園長先生!気付けば息子も大きくなりました…第61回
第六十一回 「さかなクンと私、共通の不思議な世界」
こんな公共の場で、いきなり頭から言うのもなんですが、私はとても不思議な子でした(笑)。私は3歳頃から保育園に通っていましたが、中でも飛び抜けて目立った存在でした。とにかくマイペースで、でも私のペースと言うのはとても自己中で、自分のしたい事をしたい時にしたいだけしてしまうと言うとても厄介なもの。なかなか規律や規則に従えず、でも好きな事や興味のある事は徹底的にやってしまう感じの子供でした。
さて、なぜ、こんな事を唐突にお話しするかと言いますと、実は先日、「さかなクンのお母さんの教育方針が素晴らしい」と言う記事をインターネットで見つけ、読んだからです。さかなクンは小さな頃から絵を描くのが大好きで、幼少時はトラックの、そして小学校2年生のときからタコに興味を持ち、魚屋さんや水族館に通い詰め一日中眺めていたり、異常な程魚の絵ばかり描き続けていたりしたそうです。あまりにもそちらに没頭し過ぎて、勉強は二の次。そのため、学校の先生からもう少し勉強する様に注意されたとか。ところがさかなクンのお母さんは彼のしたい事を応援したい、勉強ができなくても本人の好きな事を伸ばしてあげたい、とさかなクンの魚に対する情熱をずっと支え続けてあげたのです。それが今のさかなクンを生み、海洋学に大きな貢献をしたのですね。
そんな多くのエピソードを読んでいるうちに、笑ってしまいました。さかなクンの子供の頃って、私のと全くもってそっくりなのです。
私が好きなのは生き物。虫でも爬虫類でも哺乳類でも、とにかくどんな生き物も大好きでした。子供の頃にはファーブル昆虫記やシートン動物記に没頭し、図鑑などから見て絵を描いたりするのも大得意でした。アリやクモの行動が大好きで、エサにたかるアリが巣まで食べ物を運んで行く様子や、クモがクモの巣をはる経緯を一日中飽きずに見ている事も出来ました。また、家でショウジョウバエを自分で飼って、それがどんどん繁殖してしまい、ある日ケージの蓋が外れて、家中何週間もショウジョウバエだらけになってしまった事もありました。この時はさすがに母から大目玉を食らいましたが、母は私が興味を持つものに対して反対したり、規制したりした事はありませんでした。その後も色んな虫を飼っていましたよ。また、当時は野良猫や野良犬、捨て猫や捨て犬も多く、それらを見つけるとまるで自分の使命の様に感じ家に連れて帰ったものでした。
そんな私を表面上怒りながらも、なんだかんだと言って動物が大好きな母は共に世話をしてくれていたのです。また、私のする事に対し「どうせ友佳理は言う事を聞くはずがないんだから、好きな様にすれば良いよ」と決まって言うのでした。
今から思うと本当に有り難かったと心から思います。「勉強しなさい」と言われた事もないですし、とにかく学校から帰って来たら外に出て、友達と遊び、永遠と自然界への探索をし続けていましたから。動物関係の仕事に付かなかったのが不思議なくらいですが、子供も実は動物と似てるんですよね〜。あ、一緒にして申し訳ありません…でも、ひたむきで、自分を守ってくれる人に一筋の愛を向けて、信じてくれ続けるのですから。
話は少しずれましたが、さかなクンのお母さんの教育方針を見習えれば素晴らしいですよね。子供が好きな事を見つけ、それを伸ばしてあげる環境を作り、ハンズオンで実体験させてあげる。親としては「えー、こんな事に興味を持って将来何の役に立つの〜?」と、思う事も多々あるでしょう。もちろん、文字や数字、勉学に繋がる事を覚えてくれた方が親は嬉しいでしょうけれど、そこはぐぐっと我慢です。親や大人がこれこそ子供のためと思って与えるものよりも子供自身が自ら興味を持って取り組む事には大きな価値があり、決して無駄な事ではありません…と、私は信じています。
私はさかなクンの様な大物ではありませんが、自分の人生にとても満足しています。子供の頃から私と言う存在をありのまま受け入れてくれ、本当にやりたい事をいつも応援して好きな様にさせてくれていた両親。そして、今は結婚して以来まるで両親の様に見守ってくれているうちの旦那さん、マーク。大人になった今もなお、感じます。こう言う環境があってこそ、初めて自分が自分らしく活き活きと生きていけるのだなぁ〜、と。実はもうすぐ私とマークの25周年・結婚記念日で銀婚式です。こんな私によく長年付き合ってくれたなぁー、とそんな思いから、このコラムにもちょこっと記念に書かせて頂いた次第です。
池端友佳理ー 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。