といった交流もできる。
昨年と一昨年は、コロナ禍での感染対策のためにレッドカーペットは取材を申し込んだメディアのみに開かれた形で実施されたが、今年はFan Zoneの復活もあって、歓声と人だかりで熱気と活気が戻ってきていた。とはいえ、まだまだ感染を気にする人も多かったからか、2019年以前ほどの混雑ではなかった。
Discovery部門の良作
この他、Discovery部門では、カナダ映画をはじめとして世界中から、小規模ながら良い作品がたくさん上映された。
Discovery部門で上映されたジャブ・クラーク監督の長編デビュー作であるオーストラリア映画『Sweet As』は、オーストラリア原住民ルーツの少女が母親から育児放棄状態にあるのを叔父が見かね、問題を抱える青少年が集うキャンプに参加させられる話。1人1台カメラを渡され、自分が語りたいことを写真に収めろと言われて旅が始まる青春ロードムービーで、TIFF上映作品のうち最優秀アジア映画に贈られるNETPAC賞を受賞した。
ゲイル・モリース監督の長編デビュー作となったカナダ映画『ROSIE』も、とても良かった。モントリオールを舞台に、突然母親を亡くしたインディアンの少女が、母親の唯一の親族で血縁のないフランス人の叔母に半ば無理やり引き取られることになり、叔母のゲイの友人たちも交えた奇妙な暮らしが始まる話。2017年のTIFFで上映された『フロリダ・プロジェクト』を観たときと似た興奮と感動のある映画だなと思っていたら、上映後のQ&Aで、まさしくそう言っている人がいた。
チャンドラー・レヴァック監督のデビュー作『I Like Movies』は、映画ファンならきっと好きになるであろう、映画好きの少年が主人公の青春映画。母親と暮らす映画好きの高校生が、ニューヨーク大学で映画の勉強をすることを夢見て自主映画を作ったり、レンタルビデオ店でバイトしたり。でもちょっと身勝手で自分のことでいっぱいで、友達との関係がこじれたり、バイトもうまくいかなかったり。そんな初々しくも切実な悩みをもつ少年の青春映画として、とても微笑ましい。トロント出身で、これまでは批評家としてTIFFと関わってきたチャンドラー・レヴァック監督が、自伝的な要素を含むこの物語で念願の監督デビューを果たしたという点でも、なんとも応援したくなる話だった。
TIFFの復活
いつもTIFFの時期だけ日本から渡航していた私は、2020年、2021年とコロナ禍のあおりを受けて現地に行くことができず、今年は3年ぶりに現地での映画祭体験となった。2019年以前は橙色で統一されていた看板類は、今年は黒一色で統一され、私の記憶にある限りずっと橙色だったボランティアTシャツも、今年は水色に統一されていた。2020年、2021年と変則的な開催ながら映画祭を中止することなく続けてきたTIFFが、3年ぶりの完全復活を機に、心機一転、新たなスタートを切ったように見えた。きっとまだ当面は映画祭や映画産業にとって厳しい状況は続くのだろうけれども、2019年以前の賑わいを知る観客やスタッフが戻ってきて、待ちわびていた復活を成し遂げたように感じた11日間だった。
All Photos: Courtesy of TIFF